心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

子どもが生きられない社会!

2010-12-13 14:33:53 | 心の闇と重大事件

こんにちは、テツせんです。
裏の柿の木が紅葉を落としたあとに、わずか三つばかり渋柿の実がのこっていました。
すっかり冬の気配が近づいてきましたが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

さて、前回のあとにつづけて記事を書くつもりが、
すっかり週がひと回りしてしまいました。
まったくたよりないことで、恐縮です。・・
まずは気を入れなおして、さっそく、このまえの続きをお話してまいりましょう。-

- 事件を起こした子どもたちの、
心の闇が現実を侵犯していく《脳のはたらき》に通じておられない須永氏は、そこで、
「根底に封印された「怒り」の感情が横たわっているのではないか」といい、
そうした子どもを「擬似感情統制型」タイプと分類化している。

しかし、心理学の分類のようなことをいくら追いつづけたところで、
子どもたちの《苦悩の本質 》と交差することはありそうもない。

また、ひとりひとりを個別にカウンセリングすることは必要で大事なことだけれど、
事件を起こした子どもだけをタイプ分けしてみても、
< 子どもたち> の苦悩の本質はとらえられない。・・

子どもたち総体の苦悩は、
いうまでもなく親たちや学校関係者の、無自覚な支配・抑圧に由来している。
そして親たちと家族の苦悩はまた、
変容する現代社会(超消費社会)の、見えざる強迫性と支配・抑圧に由来している。
ならば、その親たちの苦悩の内容をみていかなければなるまい。

- そういう意味で重大事件について、
「親殺しに先行する子殺し」という芹沢氏のとらえ方は正しい。・・

すなわち、
わが子に自分を殺させた父親が、
それまでに執ように子どもを心的に何度も殺してきていることを
社会(おとな)がただしく理解しなければ、
日常的にくりかえされる前段階の子殺しが、永久的に防げないということ。・・

無自覚なままに心的な子殺しをくりかえしている親たちとは、
いったいどのような病理性と苦悩をかかえこんだ親なのだろうか?

まず病理的であるという自覚もない父親たちは、もはや特別なひとたちではなく、
一般的にと表現する方がふさわしいほど、いまでは多数を占める危機的状況にある。

その父親たちの病理性は、
そのひとの《ものの考え方》に相応したものであり、もっと厳密に言えば、
そのひとの右脳には現実を壊すことによる快感のイメージが日常的に浮かべられており、
また左脳には正当な概念にいたれず、
認知バイアスのままに恣意的な観念が固着しているということである。

- 書簡をかわす両氏の記述から、
具体的にどのような「家庭」、「親」であったのかをひろいだしてみると、・・

- まず、両親を殺害した十五歳の少年は、事件をおこすまでの毎日を、
「淡々とすごしていた。 怒られても感情を殺してロボットみたいな感じ・・」
と証言している。

- さらに、
「父親がしばしばゲーム機やパソコンを壊したこと。」
「子どもに父親の仕事(寮の管理人)である寮の掃除を日に二時間課して、
自分は趣味のバイクを駆って出かけていたこと。
「父親の趣味の爬虫類の世話を息子にさせていたこと。」
「『完全自殺マニュアル』を渡して読むようにすすめたこと。」
「母親がしきりに『疲れた、死にたい。』と子どもに訴えるようになったこと。」
などの事実があかされている。・・・

たとえば、この父親にかぎった固有の心的な問題を抽出すれば、-

- もともと社会的な関係にバッド・イメージがたえずともなうために、
子どもの教育という課題にたいしても、暴力的に支配するという、
ゆがんだ《快のイメージ 》のとおりに行動していたことが分かります。

じつは、子どもにたいして心的な密着依存(この場合は支配)の関係を手離せなかったこと。
(* これが事件を招くもっとも大きな要因となっている。)

さらには、この夫婦がおそらく最初からお互いをささえる能力をもちあわせていなかったことが、
うつ病をあらわし、子どもにも及ぼしている妻(母親)によって示されていること。・・
などが読みとれます。

それでは
「日常的に現実を壊すバッド・イメージおよび快イメージを浮かべる」父親は、
いったいどこから成立してきたのか?ということです。・・

芹沢氏は、その父親について、・・
「夫婦の生まれた六十年代前半は
日本社会が中流意識を抱く人たちを大量に生みだした時代だったこと。
しかし、
殺された父親は工業高校止まりで高度成長の恩恵を享受できる環境になかったこと。

ここに挫折感とつよい不遇意識が「恨み」や「怒り」となって抱えられ、
おなじく工業高校生の息子にたいして、近親憎悪さえ抱いた」ことをあげて、
「苦悩の父親」成立の原因と理由としようとする。 -

- この考え方は、今日の格差社会要因論とリンクして一見説得力があるようにおもわれますが、
心的な問題の主因を、《経済的不遇 》にもとめることには、
安易な唯物主義を感じて、やはり「困難」の本質から離れていっているようにおもわれる。

断言すれば、
格差社会が即、心の病を増産しているという考え方は、まったくの誤謬というものです。

わたしの以前のブログ、
秋葉原無差別殺人・加藤智大の心の闇をカウンセリング(最終稿)」でも記述したように、
- すべての心の病理や自他の破壊行動の《 根源的な要因 》は
家庭のなかの親の無知・無理解にあり、
自己流の恣意的な関係を無自覚に強要する親たちの横行とその連鎖にあるといえます。

さて、往復書簡のなかの両氏は、考えが尽きたかのように、
ハンガリー生まれの精神科医の「破壊的権利付与」論をひっぱりだしてみたり、
子どもの不登校体験から、母親の「引いた対応」が子どもにとって、
「わかってくれない=>わかってほしい」という確執をうみつづける契機となるといったりと、
焦点がさだまらず、答をもとめて迷走しはじめる。・・

- だが、不登校の本質はそういうことではないだろう。・・

「わかってほしい」ことへの拘泥の固着・持続そのものは、その子どもの病理症状であって、
たとえ、子どもが成長した後に母親についてそう証言したとしても、
そのことが心的病理という位相のなかで真実であるとは言いがたいわけで、
子どもが証言したから、母親の一言が決定的だったという脅しは、乱暴に過ぎよう。

それこそ生育歴の性格プロファイリングからはじめてみないことには
本当のことにはなかなか近づけないでしょう。
なぜなら、
おおかたの子どもと母親は、その程度のことは折り合うか、乗り越えてゆくものだから。・・

そして往復書簡のこれから先は、
「発達障害」「自閉症」「トイレで食事をする学生」「子どもの貧困」とつづいてゆくのだが、
これらについてはすでに、当ブログでお話してきた項目ですので、
食べ友求む!という心の病』、『「自閉症だった私へ」が表わす限界!』 をぜひごらんください。

両氏の往復書簡本は、どうもおもったより歯ごたえのない内容でした。残念!

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