こんにちは、のほせんです。
明日はもう、大つごもり。
樋口一葉のもの悲しい小説がおもいだされます。
しかし
貧しさがゆえに不幸であるか、不幸におもわないかは それぞれです。
かえってそこにしか、いたわり合う心情はめばえないものとおもえます。
ですから昨今の不幸な事件・犯罪と報道される記事をていねいにみると、
ひもじさゆえの犯罪というものは無く、
そこにはかならず、
家族への暴行・虐待行為がついに犯罪をうみだしている元凶であることがみえてきます。
そのことをじつによく描かれた映画に、「息もできない」(ヤン・イクチュン監督)があります。
-- 毎日毎日、父親が母親にふるう暴力行為をみせつけられて育った男がチンピラになって、
いまでは老いた父親にむかってじぶんが暴力をふるう連鎖から逃れられずにいる。
「韓国の父親はサイテーだ。
このザマなのに家族の前ではキム・イルソン気取りだ!」などとチンピラの男が吐き捨てる。
肉親との過剰な愛憎とは、「親子密着」とみなすべき心の病に相当する。
第三者からみれば、とっとと別れたらよいものをと、おもえるのだがそうはしない。
それが親子密着というものの病の手ごわさなのだ。
おなじような境遇の(というよりこの種の暴力がいかに多いことか!)女子高校生との
不釣りあいだが 淡くて可愛い交友関係がうまれても、
ふたりは、余りにもやりきれなくて哀しくて、
じぶんのほんとうの生き難さを相手に話せない。・・・
ただそれぞれの深い哀しみのなかで、それぞれに嗚咽することが精一杯だ。
そして男の父親が自殺を図ったとたん、
「親父、どんなに死にたくても生きてろ!」と憎しみと愛しさが重なった言葉を吐く。
「オレの血をぜんぶ親父に輸血してやってくれ!」と泣き叫ぶ。・・・
これほど「親子密着」の深淵をみごとにとらえて表現された映画はない。
過剰な愛着が貼りついたままの過剰な憎しみが、暴力を、虐待を表現せずにおれない病。・・・
このように暴行・虐待のなかで育った子どもは、だれにたいしても、何にたいしても
「ゆえなき過剰な生きることの不安」を生涯にわたってかかえてゆくことになる。
そこからは、暴力にたよる生き方しか学べなかった子どもの
荒んだ、哀しい人生が待っている。・・・
-- 12月25日「埼玉・祖父母強殺少年」の地裁判決がしめされた。
少年の父母は就学前に別居し、その後に離婚。
少年を引きとった母親はホストクラブにはまって、なじみのホストを家に連れ込む乱れようで
小学4年生からはほとんど学校に行かなくなったという。
母親は再婚し、一時は元ホストの義父と母親と3人で静岡に暮らし、2~3カ月間は静岡の小学校に通った。
その後、住民票を残したまま埼玉に戻り、小学5年からは学校に通っていないという。
日雇い仕事で義父に収入がある日は3人でラブホテルに宿泊し、仕事がない日は公園で野宿した。
ささいなことで義父に殴られ、前歯が4本折れたこともあったという。
少年は母親と義父の指示で、親類らに金銭を無心していた。
弁護側証人として出廷した父方の祖母の姉は「約4年間で振り込んだ金は400万~500万円。借金して調達した」と証言した。
その後、義父は塗装会社に就職し、会社の寮で暮らしたが、間もなく義父は失踪。
少年は16歳から代わりに働いた。 母親は少年に給料の前借りを強要し、
金が尽きた直後、事件が起きたという。・・・
-- 少年の母親は子どもの家庭教育を放棄し、いわゆるホスト依存症をあらわしていた。
この母親はじぶんの破綻不安をホスト依存によってとり憑くことでしのいでいこうとしたものとおもわれる。
ホストの男も、なかば陶酔しつつ奈落に落ちようとする母親に魅かれるようにくっついてしまう
いいかえれば悪しき「共依存」の関係に陥ったというべきか。
幼い子どもは母親の徹底したネグレクト(放棄)に恐怖をいだかせられ、
そこからは母子に支配・服従の関係がつくられる。(これもまた母子密着の変型)
「言うことを聞かないと」という強迫観念が子どもを心の病理へと追いつめる。
そこには自我の発達さえも抑え込まれていて
社会との関係も、強大な母親の意向をとおしてしか「ほんとうに、わからない!」のだ。
母親の意向にそった行為だけが認められ、
それによってのみ
脳内に快感ホルモンのドーパミンが満たされるという
あまりに哀しい少年につくりあげられてきたのだ。
-- 「自分みたいな存在をつくってはダメだと伝えてほしい」・・・
少年は弁護士に、そう話したという。
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両親に虐待され死に追いやられたという
報道がありました(≧∇≦)
むろん、誰も初めから正しい親でありえない。
授かった子どもから、学びながら
少しずつ親が成長していくものなんだから。
そこをすっ飛ばして、問答無用の押しつけ支配をする人は
もともと、心が生きられない哀しい人生を送ってきたんだろうなあ。(≧∇≦)