ヨブ記ほど、「神の不在」を、苦渋に満ちて表現しているものはないのでは?
そういう意味では高く評価されてよい書物です。
それはそれとして、コメントをいただいた
エバラさんは「現実」から目を離そうとしておられるようにお見受けします。
現実での葛藤から、自分を解放してしまいたいと思い悩む時、
あるひとは、一直線に自分の気持ちに向かって内向化していくわけですが。・・
内向化の果てに、心を病んだり . . . 本文を読む
いまの時代にあってなお、古事記はおろか村落共同体でもなかろうに、
この種の「霊」や「前世」のこわーいお話やいわくつきのお話などには
もはや緊迫する「必然性」も「意味」さえ無いのは
アタリマエダのクラッカー!!
前田のクラッカーはいいが、
視聴率のためなら何でもやるテレビ局が「背後霊」になって後押しする
江原啓之のいかにもの憑依・ご託宣などというものは
その中身は老婆のオチばなしより程度の劣る . . . 本文を読む
室町時代以降のご大層な、芝居がかった陰陽道や宿曜道(占星術)が、
いわば権力の側からのおこぼれだとすると、
日本国中の村落共同体ごとに語り継がれる
神隠しや予兆や憑依(狐つきなど)現象は
もっとつつましく、かつ狂気を包み込んでいる。
たとえば、吉本隆明の「共同幻想論」によれば、
「ひとりの村民がじぶんの妹が息子に殺されたと同じ時刻に山奥で女の叫びごえをきいたとか、
町からの帰り道にザシキ . . . 本文を読む
藤原宮造営のときから
「風水」がもちいられたと記録されているが、
その「風水」というものに何の意味も無いことは、
その後にたびたび遷都がくり返されることによって皮肉にも露呈している。
特権的な「風水」を使おうが、呪術をかけようが
屁のツッパリにもなるわけがなく、
対抗勢力とのガチンコ対決という変転する現実を前にしては
そんなものにいつまでも執着した方が敗者となるのは自明なこと。
ま、すっ . . . 本文を読む
今どき、「霊」だ「前世」だ、ついでに「必然」だと騒がしい連中も
相当な頭だけども、
今から二千年以上前の古代日本では、
邪馬台国の時代から
占いや呪術が権力者の必須のスキルとされていた。
そこではまだ、共通する書き言葉も、暦・天文学も流通しない、
むしろ自然が支配する世界であった。
そんな古代に集落を営むというとき、
集落の中での出来事の予知は
共同体の者には難しいことではなかったけれど、 . . . 本文を読む
エバラ教に熱狂する状況も、
ある種「集団ヒステリー」と言えよう。
人はいつの時代であれ、
コックリさん的な憑依現象に
引き付けられる心的幻覚を受け取ることはあるのだということを、
まずよく心得ておくことである。
もとより、これらの集団ヒステリーも心的現象学の守備範囲にあるもの。
人間の心は結構簡単ではなく、
そういう内的なはたらき方があるのを含んでおかなければ、
見せられる現象に驚き、かえっ . . . 本文を読む
でも、それは止しませんか? 江原 啓之さん。
ノルアドレナリンが分泌されなくなって、
ここだけの話、
左脳がどんどん廃用萎縮していきますからね。
こんな事していて喜んでいるのは興行元のTV局だけさ。
番組に関わっている人も、視聴者のみんなもそろって、
アッチの方に壊れていってるのが気がかりですね。
そもそも、「前世」や「あの世」なんぞを持ち出してくる人間は、
それだけでもうアウト、もうお仕 . . . 本文を読む
その江原啓之にまだ自覚があるとしても、
自分のやってる事に、一切の責任を回避するためのキーワードがあるかぎり
彼には安全が保証されているわけ。
そのキーワードが「前世」と「必然」だ。
しかし男が社会的、道義的責任を放り出してなお、
世間様に何事かを発言したとしても、
そんな言葉にだれも信を置くわけがないのだ。
この番組の中では、はじめのうち
茶坊主(見世物だから木戸番か)の国分太一にしゃべら . . . 本文を読む
いくらへっぽこカウンセラーのテツ兄でも、
昨今人気のTV番組「オーラの泉」(ホスト役:国分太一、美輪明宏、江原啓之)
についていささか物を言わずにはおれない。
こんな番組が人気を博してることが、
やはり相当に日本の国が、いや人々が壊れてきている兆候を示している。
そしてきっと、テツ兄がこう言っても、「なにイラついてんの?」
と思うだけの人が多数になりつつあるんだろうなとも思うのだが。・・・
. . . 本文を読む