こんにちは、のほせんです。
ええー、みなさん、ずいぶんとご無沙汰でした。ご心配かけてもうしわけありません。
はや梅雨が明け、きびしい暑さが一気にやってきましたが、
こんな時節は、飲食を軽めにして、体調をコントロールしていきましょう。
たくさんクスリを処方されている方も、そのせいで肝臓腎臓に疲労があらわれていれば、
ぎんなん先生の井穴刺絡療法で内臓をピンポイントに回復させるようにしてみてください。
- さて今回は、
あの、「サカキバラセイト」の元少年Aが唐突に、手記を刊行したことについて、
驚きと同時に、以前からの懸念をこのさいに解決したいとおもい、
できるだけのかれの生育歴プロファイリングと、両親との関係をとおして、
かれ自身の告白をたどりながら病理の核心にせまろうとするものです。
「少年A 矯正2500日全記録」、「「少年A」 この子を生んで・・・」、それとかれの手記「絶歌」を精読。
読み通してみて、肝腎の知りたいところが明かされないままなのようにおもえてならない。
わたしは、Aの手記の書き出しが小説かノンフィクションのような文体で、
なにか勘違いしているようにおもいつつ読んでいくうちに、
ナルシズム的な絶唱のところどころに垣間見える自己救済の無自覚な願望に違和を感じた。
また、かれの手記の終わり近くには、
事件後のテレビ討論番組での十代の男子の問いかけを引っぱりだし、
番組のコメンテイターらが誰ひとりその問いに答えられなかったと非難がましく書いている。
- 男子の問いは、「なぜ人を殺してはいけないのか?」 -
これにたいする答えは何通りもあるけれど、 そのまえにA君、
きみは 「なぜ、人を殺してしまったのか?」をもっと自問して、できるかぎり明らかにすべきだとおもいます。
- 「殺した後に、じぶんが苦しむことになるから」 というきみの答えは、残念ながら
おおきなまちがいです。 それは結局、自己中心のものの考え方であって、
どこかじぶんも十字架を背負った被害者の位置にいるような思考回路になっています。
つまり、きみの「自己救済」と「罪を償うこと」という命題の設定には、
はじめから背反があり、矛盾がみられます。
どちらの概念も既成宗教の薄っぺらな倫理の言葉であり、そんなものは
「もし本当に罪が償えると思っているなら、それは傲慢だと思うし、所詮言い逃れにすぎない」と喝破した、
被害者の潤くんの兄さんの切実な言葉にはついにこたえられないとおもいます。
Aがそれでも生きてゆきたいと願ったいじょうは、生き難い苦悩がつきまとうのは避けられないでしょう。
むろん、きみが成りたくて殺人少年になったんじゃないと、
「気がつけば、こんな人間になっていたんだ」と、ほんとうは言いたいのも無理のないことです。
心の闇は、だれも気がつかないうちに、幼児期あるいは胎乳児期にうみつけられるものだから。・・・
- そもそもサカキバラセイト・少年Aも、精神鑑定に当たった医師も、もちろん裁判官も
「心の病理」の本態について、まったく理解していないという他ない。
- 「Aには、離人症状が存在し、解離傾性があった」
- 「Aは、人間関係を攻撃・支配するか、されるかの関係ととらえ、被害意識がつよく、
またつよい攻撃性と完全な支配性を持つ」
- 「しかし、Aはふつうの知能を有し、意識も清明で精神病を疑う症状も無く、心理テストの結果にも見当たらなかった」 --
つまり、精神神経症をあらわし、かつ「関係」性のまったき不全を性格としてみとめながら、
意識清明で、ふつうの人間だと言い張っているのだ。
これでは、無理からでも少年Aをお裁きにかけたい一心だと白状しているようなもの。
だが、どうみても少年Aがふつうではないこと、
あきらかに異常な精神のもとに殺傷行為におよんだことは明白な事実。
みなさんが思い描くような、強迫性妄想が激発して荒ぶる行動をあらわすことも病理なら、
少年Aをはじめとする殺人欲求犯は、
くりかえされた解離妄想のイメージ化とその妄想を現実化・実行するための思考回路の維持がセットになって、
はじめて現実への侵犯が行われ、それによっておぞましい快感を手に入れるという病理をあらわします。
この病理の特質は、快感を欲求するものですから、 仮に
まったく精神が崩壊しているとそれも成り立たないので、むしろ
しだいに抑圧や葛藤が無くなって、妄想実行の一方通行可能な心的状態を契機におこされる。
またこうも言える。
「人は自分が考えたことだけを実行する。」(経験同一化の法則)、
それは病理の人も同様であり、妄想イメージどおりに実行される。
- それで、みなさんは、かれが今、ほんとうに「寛解した」(法務省)のか? あるいは
「Aに再犯の恐れはない。彼が以前と同じパターンで小さな子どもを殺す可能性はゼロです。
なぜなら、もはやかれにはその「原因」がなくなったからです。」(関係者)
という矯正教育にかかわった人たちの言葉を信じていますでしょうか?
わたしは、Aが現在のじぶんの性的な現状について、
たとえば、性の欲動について、夢を含めた性対象についての倒錯の有無、
などがまったくあきらかにされていないところに手記に不自然なものを感じています。
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(次回につづきます)