心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

食べ友求む!という心の病理

2010-05-24 16:23:27 | のほせんの心理カウンセリング
こんにちは、テツせんです。
昨夜来からの雨もおさまり、
外ではやっと歩き始めたばかりの男の子が、
はじめて発見した水たまりに夢中になって遊ぶ様子がほほえましいかぎりでしたが、
みなさんのところはいかがでしようか?

さて、最近の複数のマスメディアの報道や記事によれば、
「友達がいないと思われるから、一人で学生食堂にいけない」という学生が増えているという。

なにせ「学食を一緒に食べようよ」という先輩たちのフォローが現実におこなわれているというのだ。
また、「学食で一人で食べているところを知人に見られたくない」ので、
携行食品を隠れるように食べているともいうし、
なかにはその隠れて食べる場所がトイレだったりするらしい!・・・

わたしなどはこの話を聞いただけで、「さもあらん」とすぐにガテンしてしまうほどに、
学生社会にかぎらず、じつはもう心的な病理が一般化されていることを肌で感じている今日です。

だが、当の本人たちはそのことについて、いまひとつ自覚が無い。・・・
たとえば、学生の個食回避・敬遠について、-
- 「友達がいないと思われたくないから」という理由を明かしているが、
それがすでに心の病理の境界のなかに入っていることには気づいていないのだ。

内閣府が学生に昼食の調査をした結果という記事があったが、
すでに調査した時点で事態が深刻であることを示唆しているとかんがえるべきだろう。

じっさい、
『昼休みの居場所がないために午後の授業を欠席する』とかいう《症状》があらわれだすと、
そのつぎは『自宅に引きこもり、大学に来なくなる』のは時間の問題になるわけです。
引きこもりも様々あるけれども、
こういう引きこもり方は、あきらかに負の行動という意味で、心の病理をかかえています。

心の病理ということを《行動 》という視点からみれば、
第三者から見て『本人にとって何の利益にもならない行動をとる』ことにあります。
つまり、わかりやすい例えでいうと、
『自分の利益のために行動する』という《犯罪 》の概念とは正反対の行動なわけです。
だからある意味では犯罪者というのは、現実に生きる人といえるでしょうか。

ではなぜ心の病理が、自覚のないまま、むしろ不利益を実現することになるのか?
本人は自分の気持ちに正直に行動しているだけなのに、
なぜ《今の現実を、関係を壊す》ということになっていくのか?

それは心の病理というものが、
現実を《回避・退行》し、
現実から《解離・逃亡》しようとする動機と欲求に根ざしているからです。

日常的に、ある人の右脳前頭葉に表象されるイメージが《自分が願望・欲求する快のイメージ》として、
先験的に《みんなと同調できて孤立しない自分のイメージ》であるとき、
しかし現実にそのイメージと一致しない場合の自分に対して、
堪えがたく、過剰に《不安恐怖》をもつことから病理の症状があらわれます。

現実が恐怖になるとき、人はそこから回避し逃亡しようとして、負の行動を起こします。
ここでは自分に正直に生きる(安心を得る)行動が、病理の行動になっています。
脳のバッド・イメージのとおりに行動するわけです。

もちろん、学食に悩む学生たちのおおよそは、
以前のブログ(『ニート作家・田中慎弥を読み解く!(続)いじめの病理』)にあるような
今日の『身動きの取れないほどに、同調性を自らに強いる』中学校、高校の、
異常な緊張する世界を体験してきていることが直接の根拠となって、
大学でもその呪縛からのがれられないために、
《同調と孤立》ということに過剰な反応をあらわすことは無理もないことのようにおもえます。

しかし、その同調には日本語の起源以来の『形式だけがよそおわれ』ているだけなので、
『社会に適合する』という本当の意味性を欠落させているために、
彼らはつねに、「自分の気持ちの方を優先したい」という、
『適合ではない反同調』という負の欲求を隠し持っている。

つまり、そこではある種の自己矛盾のなかで、内向し自閉的に生きることをしいられることになります。
それが、うつ病の契機でもあることは疑いえないことにおもわれます。
そしてそこでは、うつ破りの躁行動が待機していることもかんがえないではいられない。

そんな、内在的にうつ病をかかえてなお過剰な孤立不安恐怖にさらされる学生諸君が、
現実の中で「人とうまくいかない」ことがたび重なることはさけられないことです。

ひとりで学食にいくだけで、
「友達がいないと思われるから」という《関係妄想 》が左右の前頭葉に表象される。
ここでは、
『なぜ、だれが、何のために、君に対してそう思わなければならないのか?』
という第三者からの当然の問いに答えることができない《考え方の現実解離》がはじまっています。
それと同時に彼の大脳辺縁系には、反同調という鬱破りの破壊衝動が待機していて、
いつでも関係の破壊・逃亡の実行に走ることもまた予見されるわけです。
つまり、引きこもりがすぐ目の前にあるということです。

《不適合》そのものの恣意的なものの考え方・イメージ(関係性と了解性の不全)と
学校制度(ファンクショナリズムとプラグマティズム追求)の破綻が、
昨今のような気づかれないままの心の病理を大量にうみだしていることを
大学側が理解する知性をもたず、
ただ「なかよしごっこ」で対処していることが、不幸でないはずがないだろう。
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