心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

秋葉原無差別殺人・加藤智大の心の闇をカウンセリング(6/5の書き込み)

2008-07-18 19:27:23 | 心の闇と重大事件
この6月5日前後には一分刻みに書き込みをつづけるしかない加藤であった。・・

「うつの言葉」が「うつの波」のようにひっきりなしにあらわれる。

「・・なのに」「・・わけない」と・・

たとえば

「顔だよ顔 全て顔 とにかく顔、顔、顔、顔、顔、顔」
「彼女がいれば仕事を辞める必要が無かったし」
「彼女がいれば車を売る必要も無かったし」
「彼女がいれば夜逃げする必要も無かったし」
「彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊」
「彼女ほしい、けどできたら困る なにこの矛盾」
「どうせ一人だよ 悪いかよ」
「お前ら他人の気持ちなんか考えたことないだろ」
「他人の迷惑を考えられない奴は死ね」
とつづく。・・

ここにあるのは「うつ」の波から回避するための、

「自己憐憫」と「自己観念」と「自己矛盾」の安売りセール。


またここで言う「他人の気持ち」「他人の迷惑」とは

「オレの気持ち」「オレの迷惑」ということであって、

ただもう「オレのことだけを分かってほしい」という依存のあらわれに過ぎず、

加藤が他人の気持ちを分かろうとすることは、一度も無かった。・・


そして午前6時17分になって

「作業場に行ったらツナギが無かった 辞めろってか わかったよ」

というように、作業着が見当たらないことに過大な反応を見せる。

おそらく「陰湿なイジメ」のような「クビ切りの意図」を

自分のもっとも暗部に抱えるバッドイメージから妄想化したのであろう。


その瞬間に加藤はこの妄想を現実からの決定的な挑発攻撃と認知する。

それは同時に 心拍が下がる無呼吸状態になるために、

延髄の呼吸中枢が「心停止回避の」緊急シグナルを発して

右脳ウエルニッケに蓄積されたバッドイメージから

「暴れたら腕も痛くなった」というような

「ブチ切れ」て喚き散らす「うつ破り」の破壊的行動(負の快感行動)をうながしたととらえられる。


ここに到って家庭内暴力を含めた「暴力の記憶」が、

「誰でもいいから無差別に殺傷する」バッドイメージが、

憤怒の感情と同時に鮮明に喚起される。・・・

このとき 加藤智大は社会病理としての「全般性不安障害」を完成させたといえる。


「やっぱり悪いのは俺だけなんだよね こうやって邪魔者を排除するわけですね」
「通勤手当もないのに」
「やっかい払いができた会社としては万々歳なんだろうな」

このあと自室に着いてから「呑む」。・・

アルコールによって自分の妄想化をより勢いづかせている。

直後に
「スローイングナイフを通販してみる 殺人ドールですよ」といって、

殺意を浮かべて、一気にそのための実行に向かって動き出す。


「明日福井に行ってくる」
「犯罪者予備軍って、日本にはたくさん居る気がする」
「ちょっとしたきっかけで犯罪者になったり、犯罪を思いとどまったり やっぱり人って大事だと思う」
「人と関わりすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別に殺すし 難しいね」
「雨、やんでる 素晴らしいことだ」
「俺、病んでる 素晴らしいことだ」
「ギリギリいっぱいだから、ちょっとしたことが引き金になるんだろ」

すでに決行の腹を決めたあと、

妙に対自的に落ち着きを見せながら犯行の独白から自虐のセリフまで並ぶ。


「死ぬまで一人で 死んでも一人」
「一歩踏み出したら、あとはいくだけ」
「とりあえず、明日は頑張ってみるよ」・・


「うつ」がなお相当な行動停止作用を及ぼしているために、

「犯行の実現」に到れるかどうか加藤自身がまだ懐疑的な気持ちを見せたりしている。

..............
やや唐突ながら、ここで昨今「蟹工船」本が読まれだしたというようなことや

加藤の行動を派遣労働の犠牲者として讃える風潮がみられることについて

少し申し添えておきましょう。


大企業の社会的労働収奪という問題と

今回の加藤智大の病理行動とを

正しく峻別すべきこと。・・

この二つの大きな問題に一つの傾向性・バイアスがかけられて、感傷的に通り過ぎるだけでは、

次に来る時代を待たずして流されていく懸念があります。


たしかに1960年代後半から「出稼ぎ」という名の「季節工」たちが

大企業の都合の良い雇用・解雇形態に組み込まれて今に到っている。

中国シフト以来減少したとはいえ、

雇用をのぞむ男女が「派遣」という名の手配師システムの法制化によって

非正社員としてあらゆる産業にハケンされるようになっている。

労働組織は年を追って無力化し、

ハケン・季節工の孤立は深刻なまま放置されてきた。・・


だがしかし自らの雇用の不条理に対しては

経営資本と徹底的に向き合って解決するほかに道は無い。

労組がだめなら自分たちであたらしい取り組みを作り上げることだ。・・


いままでは、ただ使い捨てられてきた者たちの孤立した、

都会の流人のような思いが

「望郷じょんから」のような歌曲となって夜の場末に蒸散されてきただけだ。

・・みんな達者か 変わりはないか・・
・・辛さを堪(こら)え いい事ばかりを 手紙に書いて・・


加藤智大には、辛さを堪えてこう呼びかけるべき人は無く

望郷の思いをめぐらすべき「家族」は

遠く幼少期から破綻していた。

(つづきはまた後日に。7/18一部訂正加筆)












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