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中世日本の貧民と現代日本の棄民

2014-09-04 17:47:52 | 現代日本および世界

こんにちは、のほせんです。

夏休みが終わりましたね。

子どもも親も、それぞれに長い夏休みをもてあましたことでしょう。

ここから自律神経(交感神経)をオンにして、気合を入れなおしていきましょう。

さて先日来、
中世の貧民(説経師と廻国芸人)」(塩見鮮一郎著・文春新書)という興味深い本を読んでいます。

日本の教科書から排除された中世日本の真実の歴史があかされています。

著者はわかりやすく説明するために、

説経節(せっきょうぶし)「 をぐり(小栗判官)」の成り立ちに焦点をあてながら、

中世日本の隠れもない庶民の時代風景と風俗をしめしてくれています。

「まえがき」はつぎのようにはじまる。--

-- “ 中世は光と影のコントラストが強い時代である。
とくに南北朝以降になると、 中央政権の支配は地方や下層民には届きにくくなる。

伝統仏教は形骸化し、新興宗教の禅僧はひたすら武士にこびている。
おおくの庶民は、ぽっかりと雲間にあいた青空のもとへ投げ出されたようであった。・・

アウトローの集団が各地にいくつも誕生した。
「山椒大夫」のような豪族が、人商人(ひとあきびと= 奴隷商人)とむすびついて
低廉な労働力を確保し、塩業や鉱業などを営み経済力をつけている。--

関所のおおくが有名無実になり、山賊・追剥・拘引などの危険はあるものの、
まずはどこまでも廻国できた。 特産物を遠方まで運んでいけば、珍重されて高く売れる。
芸能もおなじで、京ではやる出し物を坂東でやると、やんやの喝采で、投げ銭が飛んできた。--
街道が情報のケーブルになる一方、そこは諸芸の舞台になった。 ”

-- “応仁の乱が起こり、下克上の血肉の争いがはじまり国中が騒然となると、
廻国する僧や、芸能者にとって、身の安全のためにも戦雲の動静に敏感にならざるをえない。
鎌倉公方は古河に走ったとか、太田道灌が江戸館を城につくりかえたとか、
そのような生臭い情報を宿場や祭礼の地で熱心に交換しあった。
関西にもどれば、清水寺や四天王寺の参詣人にも、東国の情勢を語った。

説経語りは客の好みに敏感であった。”--

元の「小栗判官」の語りは、いつしか荒唐無稽かつ壮大な物語にスケールアップしてゆく。

貴族だった御曹司が勘当のうえ毒殺され、「六根片端」姿でよみがえり、

紀州熊野までを土車に乗せられて綱で引かれてゆくという道行きに

聴衆はおどろきと涙の喝采をおくったという。

著者によれば、
全国を歩いていった説経語りは、主に「伊勢のこじき」が多くを担っていた。

伊勢の外宮と内宮をむすぶ丘が、有名な「間(あい)の山」で、途切れることなく参詣人がつづく道の両脇には

店がならび、遊女ばかりではなく、乞食芸人も参集して住み着いていた。 

そのなかに、長柄の傘とゴザをかかえた「説経語り」もいた。

貴族や出家の歌詠み道楽とはちがい、
その場で芸が受けなければ、親子・師弟の一家はたちまち餓死する運命にある説経師たちであった。・・

さて、「をぐり」の蘇生譚はなぜか常陸ではなく相模の上野が原ではじまる。

塚が割れ、餓鬼姿の男が地面にころがり、カラスがはげしく鳴いた。

-- 「あらありがたの御ことや、築いて三年になる小栗塚が四方に割れてのき、
卒塔婆は前へかっぱと転び、群烏笑いける」 --

をぐりは蘇生したものの六根片端の餓鬼姿に変わり果てていた。

そのため、ここから長い困難な旅を熊野本宮湯の峰までつづけなければ「本復」はかなわぬこととされた。

こうして説経語りは、土車(つちぐるま)に乗せられた餓鬼姿の「をぐり」が

見知らぬ人々に綱で引かれて道行くありさまを延々と声をふりしぼって演じたという。

ちなみに六根片端とは、目も見えない、耳も聞こえない、口も利けない、鼻も舌も触覚も無い。 おまけに

足はゴボウのように細く、あばら骨が浮きだし、腹だけふくれた餓鬼草紙からとびだしたような男が、

どうしても熊野本宮へ行き、つぼ湯に入らねばならない。

男に課せられた枷はきつく、それも京、大阪からの出発ではなく、

空っ風が砂塵まきあげる関東の荒野からスタートするという、なんとも、すごい設定である!と、著者も驚嘆する。

現代人からみれば、
この仰天すべき説経節が街道辻や村々で喝采を受けたことが不思議でならないかもしれない。

だが戦乱の世に農民も槍をもたされ、田畑が荒れ果て飢えとはやり病が国中の弱者たちを襲っていた時代。

京の都でも行き倒れ屍は放置され、カラスがついばみ、柿渋衣に白覆面の犬神人さえさわらぬ時代であったのだ。

どこの家でも、だれかを喪っていた。
幼児が病死した母親、親と死別した子、妻をさらわれた夫、夫が戦死した妻などが

説経節にじっと耳をすませ、胸をかきむしるような地獄そのものの語りにむしろリアリティを感じ、

共鳴し、嗚咽したのは時代の真実にふれていたためであろう。・・

-- 遠くかれら(われらの祖先)の、地を這う困苦の時代には、

それに見合った命懸けの説経語りがたしかにいたのだが、

かつてない「個」の生き難さを負わされた現代のわたしたちには、

どこをさがしても、それに見合う迫真的な語り部など見あたらないのだ。

「個人」としての存在価値を喪失した商品(コピー)として生殺しのまま、なおも強迫的に同調させられるのか、

それとも、棄てられた民として自覚的に「本当の自由」、「普遍的な個の自由」を獲得しようと、

個々の存在を懸けてたたかい、「存在の意味」に到ろうとするのか?・・・

-- 「人」は何者でもないモノとしては生きてゆけないのだから。・・・

(次回につづく)
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