こんにちは、大木です。
またまた、ずいぶんご無沙汰でしたが、
みなさん、いかがおすごしでしょうか?
お主こそどうなん? と、問われれば
いやはやもう、あまりの暑気に眠るのも一苦労といった具合でした。
きょうは頭に頭部刺絡をやってみることにします。
-- さてところで、8月12日といえば、あの日航機123便墜落の無念の日。
もうすでに、たしか33年の年月が経ちますが、
当時のCAさんと同期だった方が、事故調査委員会の結論への多くの疑念から
克明な資料の掘り起こしによる論述・青山透子「日航123便墜落 -- 疑惑のはじまり」(復刻版)を
発表して世に問うておられます。(このあとに第二、第三部作もだされています。)
第三者の眼から見て、
青山さんの指摘のほうがより真実に近いといわざるをえないでしょう。
そのほかに、直後の米軍による墜落現場の発見と
とつぜんの救助中止帰還命令(元米軍ヘリ乗務隊員の証言)。
(日本政府の要請によるものとおもわれる。)
また日本側の探索発見が異常に遅れたことの理屈づけとして、
「自衛隊と警察との救助活動の主導権争いが出動の時機をおそろしく遅延させた」というもっともらしい話もある。
本来緊急の事態に、争うべき理由になるはずもないとおもわれるこの長時間の空白のうらで、
自衛隊による事故現場の真相の隠蔽行動が行われていたという推論も、
生き残り証言などから、むしろ真実に近いものとおもわれる。
こうした非常時にも、この国の政権はなによりもみずからの保身のための虚偽と隠蔽を優先させてきた。
平時から、この体質がまるで固着した病理のようにみられるかぎり、
当然だが、国の非常時にも、症状のように発現されるのだとかんがえるのが筋だろう。
この国のひとたちは、なんとも困り果てたエライ連中を戴いたものだ。・・・