心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

誰がための維新なのか!

2013-04-10 18:03:24 | 現代日本および世界

こんにちは、のほせんです。

東北被災地では、もはや あやしく桜が舞い散る風情も 無く

ただ 寒々とした風が ひとびとに 言いようのない寂寥を もたらすばかり だという。

その心も、身体も この国から 島流しのように孤絶させられ 打ち棄てられている。・・・

その昔、国の民など眼中になく、権力争奪に執着する天皇や上皇らを見て、

僧空海は、「国家など その時々の 幻の姿なり!」 と喝破したという。

現代でも、この言葉のほうに真実があるようにおもわれる。

その支配の構造がより巧妙に、ともすれば 民のためにこそ 為されているのだと、

恩着せられた「為にする民主制度」という詐術の数々に 

この時代が 窒息させられようとしているのだが。・・・

 
いまではこの国の隅々にまで、

いよいよ見世物小屋と化したマスメディア媒体が、

この時代のあらゆる事象をトリックと詐術で都合よくねじまげ

「アトラクション」好きな市民をひきこんで、日夜、化かしつづけるのに いそがしい。

さほど遠くない時期に 

若年から老年までひっくるめた 痴呆症状が 

この国を存分に満たしていることになるのか。・・・

- 「北の零年」という映画のなかで、明治3年にもなって

淡路から北海道の開拓地に追放された稲田藩士たちが つくづく吐いた言葉が

「われわれは 棄てられた!」 であった。

「岩倉、薩摩、長州らに だまされた。

やつらの為の ‘ 維新 ’ じゃったんだ!」・・・

まず、いまどき 維新を吹聴する者などは、この言葉のしめす

当時の 本当の、維新(薩長欧米傀儡政権のための統制化)を知るよしもなく、

ただもう、こどものようなお祭り気分にひたって、騒いでのぼせているばかり。

まったく、組織と制度に長年もたれきった官吏と労働貴族たちと、

それを叩いて、米国支配層直伝の「人で無し」自由化制度を「維新」と叫ぶ権力者

この不遜で、不毛なお騒がわせを いったい何と呼べばいいものなのか。・・・

さて、映画のなかでは、

その棄てられた人たちのなかでも、飢餓を前にして絶望だけがひろがってゆくと、

生きるために、やがて人間の本性が露出してきます 。

男は 正義を語り、  女は 身を売る。・・・
「男は口ばかり。 口ばかりの男は もういらん!」
「お腹の子を守るためなら 何でもする!」・・・

そして、この絶望から脱出するために、改良米の籾に突破口をもとめたものの、

大事を託された男は待てども帰らず。

数年後にとつぜん、男は新政府の官吏となってあらわれ、

この村に戦争徴用の馬の供出を命令します。

かつて、開拓村の指導者であった男が、
「夢から覚めてしまった。 ただの戯言だった。」 と言い

男の妻だった女は だまって 男を赦すような まなざしさえたたえて 男を見切り、 

しかし 命令を拒絶し たたかう意思をみせる。・・・

これも、いつの世も 男の底はたかが知れていることを

よくあらわしていると思わずにはおれない場面です。

こう書いているときに、ふっとおもいだしたのは、

最近読みかえした ノーベル賞作家・大江健三郎氏の「静かな生活」。

「家ではだれも父の小説を読まないの」という関係しか築けなかった、

そのご大層な作家の小説には、自身を露悪的に客観視したようにみせてはいても、

人間への深い認識もなければ、覚悟もない

どこかで思いあがった小説家 大江氏自身の限界が露呈していて

そこそこの女性にかかったら、やはり嗤って 見切られる口にちがいないようにおもう。・・・

それから、 維新とかいってさわがしい連中もまた

きっと、その口に入るのは まちがいないところだ。・・・・・
..........................................

次回では、「青春」についてお話しするとしましょう。 

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