皆様お久しぶりです。
前チーム副将を務めさせて頂きました中道麻衣です。
このウサギは、以前ホッケー部からもらった誕生日プレゼント。。。
どうやら私の分身らしいのですが、、、似てますか?
まずはじめに、
昨日は私達4年生のために、盛大な予餞会を開催して頂き、
本当にありがとうございました。
OB・OGの方々、かわいい後輩達、多くの方々に祝福して頂けた喜びと同時に、
とうとう卒部を迎えてしまったという寂しさをも感じています。
さて、4年間を振り返るシリーズ(?)も私で6人目。
今回を含め、残り2回となりました。
私も懐かしい写真と共に振り返っていきたいと思います。
どうか、もう少しお付き合いください。
話はだいぶ遡りますが、私は中学1年生からホッケーを始めました。
とはいうものの、中学入学当初は、
バスケ部に入る気まんまんで、わくわくしながら仮入部に行ったわけです。
が!!
小学校からバスケをしている友人と初心者の自分とのレベルの差に、
入学後2週間やそこらで目の前が真っ暗になりました。笑
「バスケ部は無理だ。何を楽しみに学校に行けばいいんだ。」
まさにそんな感じでした。笑
そんな時に私を救ってくれたのが、ホッケーです。
バスケ部の仮入部前、ホッケー部に誘ってくれた友人に、
「ほっけーよく知らないし。もうバスケ部に決めてるんだ!」と、
あっさりとそれはあっさりと断っておきながら、
翌日には何もなかったかのようにホッケー部の仮入部にいきました。笑
うちの中学には、埼玉県で唯一のホッケー部があったんです!
入部した段階では、全員が初心者。スタートラインは同じ。
同じ期間の中で、誰が、どれだけ上達したか、
目に見えて分かるわけですから、
こんなに燃える徒競走はありませんでした。
負けず嫌いの自分には、ぴったりだったのだと思います。
そして入部。←あっさり(本当にホッケーの仮入部が楽しかったんですよ!)
そんな運命的なホッケーとの出会いから、月日は流れて10年。
中学から高校、高校から大学と進学するたびに、
「ホッケーはこれでおしまい」と毎度親に断言し続け、、、
はい、そうです。今に至ります。笑
結局気がつけば大学までホッケーをしていました。笑
ホッケーという競技に完璧に魅了されてしまったわけです。
そんな10年のホッケー生活の中でも、
早稲田大学ホッケー部での4年間は本当に濃い時間でした。
家族と過ごした時間よりも、
ホッケー部と一緒に過ごした時間の方が確実に長かったと思います。
ちなみに私、実家暮らしですが。笑
第二の家族と言っていいほど居心地のよい環境でした。
土日の練習後にはみんなでご飯をむしゃむしゃ食べに行き、
春には団子を食べるついでに花も見ました。笑
暑い日も寒い日も雨の日も雪の日もホッケーしました!!
練習後は、一人暮らしの先輩や同期のお家で鍋パやたこパなんかもしました。
色々な地方に合宿や大会の遠征に出かけましたし、
(大阪・広島・宮城・京都)
予餞会や早慶戦といった、ビシっと体育会らしく正装を着ての式典もたくさんありました。
オフの日を使って小旅行にも出かけ、
(奥多摩・箱根)
同期の誕生日には、集まってお祝いもしました。
(これは亜衣の誕生日を迎えた瞬間にドッキリでおしかけた時です)
他の部活動の早慶戦を観戦して紺碧や校歌を熱唱したり。
4年生のときには、大学の総長を訪問する、光栄な機会もありました。
部活動中に限らず、オフや長期休業といったプライベートでも、
ホッケー部と一緒にいると、楽しく過ごすことが出来ました。
私はホッケー部に入って、多くのことを学びましたが、
特に“組織のもつ力”の大きさは、今後絶対に忘れないと思います。
大学の部活動は、本当に多くの関係者に支えられ、
また、高校までとは比べものにならないほど学生主体の活動が多いものでした。
偉そうに言えるほどの大した役割を果たすことは出来ていませんが、
それでも特に4年生としての1年間は、組織をまとめることの難しさを痛感しました。
しかし、その困難を乗り越え結束した組織(チーム)には、
強い強い結びつきがうまれるのだということも感じました。
個人では出来ないこともチームなら出来る!
辛くてもチームのためなら頑張れる!
「繋」というスローガンのもと、活動してきたこの1年で、
部員や関係者の方々と築き上げた「繋がり」は、
今後一生私の宝物になると思います。
春からは“会社”という新たな組織の中で、人と人との繋がりを大切にながら、
ホッケー部魂をもって頑張っていきたいと思います!!
最後に、
早稲田大学ホッケー部を支えて下さる皆様に心より御礼申し上げます。
そして今後ともどうぞよろしくお願い致します。
次はついにラスト。我らがキャプテンPIYO!!よろしくー!!
もっと選んでよ。笑
翔子が・・・。笑