「親戚を連れて来い」という指示をようやく翻してもらい
一人でK先生の事務所を訪ねたのは翌日の午後一番のことでした。
こうした弁護士事務所の事務員はなぜこうも
おとなしそうで化粧っ気のあまりない女性ばかりなのだろうなどと思いながら
“馴染み”になったから少し微笑んでくれる彼女に案内されて
引き継ぎの時とは違う狭い部屋に通されました。
そこがK先生の個室のようです。
数日後に債権者集会と免責申尋を控えて尋ねられたことは
まさに“蛇の道は蛇”、S先生の予想通りでした。
つまり、親戚から借り入れた数百万円のお金の流れは
提出されている通帳コピーのどれに該当するのか、再度の説明を求められたのです。
破産しそうだからタダで、または格安で不動産などの財産を譲ってしまったり
破産することが明白になった以降、隠匿する目的でそれら売却してしまったりすると
それらは「詐害行為」と呼ばれる…
さらに、返済時期が来ていない借金を一部の債権者のみ返済してしまうと
詐害行為の中でも「偏頗(へんぱ)弁済」という行為に当たる…
などなど、あれほど一生懸命勉強したのに
「実際には借金などしていなかったのではないか」などという一番の原点
それも、善人はそこまでしないのではないか、と思うような部分を疑われるとは
なんともはや、情けないというかなんと言うか。
逆の言い方をすると、本当の悪人は有りもしない借金をでっち上げ
それを返済する風を装って財産を隠匿するということなのでしょうから
返済の原資がなく自宅をもって代物弁済した私など
善人中の善人ではないかと思わずにはいられないではありませんか。
それも、当初は事業を継続するために残された唯一の方法で資金を手に入れることが目的であって
隠匿などという大それたことを考えていたわけでは決してなかったのですから。
ただし、二女夫婦がダメで、止むを得ず親戚へ売却するように方向転換してからは
事業継続の意思が萎えたことは確かですが、かと言って
隠すよりも彼らを住まわせてあげたい一心だったわけで、結果としてそれが
銀行に損害を与えるという理屈などに考えが及ばなかったと言ってもあながち外れてはいないのです。
ところで、借金そのものの存在については
親戚の通帳に残る出金ページのコピーと私の通帳にある入金ページのコピーによって
3回に渡る借金のお金の流れが明白でしたので、K先生も納得せざるを得ない状況でした。
これでホッとしたのもつかの間、次なる質問です。
(K先生)「自宅建物と地上権の売却価格の算出はどうやって行いましたか?」
(私)「懇意にしている△△不動産のHさんに代金を払って相談に乗ってもらいました」
(K先生)「ああ、△△不動産ですか。具体的にはどんな計算方法ですか?」
Hさんの勤めるこの不動産屋は歴史も古く
この近辺では名の通った会社なので「ああ」と言ったのでしょう。
Hさんがかつて、不動産の評価額はキチッと算出しておいた方が良いと言ったのは
こうした事態を予想していたからに違いなく、さすがプロ、と改めて感心させられました。
ところが、あれほど詳しく何度もレクチャーされていながら、肝心なこの時になって
地上権評価額の算出方法を失念、慌ててその場でHさんに電話して
「あんなに何度も教えたでしょ」となじられながらも、次のような回答をしました。
(私)「建物は固定資産税課税評価額を売却価格にし
地上権については(当時の路線価)÷0.8×(面積)を土地の時価として
そこに(借地権割合)の0.5を掛けて算出したそうです。
ただし、相談の上、端数は調整して総額〇〇百万円としてあります」
(K先生)「なるほど、専門家が算出したのですね」
(私)「ハイ、然るべき代金を払って依頼しました。ただ、仲介料を支払う余裕はありませんでしたので
契約書の作成までを頼み、売買自体は個人間で行うことを了解していただきました」
(K先生)「分かりました。ところで、××(貸金業者)の〇十万円は何の支払いですか?」
(私)「数年前に歯医者で組んだインプラント代です」
(K先生)「治療費ですね。僕も1本、それが入っています。
ところで、仕事以外での浪費はまったく見られませんね」
(私)「若い頃はともかく、独立してからは仕事以外には何も・・・」
インプラントでちょっと仲間意識が芽生え、それまでの緊張が緩んだのでしょう
ウカツにも涙ぐみ、言葉に詰まってしまったのです。
(K先生)「もう結構ですよ。自宅を購入した親戚の方も連れて来る必要はありません。
いろいろお尋ねした結果、管財人という立場上、何の問題もなしというわけにはいきませんが
裁判官には免責許可やむなしの意見書を提出しておきます」
(私)「・・・、ありがとうございます」
かくして、破産管財人の調査は無事終了。
それにしても、あそこで涙がこぼれるとは…。
もしかしたら“誠実性”を伝える役に立ったのかも、などと
不埒なヤツというそしりを受けてもしょうがないことまで考えた私でした。