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(実録)会社倒産&自己破産のススメ

コトの顛末と関連する法律・理論をお伝えすることで、この道をお考えの方々の心の負担が軽くなるよう願っています。

ついに「免責許可決定」が確定し、借金がゼロになった!!

2011-11-22 | 【免責までの道程】

破産手続開始(破産宣告)に次いで2度目の官報公告から2週間
ついに「免責許可決定」が確定し、すべての借金から解放されて
晴れて0からのスタートが認められました!!

同時にこの間、わずかばかりの“士”職業などに対する制約も
これをもって消滅して元に戻る「復権」も同時に果たしたのです!

“許可の決定が確定”などと、同じような意味合いの単語が重なり合うことで分かるように
何段もの階段を一歩ずつ登って来て、最初の破産&免責申立書の提出からは約8カ月
閉店したXデーの日からはなんと1年と1カ月近くの歳月を要したことになります。

もっとも、見方を変えたら、たったこれだけの時間で、決して多くはない残りの一生を懸けても
返し切れるはずもない2千数百万円を返し終えたのと同じことになったとも言えるのです。

「〇〇銀行を主とした債権者の犠牲の上に立って私の再生を図る」ための制度なのですから
ここはひとつ、この銀行にだけは心からではないにしても
形だけは感謝の意を表すことにしましょう。

債権者の皆さま、犠牲になっていただいて本当にありがとうございました。

さて、お礼を述べて最低限の礼を尽くしたところで、話を戻しますが
この「決定の確定」はどこにも公表されませんので
これを確認するためには裁判所に直接、電話などで問い合わせなければなりません。

つまり、即時抗告の期限が官報公告の翌日から2週間後に当たる日の午後12時なので
これの提出が裁判所になされなかったこと(すなわち確定)を確認するわけです。

これは、上級審への即時抗告はこの決定を下した裁判所にされるからです。

同時に、電話を受けてくれた担当書記官Hさんに
この一件の記録の閲覧はできないかと尋ねてみると「できる」と言います。

ずっとビクビクさせられていた〇〇銀行の異議申し立ては
いつの時点でどんな内容だったのか、また
破産管財人K先生に調査のために呼び出された際に
「何もなしというわけにはいかないが免責止むなしの意見書を提出しておきます」と言った
裁判官に提出された意見書の内容はいかなるものだったのか
そして3つ目は、債権者集会でK先生がつぶやくように言ったため聞き取れなかった
破産法7〇条の〇の部分を、今後の参考のためにどうしてもはっきりさせておきたかったのです。

「電話をしたうえでお越しください」とHさんが言うので
数日中にそうします、とお返事してその日は、20歳代以降
何十年振りかに味わう無借金の解放感の中で、定番の晩酌を楽しみました。

ただし、ここに至ってもなお、完全に胸のつかえが取れないのは、下のように
Aの破産犯罪は問題ないにしても、Bに関してはまだ、1年間の時効期間があるからです。

免責許可決定が確定したとき、次の場合は取消を申し立てることができます。
A)破産者が財産隠匿などの破産犯罪で刑事事件として有罪判決を受けた場合
(B)破産者に不正な行為があった場合で免責確定後1年以内

法律的に借金を踏み倒すことができるとは言っても
さすがに幾重にもバリヤーが設けられているのですねえ。

 

 


免責許可決定!!

2011-11-13 | 【免責までの道程】

平成23年(フ)第〇〇号

決定

(私の住所)

破産者 (私の名前)

主文

破産者について免責を許可する。

理由

破産者には破産法252条1項各号に掲げる
免責不許可事由に該当する事実は認められない。

平成23年10月〇〇日

△△地方裁判所民事部
裁判官 (裁判官名)

これは正本である。

平成23年10月〇〇日

△△地方裁判所民事部
裁判所書記官 (書記官名)

 

この書面が、債権者集会&免責審尋の翌々日にS先生を経由して私の手許に届きました。

集会当日、裁判官が最後につぶやくように言った「それでは免責ということで…」が
「免責許可決定」を宣告していたことがこれで明確になったのです。

TV等で見る刑事裁判のように、「判決を言い渡す。被告人は死刑」みたいに
「決定を言い渡す。破産者の免責を許可する!」と
声高らかに言って欲しかったなあ、と正直、思いました。

この一言を数ヶ月間、ただひたすらに待ち望んでいたのですから。

 〇〇日からほぼ2週間後、この事実が破産手続開始に次いで再度、官報に公告され
公告の翌日から2週間後の日の午後12時までに即時抗告がなされなければ
この免責許可決定が確定することになります。

また、主文と理由の部分だけが異なるもう一枚も同時に届いています。

 

主文

本件破産手続を廃止する。

理由

破産財団をもって破産手続の費用を支弁するのに
不足すると認められる。

 

こうして見ても、破産手続開始の申立と免責許可の申立てが同時に提出はされても
別件で処理されることが分かります。

これで免責が許可されないと破産手続は廃止(終了)されたのに
免責は許可されないという最悪のパターンに陥ることになります。

なにはともあれ、「確定」して借金がチャラになるのは14日も後のことですが
まずは許可が決定になって良かったなあ、本当に!

閉店した日から数えて、すでに1年+数日の歳月が流れています。

 

 


債権者集会と免責審尋の日 ②「免責ということで…」

2011-11-12 | 【免責までの道程】

「債権者が出席しているから後で一言、挨拶するように」

出席者全員が一礼する前に、S先生が私の耳元で囁きました。

挨拶と言っても、債権者集会で元社長たる私が言えることは
「申し訳ありませんでした」とお詫びする以外はありません。

まずは破産管財人のK先生から、出席者全員に会社&私の財産目録と収支計算書が配られ
破産財団が全くないことが告げられ、これで財産状況報告と計算報告の集会
つまり債権者集会は終了、僅か数十秒のことでした。

この時、会社の収支計算書を見て、管財事件に必要な予納金20万円が
会社の破産財団20万8千数百円の中から拠出されていた
つまり、臨時決算書の現金残高はこの金額だったことを初めて知りました。

また、個人の現金残高は財産目録に一切、記載されないこと
掛け捨ての生命保険は「財団を構成しない(解約返戻金0円)」と書かれて資産0円なこと
合計で11万円程度の預貯金も「財団を構成しない」と書かれ回収されないこと
なども同時に分かりました。

(裁判官)「次に、免責に関しては特に意見書は提出されていませんが
何かこの場でご意見のある方はいますか」

「ハイ、自宅売却に関しての経緯を知りたいのですが」

案の定、〇〇銀行から債権を買取ったはずの〇〇債権回収会社の“紺色スーツ”が尋ねたのですが
質問内容がこうであったかどうかの記憶が実は曖昧です。

(K先生)「お答えします。購入した方は経営に全く参画しておらず
経営内容を知ることはありませんでした。
また、売却価格については××不動産が算出しており
妥当な価格であったことを確認しています。
破産法7〇条にも・・・(よく聞き取れませんでした)。よろしいですか」

(紺色スーツ)「分かりました」

(裁判官)「他に何かありますか」

ここでS先生がこちらを見て、目で促しましたので

(私)「一言ご挨拶をさせてください」

(裁判官)「どうぞ」

(私)「平成〇年の創業以来、株主、取引先、そして債権者、特に本日ご出席の〇〇銀行様には
ヒトカタならぬご協力をいただき、多くのお客様のご愛顧に応えるべく寝食を忘れて頑張ってきましたが
こういう事態を迎えてしまったことはお詫びのしようもございません。本当に申し訳ありませんでした」

(裁判官)「それでは、以上で免責ということで…」

また全員起立して一礼、これですべて終わりでした。

呆気ないというか、嬉しい期待外れと言うか。

さっき持って来た弁当屋の弁当を食べるお昼休みまでは
まだ充分過ぎる余裕が残っている時間でした。

帰りの下りのエレベーターからは、廊下で何やら
ぼそぼそと立ち話をしているK先生と〇〇債権の“紺色スーツ”の二人が見えましたが
この狭い空間で顔を突き合わせているのも嫌なので、二人を待つことなく
S先生だけが乗ったところで「1F」と「閉じる」のボタンをさっさと押したのでした。

裁判官とK先生の言ったこと含め、S先生には訊きたいことがあったのですが、1階に着くや否や
健康のために歩いて帰るからと、S先生は一見、意気揚々と足早に裁判所を立ち去ってしまいました。

そして翌々日、最後に裁判官が言った「免責と言うことで…」が
「免責許可決定」であったことを、S先生経由で手許に届いた書面で知ることになったのです。

 

 


債権者集会と免責審尋の日 ①債権者が一人出席した!

2011-11-11 | 【免責までの道程】

K先生に呼び出されて疑問点を何個か質問された際に、最後に言われた
「管財人という立場上、何の問題もなしというわけにはいきませんが
裁判官には免責許可やむなしの意見書を提出しておきます」という言葉が
正確にはどういう意味を持つのか知る由もありませんが、もしかしたこれが
裁判所に「免責裁量(*)」を促す意見書を提出する、ということを言っていたのかもしれません。

それぞれの立場でそれぞれの考えに基づいて行動されているS、K、M、3名の先生方ですが
結局、最後に決断して決定を下すのは担当のH裁判官ただ一人です。

「免責許可はまず大丈夫でしょう」とか「(私に有利な)意見書を提出しておきます」とか
これらの先生方の口から何度聞かされたところで、所詮、気休めに過ぎず
この日に初めて顔を拝むことができるH裁判官がどのような裁定を下すかが全てなのです。

そもそも「免責許可決定」なるものは一体、いつ下されるのでしょうか。

この集会ではまだ結論が出ないのでしょうか。

こうして悶々としながら迎えた10月〇〇日
午前11時から裁判所の大会議室で「財産状況報告集会・計算報告集会」
いわゆる債権者集会と、私の「破産手続廃止に関する意見聴取のための集会」
そして、「免責審尋」が同時に開催されました。

この集会名だけで判断すると
「破産手続廃止(終了)」が今日下される可能性があることは分かるのですが
免責については、許可決定の前の段階である「免責審尋」が行われるだけなのですから
肝心な免責許可がいつ下されるのか全く分からないまま、この日を迎えていました。

裁判所の1階ロビーでS先生と待ち合わせ、大会議室のある〇階へエレベーターで。

私が会社で利用していたのと同じ弁当屋が運ぶ、20個ほどの弁当の載った代車と同乗でした。

私のその日の服装は、緑と茶の小さな千鳥柄チェックのブレザーと茶の別珍製ズボン
半年ぶりのネクタイは緑ベースの小鳥柄というトラディショナル系スタイルで
これが私の趣向であると同時に、紺、グレーなど
こうした場でのお決まり色のスーツは1着も持っていませんので
礼服以外ではこれが精一杯の正装だったのです。

普段は車屋の時からの習慣でツナギ姿が多く
一応、S先生に事前に何を着て行けばよいか尋ねたところ
「どんな服装でも良いが、あまり普段着っぽくない方が良い」と言われていたことに応えたものです。

普段、似たような趣味のアメカジ系のS先生もさすがに今日はスーツ姿です。

それでも、明るいグレーに白のやや太めのストライプであるところが
一般のサラリーマンとは違うぞという先生の主張の現れなのでしょう。

弁当屋と同じ階でエレベーターを降り、人気の全くない廊下を右へ行くと
1カ所だけ扉が開いています。

なるほど“大”だけあって、3人用長テーブルが横3列、縦10脚程度
90人は収容できる広さの会議室です。

入室するとすぐに受付があり名簿に記帳し
一番左の窓側の前から2列目に私、S先生はすぐ右隣の真ん中の列に席を取りました。

その直後、S先生が「一人来たねえ」と言うから後ろを見ると
30歳代と思われる眼鏡をかけた小太りの紺色スーツ姿の男性が受付で記帳しています。

(S先生)「多分、〇〇債権回収でしょう。やっぱり来たね」

通常は債権者など誰も出席しないと言われているようですが
当初から異議を唱えていた〇〇銀行系の債権回収会社はやはりこの集会に出席して来たのです。

そして、先生の3列後方に陣取りました。

しばらくしてK先生が入室しましたので
軽く会釈しながら「その節はお世話になりました」とご挨拶
K先生は軽くうなずきながらS先生と一言二言ヒソヒソ話を交わした後
正面に3つほど横に並んだ長テーブルの向かって左の席に着席しました。

すぐに続いてH裁判官が正面真ん中、書記官と思われる方が右に陣取って
いよいよ全員が揃って形が整ったことになります。

裁判官も法曹服ではなく、どなたも皆、紺またはグレー系のスーツ姿です。

このH裁判官も眼鏡をかけた細身の40歳前後に見えますので
弁護士2人、紺色スーツを併せて、私以外のこの世代の方々が
今や世の中の主要な部分を担っていることを実感しないわけにいきません。

ただ一人の30前の若者と思われる書記官の号令だったと思うのですが
全員起立の上、一礼して債権者集会と免責審尋が開始されました。

 

(*)…裁量免責とは

免責不許可事由が存在する時でも、裁判所は必ず“不許可”決定をしなければならないわけではなく
破産手続開始決定に至った経緯その他一切の事情を考慮して
免責を許可することが相当であるときは、裁量で免責を許可することもできます。
(破産法252条2項)

裁量免責の可否にあたり、考慮される具体的事由としては
(a)免責不許可事由に該当する行為の動機、原因、その後の状況
(b)免責不許可事由に該当する行為の態様、行為時における債務者の主観的状況
(c)弁済努力の有無 (d)債権者の信用調査の有無、程度 (e)債務者の更生の意欲、更生の見込みの有無
(f)債権者の意見  などがあげられます。

実際、免責不許可事由が存在する場合に弁護士が代理人に付くことによって
少額管財手続により、裁判所の裁量により免責されたケースは多数存在します。

免責が許可されないケースは全体の0.1%(1000件に1件)程度とされています。

 


破産管財人は別のK弁護士

2011-10-29 | 【免責までの道程】

「管財事件」とは、第三者的立場で破産時に残った財産(破産財団)を換金、分配したり
裁判官に免責許可に関する意見書を出すべく調査が必要な案件のことですので
この場合の第三者は、他ならぬ債権者の味方、つまり私の敵と言うことができます。

費用がかからず簡単に破産宣告を受けられる「同時廃止」にできず
「異時廃止」の管財事件にされてしまった理由が
〇〇銀行の子会社△△債権からの破産申立に対する異議があったため、と
数ヵ月前に転任してきた裁判官が、法人は原則、管財事件にする方だったため、の
2つの理由をS先生の事務職の女性から聞き出していました。

この2つとも、S先生は分かっていたのですから、ならばなぜ
可能性の低い同時廃止を当初目指したのか、は今でも理解できない部分ですので
いずれ機会があれば尋ねてみるつもりです。

ところで、私の代理人であるS先生から
裁判所が任命する破産管財人のK弁護士に業務の引き継ぎがなされたのは
「破産開始決定(いわゆる破産宣告)」の書面が届いた7月〇日の数日後のことでした。

すでに打ち合わせてあった日時にS先生に伴われて
〇〇地方裁判所のすぐ近くにあるK弁護士事務所を訪ねたのです。

私の車に同乗して行くと言うので、いくら10年も前の軽自動車で友人から譲られたものとはいっても
私が車を持っていることが分かってもよいのか、ふと心配になりましたが
先生は特に気にする風がありません。

「他人から借りてりゃいいんだよ」

そりゃそうだ。車の名義は実際、義母になっているし…。

この時、私がどんな服装で行ったのか覚えていないのは
それほどに緊張していたからかもしれません。

女子事務員に案内された2階の広い相談室は、8人分の椅子が取り囲んだテーブルでほぼ一杯
東側の壁面は価値の程は不明の飾り物が置かれた作り付けの棚、南と西側は窓でしたので
S先生の相談室のような閉鎖感はありませんでした。

ただ、私にとっては、弁護士との相談のような内密の話は
こうした解放感のある明るい場所よりも、少し暗めの狭い方が落ち着けます。

女子事務に案内され待つこと1、2分
現れたK弁護士(以下、K先生)はS先生と同年輩の40歳前後と思われ
髪は僅かにウェーブがかかって頭に張り付いていたのが印象的で
比較的カジュアルな服装のS先生よりは真面目そうな風体の紺色のスーツ姿です。

ただ、特にウルさそうな感じではなくちょっとホッとしたことを覚えています。

段ボール一杯の書類と予納金20万円を手渡しながら
「あとはよろしく」と挨拶するだけの簡単な引き継ぎでした。

この20万円は弁護士費用の他に店舗の閉鎖がすべて終わった後に集金した20万円を
「それはこちらでお預かりします」と言われ、なんのお金か分からないまま
お渡ししておいた分であることがこのとき分かりました。 

ちなみに、予納金は、一旦裁判所に収め、管財人がなすべき仕事をした後に
裁判所から報酬としてK先生に支払われるそうです。

段ボールの中には、厚さ数センチもある書類の束が数冊
預金通帳の束、ハンコ類が入っていたのを垣間見ていますが、あの膨大な厚さの書面のほとんどが
関係するあらゆる資料のコピーであることをその時は知りませんでした。

裁判所に提出する書類はすべて書面でなされることを別件で過去1、2度経験していましたが
これだけの書類を作成するのですから
弁護士費用の半分は、その手間賃なのでは、と思えてしまう厚さです。

「何か分からないことがありましたらお呼び出しします」と
帰りがけにK先生に言われ、そうしたことがないように祈る理由はただひとつ
S先生から「今回の件のたった一つの問題点は自宅売却の経緯だけで
あとはなんの心配もない」と聞かされていたためです。

つまり、破産は認められたが肝心な免責を得られるかどうかに
免責不許可事由に該当するかもしれない一つの問題があるということです。

「まあ大丈夫だから」というS先生の言葉も
“まあ”が付いたのではなんの慰めにもなりません。

当初目論んだ同時廃止が上手く行かず
S先生に対する一抹の不信感を抱いていたのですからなおさらです。

そのうえ、すべてを委任したS先生から見ず知らずのK先生に引き継がれてしまい
「うまくコトが進むの?」「今後どうなるの?」と不安な気持ちばかりが心に広がっていました。