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189. 父から子供達に伝える日本の近代史その2:日本の近代史の特徴

2018-11-07 10:14:10 | ウッドデッキ
日本の近代をどこからとらえるかと言うと、鎖国をして封建社会であった江戸時代から、明治維新を経て明治時代になった時からが、日本の近代の始まりととらえるのが妥当なところだろう。ただ、勘違いをしてはいけないのは、ヨーロッパのように暗黒の中世から、ルネッサンスを経て、市民革命を経験して近代になったと言うのでなく、江戸時代の間に、多くの近代化システムの基礎が築かれていたことや、この時代の市民の自治意識が高く、市民革命をする必要がなかったと言うことだ。先の日本の歴史の特徴でも説明したように、天皇制も武士道も日本人の民度の高いのもすべて、この江戸時代には存在していた。この民族の基礎を元に日本の近代化が一斉に進んだと言うことだ。
そのため日本の近代史の特徴として言えることは、次の3つだ。

■近代が始まる前にその下地が完成していたこと
江戸時代の日本と言うと、鉄道も馬車も文明と呼べるものは全くなく、諸外国の基準で言うと未開の国と言えるかもしれない。しかし、この時代に民間教育は行き届き、識字率は諸外国よりも高く、為替や先物取引と言ったような信用を通じて商売が成り立つようなシステムが構築されていて、いつでも近代に脱皮できる準備ができていたことだ。だから明治維新で体制を根本的に変換し、外国からの技術をすぐに受け入れることでできた。

■封建時代から近代への転換に大きな混乱がなかったこと
封建時代から近代へ転換すると言うことは大変なことで、国の制度の身分も何もかも根本的に変わる。日本の場合、この転換期を明治維新と言うが、これを英語に直すと「革命」と言う言葉になってしまう。しかし、これが他の国には見られない平和的な革命で、必要最小限の紛争しか起きなかった。通常であれば、まず内戦の悲惨な殺し合いがあり、国土は荒れて、それから立ち直るのには多大の努力が必要になるが、そうならなかったのは天皇制と言うシステムのおかげで、新旧二つの勢力もどちらも天皇の臣下であると言う意識があったことが、内戦を最小限にした理由だろう。確かに戊辰戦争と言う、一部の内戦はあったものの、大きな混乱にはならなかった。また、「敵は親族に至るまで全員を抹殺する。」と言う大陸的な考えもなかったし、「自分と自分の一族の繁栄が何よりも優先する。」と言う考え方は日本にはなかったことが幸いした。
そのため、この大転換の時代に国の混乱が最小限ですんだと言うことだ。

■近代になってわずかの期間に欧米に追いついたこと。
日本が明治維新を迎えたころは、帝国主義全盛の時代で、アジアの中で日本だけが、短期間の間に欧米先進国に追い付いたと言うことは信じ難い奇跡だった。
このようなことができたのは、当時の指導者達に危機感が共通してあったことや、近代化を行う上での宗教や政治のゆがみがなかったことが大きいが、根本的には日本人の民度の高さによるところが大きい。
現代であれば、開発途上国は世界から救いの手が差し伸べられ、経済援助を受けることができる。しかし当時は、少しでもすきがあれば国は植民地にされ、貿易についても不公平な条約を押し付けられてしまう時代だった。実際、江戸時代に締結された貿易協定や対外条約は不平等極まりなかったが、日本は、粘り強く交渉をして、その不平等条約を改訂をするのに40年以上の歳月を費やした。
明治の初めに日本が欧米から招請したお雇い外国人から徹底的に学び、また海外に留学した日本人が、留学先で、言葉の壁や、民族差別を、ひたすら誠意と勉強熱心さで、克服して、それぞれが日本のために尽くしたことが、日本が欧米先進国に追いつけた理由だ。
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