ここの所、新しい環境には結構飲み会等が多くて既に慣れたのですが
自分でも何だか今までが今までだっただけに少々Lazyな自分がいます。
人生の中で、実際に体調が悪くて仕事や学校を休んでしまった事もある人も
いらっしゃるかと思いますが、何となく行きたくないなぁとかうっかり寝坊
してしまって、どうせだから休んでしまえという経験のある人いるかと思い
ます。
そんな時、なんで自分はそういう行動をしたのだろう?と考えてみると
単純に普段から夜更かしをしていて起きれずに…という場合でもそれに
至る理由はあるかと思うんです。
それまで真面目にしていた人が、ある日を境にそうでなくなってしまう。
これについては本来期待していたものに裏切られたり、手にする事が当然の
事として認識されていたものがそうでなかった。根源に「失望」という要素
がわずかでも存在していたのではないか?と思うんです。
そうだとしても反社会的行動や非社会人的行動は、理由はどうあれ良い訳
にしかならないのもまた事実であり甘えだと言わざるを得ない。
けれども、このストレス社会と一口に言ってしまうのは簡単ですが、過去に
書いた様な覚えがなくはないですが、人はそれぞれ走るペースは違うものの
時に走り続けて、走り疲れている事に気付かせる為の潜在意識からのSOSで
ある可能性もまた否定出来ない事と思います。
よく言われれる五月病が良い例でしょう。
私も、過去にハイペースで走ってきて環境が変わってもそれを感覚的に変える
事が、どこか手を緩めるような気がしてしまって自分自身を休ませてあげたり
いわゆる「ぼーっとする時間」を持たず、自己を省みる時間すら惜しむように
仕事、趣味、勉強とどこか悪い言葉のように聞こえるようになってしまった
「ゆとり」というものがみな必要な気がします。
言い方を変えれば「余裕」がなければ、いつも張りつめていて誰かを許す所か
自分自身すら許せなくなってしまう危険な感じすらします。
それはいつも100点でなければ意味がない、100点でなければ価値がないと
思い込んでいる完璧を求める自分がいるからなのでしょう。
誰が何と言おうとこの世の中は(日本だけでなく)紛れもなく競争の世界です。
だけど、そんな世の中でも自分はたった一人ですし、今は見えなくても手にして
いなかったとしても大切なものきっとあると思います。
だから、たとえ自身が冒頭に述べた様な状態にある時というのはきっと考える
時間をもって自己を省みたり、これからを考える必要がある時なのではないか
と思えるんです。
自分でも何だか今までが今までだっただけに少々Lazyな自分がいます。
人生の中で、実際に体調が悪くて仕事や学校を休んでしまった事もある人も
いらっしゃるかと思いますが、何となく行きたくないなぁとかうっかり寝坊
してしまって、どうせだから休んでしまえという経験のある人いるかと思い
ます。
そんな時、なんで自分はそういう行動をしたのだろう?と考えてみると
単純に普段から夜更かしをしていて起きれずに…という場合でもそれに
至る理由はあるかと思うんです。
それまで真面目にしていた人が、ある日を境にそうでなくなってしまう。
これについては本来期待していたものに裏切られたり、手にする事が当然の
事として認識されていたものがそうでなかった。根源に「失望」という要素
がわずかでも存在していたのではないか?と思うんです。
そうだとしても反社会的行動や非社会人的行動は、理由はどうあれ良い訳
にしかならないのもまた事実であり甘えだと言わざるを得ない。
けれども、このストレス社会と一口に言ってしまうのは簡単ですが、過去に
書いた様な覚えがなくはないですが、人はそれぞれ走るペースは違うものの
時に走り続けて、走り疲れている事に気付かせる為の潜在意識からのSOSで
ある可能性もまた否定出来ない事と思います。
よく言われれる五月病が良い例でしょう。
私も、過去にハイペースで走ってきて環境が変わってもそれを感覚的に変える
事が、どこか手を緩めるような気がしてしまって自分自身を休ませてあげたり
いわゆる「ぼーっとする時間」を持たず、自己を省みる時間すら惜しむように
仕事、趣味、勉強とどこか悪い言葉のように聞こえるようになってしまった
「ゆとり」というものがみな必要な気がします。
言い方を変えれば「余裕」がなければ、いつも張りつめていて誰かを許す所か
自分自身すら許せなくなってしまう危険な感じすらします。
それはいつも100点でなければ意味がない、100点でなければ価値がないと
思い込んでいる完璧を求める自分がいるからなのでしょう。
誰が何と言おうとこの世の中は(日本だけでなく)紛れもなく競争の世界です。
だけど、そんな世の中でも自分はたった一人ですし、今は見えなくても手にして
いなかったとしても大切なものきっとあると思います。
だから、たとえ自身が冒頭に述べた様な状態にある時というのはきっと考える
時間をもって自己を省みたり、これからを考える必要がある時なのではないか
と思えるんです。