昨晩クレオフーガの作曲コンテストに複数作品提出し終えて着眼点として気付いたことをつらつらつづる
得意の自問自答タイムはじめます(n‘∀‘)ηキター
コンテストで散々愛媛の風景を作りまくって
最後の締め切りまで1週間切りましたヨーというところで気付いたこと。
自然の風景系の曲って、…もしかしたらメロディ的なメロディが少ないか、はっきりさせない方がしっくりくるんじゃないの?疑惑。
なんか自分の作る曲のうち、どうもイメージとしてしっくりしないなぁ~と思うときって
メロディが立ち位置に困っていることが多かった記憶…
(メロディ「わ、私ここに居ていいんでしょうか…?;・`ω・;)」的な)。
曲が現地のイメージとしてぴったりしてるなぁと(個人的に)思う作品は 採用/不採用曲に関わらずその辺の扱いがスムーズ。
そういう曲はメロディが立ち位置に困ってる感じはなかったはず(参加曲一通りほぼ全部聞いてみてます2000曲超゜。(の_,の;;)。゜)。
とりあえず、自他曲問わずメロディがせわしなく音の移動をする曲は主張が前に出過ぎた感じを受け、
風景イメージからちょっと外れていた印象(たしか。)。
風景は風景でも、人だの意思だの思念だの なんやかんやを絡めたイメージの曲になると
メロディの立ち位置が 比較的中央にデンと構えた曲もバランスが良い印象になりやすい様子。
「ワタシ、メロディですけど 何か?(。・`-・)デンッ」みたいな。
(あえてメロディはずしてみるのはそれはそれで うっすら思念っぽい感じを醸し出せて良いのかも)
もしそうだとしたら、お題:卯之町の町並み が比較的他の風景お題に比べて作りやすかったのは
どうやらメロディを前に立たせやすい作曲癖がついている様子の私にとっては必然だったのかもすれないけど
…ホンマか~??
意図、意思、思念、観念などが介在しなさげな場合は(イメージ対象を擬人化させない場合)
メロディをメロディ然 としないやり方、
脱メロディ的和風な音運びのやり方(これは今回の地理に特化)、
メロディを和音(ハモり)でオブラートに包んで和らげるやり方、
メロディの小節内の音数を少なめに抑えたやり方、
ピチカートなど短い音でメロディ符の長さを抑えたやり方
などを駆使してた作曲作品は比較的自然風景と相性良かったぽさげ。
ちなみに
減衰しない電子音系でまとめた曲作れた人の中に自然風景(水ものを除く)イメージに合う作品出した人がいて
オォ(・∀・)!っと思えたので、電子音と自然風景の関係もアプローチ次第ではイケると思いまちた。
これはもしかしたら受取手側によるものが大きいのかな…?
(メロディに電子音を持ってくるやり方は自然風景にはかなり厳しいという思いは変わらないんですけど…)
写真一枚から引き出せるイメージで
コレといった主張を持ちつつ、
色んな人が聞いていて気持ちの良い、
実力に伴った曲 を短期間で作るっていうのはまったくまったく…
難しいもんだなぁ。
まぁでも、
イメージって人によってようけ異なるもんだわぁ。
ということで、パブリックイメージを意識するかしないか、がこういう曲のまずの出発点なのかも。
こんなことを60曲超作ってから気づいたのもアレだけど、気づかないよりは良かったね、と思うことで円満解決。
次につなげまそぅ。
にしてもみかんの段々畑の風景曲は難しかったやぁ…
あの風景にピアノ曲と歌以外でイメージに合わせるのってどういうやり方があったのか…
みかん畑がマンダリンオレンジ畑になっちゃうのじゃ不憫だし…
こたえ未だ見出せまひぇん∩(・ω・`;)∩
得意の自問自答タイムはじめます(n‘∀‘)ηキター
コンテストで散々愛媛の風景を作りまくって
最後の締め切りまで1週間切りましたヨーというところで気付いたこと。
自然の風景系の曲って、…もしかしたらメロディ的なメロディが少ないか、はっきりさせない方がしっくりくるんじゃないの?疑惑。
なんか自分の作る曲のうち、どうもイメージとしてしっくりしないなぁ~と思うときって
メロディが立ち位置に困っていることが多かった記憶…
(メロディ「わ、私ここに居ていいんでしょうか…?;・`ω・;)」的な)。
曲が現地のイメージとしてぴったりしてるなぁと(個人的に)思う作品は 採用/不採用曲に関わらずその辺の扱いがスムーズ。
そういう曲はメロディが立ち位置に困ってる感じはなかったはず(参加曲一通りほぼ全部聞いてみてます2000曲超゜。(の_,の;;)。゜)。
とりあえず、自他曲問わずメロディがせわしなく音の移動をする曲は主張が前に出過ぎた感じを受け、
風景イメージからちょっと外れていた印象(たしか。)。
風景は風景でも、人だの意思だの思念だの なんやかんやを絡めたイメージの曲になると
メロディの立ち位置が 比較的中央にデンと構えた曲もバランスが良い印象になりやすい様子。
「ワタシ、メロディですけど 何か?(。・`-・)デンッ」みたいな。
(あえてメロディはずしてみるのはそれはそれで うっすら思念っぽい感じを醸し出せて良いのかも)
もしそうだとしたら、お題:卯之町の町並み が比較的他の風景お題に比べて作りやすかったのは
どうやらメロディを前に立たせやすい作曲癖がついている様子の私にとっては必然だったのかもすれないけど
…ホンマか~??
意図、意思、思念、観念などが介在しなさげな場合は(イメージ対象を擬人化させない場合)
メロディをメロディ然 としないやり方、
脱メロディ的和風な音運びのやり方(これは今回の地理に特化)、
メロディを和音(ハモり)でオブラートに包んで和らげるやり方、
メロディの小節内の音数を少なめに抑えたやり方、
ピチカートなど短い音でメロディ符の長さを抑えたやり方
などを駆使してた作曲作品は比較的自然風景と相性良かったぽさげ。
ちなみに
減衰しない電子音系でまとめた曲作れた人の中に自然風景(水ものを除く)イメージに合う作品出した人がいて
オォ(・∀・)!っと思えたので、電子音と自然風景の関係もアプローチ次第ではイケると思いまちた。
これはもしかしたら受取手側によるものが大きいのかな…?
(メロディに電子音を持ってくるやり方は自然風景にはかなり厳しいという思いは変わらないんですけど…)
写真一枚から引き出せるイメージで
コレといった主張を持ちつつ、
色んな人が聞いていて気持ちの良い、
実力に伴った曲 を短期間で作るっていうのはまったくまったく…
難しいもんだなぁ。
まぁでも、
イメージって人によってようけ異なるもんだわぁ。
ということで、パブリックイメージを意識するかしないか、がこういう曲のまずの出発点なのかも。
こんなことを60曲超作ってから気づいたのもアレだけど、気づかないよりは良かったね、と思うことで円満解決。
次につなげまそぅ。
にしてもみかんの段々畑の風景曲は難しかったやぁ…
あの風景にピアノ曲と歌以外でイメージに合わせるのってどういうやり方があったのか…
みかん畑がマンダリンオレンジ畑になっちゃうのじゃ不憫だし…
こたえ未だ見出せまひぇん∩(・ω・`;)∩