国を思うて何が悪い

国を愛することはなにもはずがしがることではないはずです

沖縄米海兵隊>日本政府、グアム移転に追加融資案

2010-08-27 17:46:21 | 日記
毎日新聞からの記事です

在沖縄米海兵隊のグアム移転計画を巡り、日本政府が日米合意の融資額を上回る資金を国際協力銀行(JBIC)を通じて米側に追加融資する案を、非公式に米政府に伝えていたことが27日、分かった。政府関係者が明らかにした。移転計画は日米合意で定めた期限の14年より遅れる可能性が高く、追加融資で計画を進展させる狙いがある。しかし、新たな負担増となる提案は日本政府内にも異論があり、具体化には調整が必要となっている。【仙石恭、横田愛】
 海兵隊のグアム移転は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題と並び、06年に合意した「再編実施のための日米のロードマップ」の柱。政府関係者によると「追加融資を用意しているので、移転計画を早急に進めてほしい」と非公式に米側に伝えた。米側は追加融資を求めているが、具体的な金額は提示していないという。ただ、追加融資した場合に資金回収できるか不透明なことなどから、財務省や防衛省には慎重な意見がある。
 グアム移転は、沖縄の負担軽減策として、駐留する海兵隊8000人と家族9000人をグアムへ移す計画。移転経費総額は102.7億ドルで日本側が60.9億ドルを分担する。このうち「真水」と言われる財政支出は28億ドル。上下水道や電力など社会基盤整備に対しJBICを通じて7.4億ドル融資することが決まっている。ただ、人口増に対応する社会基盤整備が進んでおらず、米国防総省はグアム移転に伴う環境影響評価(アセスメント)の最終報告書で、14年の移転完了を17年に先延ばしする提案をしている。日本側は追加融資で、整備の遅れを食い止めたい意向だ。
 追加融資はJBICを中心に民間金融機関と実施する方向で検討。日米合意の変更が必要だが、09年2月に締結したグアム協定は、融資額が明示されておらず変更は不要という。

対等外交を明言しておきながら、実際は前政権自民党よりも醜い民主党、借金まみれの日本を更に借金漬けにして国民の安全、また基地関係で働く人達、出入り業者の人達の移転後のことも考えずただひたすら票集めに走る民主党、もういい加減にしてくれ。

【平良武夫】在日米軍基地と沖縄労働組合の知られざる実態 1[桜H22/6/28]

竹島問題 韓国の主張覆す古地図見つかる

2010-08-23 12:31:55 | 日記
日韓両国が領有権を主張する竹島問題で、韓国側の領有の根拠のひとつを覆す17世紀末ごろの朝鮮の木版印刷の古地図が神戸市立博物館で見つかっていたことが22日、分かった。韓国側は、当時、竹島が「子山(于山)」と呼ばれ、この時期に朝鮮国漁民が「子山は朝鮮の領土」と鳥取藩に主張し認められたという記録があることを有力な根拠としている。ところが、この地図の子山は実際の竹島と方角も距離も違う位置に記載されており、別の島の可能性が高いという。

 見つかったのは「地図」と題された朝鮮の地図帳の中の「江原道図」。記載の地名から1684~1767年の間に朝鮮半島で流通したとみられる。当時の朝鮮半島の古地図が確認されたのは初めてという。

 地図では、朝鮮半島の東側にある鬱陵島のすぐ南側に「子山」という島が描かれている。実際の竹島の位置は鬱陵島の南東92キロにあり、位置も方角も異なる。

 子山が問題になるのは、1696年に朝鮮国の漁民、安龍福が日本に密航した際、自身が所持する朝鮮図に鬱陵島と子山島が記載されていると供述した記録が島根県・隠岐の「村上家文書」にあるからだ。

 安龍福は鳥取藩によって追放、送還された後の取調べで、自ら鳥取藩主と交渉して「松島(現在の竹島)は即ち子山島、此れ亦我国の地(子山島は朝鮮領)」と認めさせたと朝鮮側に証言したとされる。

 このため、竹島をめぐる領有問題が持ち上がった後年には、韓国で領有権を日本に認めさせた「英雄」とされている。

 朝鮮でこれまで見つかった古地図は、鬱陵島近くの東や西に「子山」の「子」の字が変化したとみられる「于山」という島が描かれており、日本側は于山は、竹島ではないとしていた。しかし、この古地図は安龍福の時代ではないことが問題点のひとつだった。しかし、今回の地図は、安龍福の生きた時代で、その地図の記載から、安龍福が実際の竹島ではない島を自国領と主張したことを示す可能性が高いという。

 島根県竹島問題研究会の杉原隆・副座長は「安龍福の時代の地図が見つかったことで、子山島の位置が竹島の領有権の根拠にはなり得ないものであることが改めて明らかになった」と話している。

竹島問題を考える


新藤義孝「いま竹島で何がおきているのか-怒りの外務委員会報告2」


韓国は竹島の領有を放棄し、即刻日本領土から出てゆけ

金賢姫元工作員からの手紙

2010-08-23 09:35:38 | 日記
産経の記事からである

【ソウル=黒田勝弘】先ごろ日本政府の招きで日本を訪れ、横田めぐみさんの両親をはじめ拉致被害者家族らを激励した大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元北朝鮮工作員(48)が、訪日から1カ月を機に産経新聞ソウル支局に手紙を寄せ、日本訪問の感想を伝えてきた。

 手紙は滞在中のことを振り返り、日本の関係者に感謝の気持ちを示すとともに、日本での“厚遇”について「心の負担になったし、本当に申し訳なく思っております」としている。要約は次の通り。

                   ◇

 私が1990年5月、日本人拉致問題を公式に提起して以来、ちょうど20年後に拉致被害者の国を訪れることができました。長い年月が過ぎましたが、限りない苦痛を受けている方々に会えたことに私は感謝のお祈りをささげました。

 7月20日未明、私を乗せた飛行機は(韓国の)仁川空港を出発し、2時間半ほど後に暗闇の中で羽田空港に無事着陸しました。

 私は眼下に灯(あか)りが点滅する東京の夜景を見下ろしながら、胸にこみ上げるものがありました。ああ、ここが(拉致被害者の)田口八重子さんが暮らし、その家族がいる、そして彼女があれほど帰りたがっていた故郷、東京なんだなあと。

 私のように彼女も、飛行機で平壌空港を出発し東京に帰ってくる姿を思い浮かべました。その日が必ず来ることを信じています。

 私の生涯にとって、今回の初めての日本訪問は歴史的な出来事でした。私は北朝鮮では大学で日本語を専攻し、工作員に指名され、田口八重子さんと一緒に暮らしながら日本の言葉や文化を学びました。

 その後、日本人名義の偽造旅券を持ち工作員活動をしましたが、日本には一度も入国したことがありませんでした。そのため、いつの日か日本に行ってみたいと思ってきました。その機会が皮肉にも“合法的”な身分で、しかも北朝鮮ではなく日韓両国政府によって実現したのです。

 入国手続きを終え、厳重な警戒の中で到着したのは東京から遠く離れた軽井沢の別荘でした。取材陣のものすごい取材競争から、日本で拉致問題が国民の大きな関心事になっていることを実感しました。

 韓国人の拉致被害者や戦争捕虜が約1千人にもなる韓国の立場からみて、私を招いた日本政府がうらやましく感じられました。そして取材熱気に私は緊張し、気が重くもなったのです。

                   ◇

 軽井沢の別荘での最初の公式行事は、招請していただいた中井洽(ひろし)国家公安委員長・拉致問題担当相との面談で始まりました。彼からは拉致問題の全般的な現状について意見をうかがいました。

 夕刻には田口八重子さんの兄・飯塚繁雄さんら家族と会い、昨年の釜山以来の再会を喜び合いました。翌日の昼食には息子の耕一郎さんに、なすび炒めと牛肉のプルコギを作ってあげました。私は彼に「お母さんが戻ってくると、もっと上手に作ってくださいますよ」と言いました。

 本当に楽しいひと時でした。田口八重子さんもこのことを知ればとても喜ぶだろうと思いました。

 2日目の夕刻には横田めぐみさんの家族と会いました。私にとっては歴史的な瞬間でした。

 私が「めぐみさんが来なければならないのに、私が来てしまってすみません」と申し上げたところ、お母さんの早紀江さんは娘に対するように私を温かく迎えてくださいました。私は北朝鮮でめぐみさんに会った状況などをご両親に詳しく話しました。

 早紀江さんは娘の子供のころの様子をいろいろ話され、「娘は数奇な運命をたどったと思っています。あなたが悲劇的な運命に耐え、けなげに生きて日本を訪問したように、娘も北朝鮮であらゆる苦難に耐え、しっかり生きて祖国に戻り自分の前に現れることを願っています。誰が何と言おうと娘は生きていると信じています」とそのつらい心情を語られました。

 私は早紀江さんに「そうした奇跡が起きますようお祈りいたします」とお話ししました。

                   ◇

 次の日は場所を東京に移し、拉致被害者の家族たちと面談しました。すでに写真で知っていたため初めてという感じはしませんでした。拉致家族の写真を手にそれぞれ経緯を語られる方々に、私は期待に沿えるようなことをお話しできず申し訳ない思いでした。

 多くの方々がお年を召しておられ、いっそうつらい思いでした。数十年もの長い間、やるせない気持ちで待ち続ける家族の苦痛を思い、涙が流れました。私は「北当局は死亡したというけれど、北のどこかで必ず生きています」と語り、皆さんに慰労と勇気を与えようと努めました。

 日本政府がヘリコプター遊覧などあまりに私を厚遇しすぎではないか、という批判的な見方があったと聞いています。資格のない私への厚遇は心の負担になったし、本当に申し訳なく思っております。

                   ◇

 軽井沢からヘリコプターで東京に移動する際、上空から下を見ました。限りなく広がる緑の山野、海を抱いた美しい東京…。田口八重子さんや横田めぐみさんたちがあれほど見たがり、懐かしがっていた祖国の大地でした。彼女たちもいつかは飛行機で帰還し、あの山野や都市をきっと見下ろすことになるでしょう。

 彼女たちを救出するため努力を続ける政府や家族、そしてその背後に、祖国の山河が変わらない姿で静かに彼女たちを待っているのだということが分かりました。だから彼女たちは決して寂しくはないのだと。

 今回の日本政府、国民、拉致被害者家族の私に対するこの上ない歓迎には重ねて感謝申し上げます。とくに招請していただいた中井国家公安委員長には心から感謝いたします。

 ただ私が一部で期待された“新しい情報”を提供できず失望させてしまったことは、心苦しい限りです。拉致被害者家族の心的苦痛が少しでもやわらぎ、拉致被害者が1日も早く帰ってこられることを切に望むだけです。

 2010年8月下旬 金賢姫

日本での“厚遇”について「心の負担になったし、本当に申し訳なく思っております」と書いてあるが、それならば韓国国内でも北朝鮮に拉致された人達もいるのだから、日本と韓国の拉致被害者が一日でも早く帰国できるように先頭に立って活動していただきたいものである。


金賢姫来日 韓国人の思い


西田昌司「金賢姫元死刑囚を国賓待遇する必要はない!」





中井洽拉致担当大臣 「横田めぐみさんは、高校生のとき仕事帰りに拉致された」

2010-08-20 19:27:28 | 日記
中井洽(ひろし)拉致問題担当相が19日、霞が関の官庁街を訪れた子供たちに、拉致事件について誤った情報を伝える一幕があった。夏休みの催し「子ども霞が関デー」での出来事。

 子供たちから「拉致問題で私たちに何ができますか」と質問され、中井担当相は横田めぐみさん=拉致当時(13)=の拉致事件を説明。「めぐみさんは高校生の時、仕事帰りに拉致されたが…」と述べた。

 めぐみさんは中学1年だった昭和52年11月、新潟市内で、学校でのクラブ活動からの下校途中に拉致された。拉致の残酷さを象徴する事件さえ正確に覚えておらず、担当相としての自覚が問われることになりそうだ。

馬鹿もここまでくるとコメントできません><

拉致問題国会答弁 - 辛光洙が含まれてるとは・・・(千葉大臣)


中井大先生はこんな人
Wikiより

中井 洽(なかい ひろし、男性、1942年6月10日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(11期)、国家公安委員会委員長(第81・82代)、内閣府特命担当大臣(防災担当)。
民社党副委員長、法務大臣(第54代)、自由党副代表、民主党副代表などを歴任した。

生い立ち
1942年(昭和17年)、満州国新京市(現在の中国吉林省長春市)に生まれた。戦後、三重県上野市(現在の伊賀市)に引き揚げた。上野市立白鳳幼稚園、上野市立西小学校、上野市立崇広中学校を経て、東京へ父と引越して東京都立立川高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業した。
日本社会党の衆議院議員だった父の中井徳次郎の秘書を務めた。社会党右派の徳次郎が、社会党左派の執行部と対立して離党するのにともない父子で社会党を離党した。第33回衆議院議員総選挙において日本社会党は左派の田口一男を公認し、中井は無所属で立候補したが落選した。選挙戦で民社党の支援を受けたので民社党に入党し、第34回衆議院議員総選挙に旧三重県第1区より立候補し、34歳で初当選した。

1963年 - 中井徳次郎秘書。
1972年4月 - 日本社会党離党。
1972年4月 - 衆議院議員選挙落選。
1975年6月 - 民社党入党。
1976年12月 - 衆議院議員選挙当選。
1986年7月 - 衆議院議員選挙落選。
1990年2月 - 衆議院議員選挙(5期)。
1993年7月 - 衆議院議員選挙当選(6期)。
1993年8月 - 衆議院商工委員長。
1994年5月 - 法務大臣。在任期間が短かったため、死刑執行起案書はまわってこなかった。
1994年12月 - 新進党参加。
1996年10月 - 衆議院議員選挙当選(7期)。
1997年12月 - 自由党参加。
2000年1月 - 衆議院国会等の移転に関する特別委員長。
2000年6月 - 衆議院議員選挙当選(8期)。
2002年10月 - 自由党副代表。
2003年9月 - 民主党入党。
2003年11月 - 衆議院議員選挙当選(9期)。
2003年12月 - 民主党副代表。
2005年9月 - 衆議院議員選挙当選(10期)。
2006年9月 - 民主党常任幹事会議長。
2007年8月 - 民主党常任幹事会議長。
2009年8月 - 衆議院議員選挙当選(11期)。
2009年9月 - 国家公安委員会委員長。

日韓議員連盟
日華議員連盟
北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
米消費拡大・純米酒推進議員連盟
日本会議国会議員懇談会

以上。馬鹿につける薬があったら是非、中井大先生へ。。。

抗議・その他送付先
http://www.nakai-hiroshi.net/

自衛隊が離島奪還訓練 

2010-08-19 11:54:27 | 日記
防衛省が今年12月、新たに策定した沖縄・南西諸島の防衛警備計画に基づき、陸海空自衛隊による初の本格的な離島奪回訓練を、大分・日(ひ)出生(じゅう)台(だい)演習場などで実施することが、18日、明らかになった。

 東シナ海における中国海軍の勢力拡大をけん制するのが狙いとみられる。訓練は日米共同統合演習の一環として行われ、米海軍第7艦隊が支援する。

 訓練は、青色(味方)軍と赤色(敵)軍に分かれ、大分県内の陸上自衛隊日出生台演習場の一部を離島に見立てて行われる。

 まず、赤色軍が自衛隊の配備されていない離島に上陸、占拠し、島内に対空ミサイルなどを備え付けるとともに、周辺海域に海軍艦艇を集結させているという状況から始まる。

 すぐさま防衛出動が発令され、防衛省は、対地、対艦攻撃能力の高い空自F2戦闘機と海自P3C哨戒機を出動させる。赤色軍の対空兵器を弱体化させるとともに、陸自空挺(くうてい)団員など約250人が乗り込んだ8機の空自C130輸送機が、空自F15戦闘機の護衛を受けながら離島に接近する。空挺団員らは次々にパラシュートで降下し、海空自の援護射撃を受けながら赤色軍を制圧、島を奪い返すというシナリオだ。

 訓練は同演習場のほか、沖縄・南西諸島周辺の訓練海域も使って行われる。

 これまで防衛省は、周辺国への政治的な配慮などから、離島を想定した大規模な訓練を控えてきた。だが今年3、4月の2度にわたって、中国海軍の艦隊が同諸島の周辺海域で大がかりな訓練や挑発行動を繰り返すなど、ここ数年、中国海空軍の活動は活発化しており、日本にとって相当な脅威となってきていた。

 防衛省幹部は「中国に対し、日本は南西諸島を守りきる意思と能力があることを示す。それが抑止力となる」と訓練の目的を説明する。同省は訓練の一部を公開する予定という。

という記事を読売で見た。

民主党政権下でこの訓練をするとは小生、とても驚きが隠せない。過激派、労組、民団などの支持で票を集めているのに、こんなことが実現するとはびっくりだ。

只、このような訓練は国防を考えれば大変重要なことであり、国民の生命安全を守る上で当たり前の訓練である。もっと欲を言えば訓練終了後、そのまま米軍と共に、韓国に不法占拠されている竹島の奪還もお願い出来ないものか。まあそれは無理だとしても今回の訓練を実戦と代わらないくらいのものにして、是非年明けには竹島の奪還を切に願うものである。


自衛隊 JSDF 2010