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中井洽拉致担当大臣 「横田めぐみさんは、高校生のとき仕事帰りに拉致された」

2010-08-20 19:27:28 | 日記
中井洽(ひろし)拉致問題担当相が19日、霞が関の官庁街を訪れた子供たちに、拉致事件について誤った情報を伝える一幕があった。夏休みの催し「子ども霞が関デー」での出来事。

 子供たちから「拉致問題で私たちに何ができますか」と質問され、中井担当相は横田めぐみさん=拉致当時(13)=の拉致事件を説明。「めぐみさんは高校生の時、仕事帰りに拉致されたが…」と述べた。

 めぐみさんは中学1年だった昭和52年11月、新潟市内で、学校でのクラブ活動からの下校途中に拉致された。拉致の残酷さを象徴する事件さえ正確に覚えておらず、担当相としての自覚が問われることになりそうだ。

馬鹿もここまでくるとコメントできません><

拉致問題国会答弁 - 辛光洙が含まれてるとは・・・(千葉大臣)


中井大先生はこんな人
Wikiより

中井 洽(なかい ひろし、男性、1942年6月10日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(11期)、国家公安委員会委員長(第81・82代)、内閣府特命担当大臣(防災担当)。
民社党副委員長、法務大臣(第54代)、自由党副代表、民主党副代表などを歴任した。

生い立ち
1942年(昭和17年)、満州国新京市(現在の中国吉林省長春市)に生まれた。戦後、三重県上野市(現在の伊賀市)に引き揚げた。上野市立白鳳幼稚園、上野市立西小学校、上野市立崇広中学校を経て、東京へ父と引越して東京都立立川高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業した。
日本社会党の衆議院議員だった父の中井徳次郎の秘書を務めた。社会党右派の徳次郎が、社会党左派の執行部と対立して離党するのにともない父子で社会党を離党した。第33回衆議院議員総選挙において日本社会党は左派の田口一男を公認し、中井は無所属で立候補したが落選した。選挙戦で民社党の支援を受けたので民社党に入党し、第34回衆議院議員総選挙に旧三重県第1区より立候補し、34歳で初当選した。

1963年 - 中井徳次郎秘書。
1972年4月 - 日本社会党離党。
1972年4月 - 衆議院議員選挙落選。
1975年6月 - 民社党入党。
1976年12月 - 衆議院議員選挙当選。
1986年7月 - 衆議院議員選挙落選。
1990年2月 - 衆議院議員選挙(5期)。
1993年7月 - 衆議院議員選挙当選(6期)。
1993年8月 - 衆議院商工委員長。
1994年5月 - 法務大臣。在任期間が短かったため、死刑執行起案書はまわってこなかった。
1994年12月 - 新進党参加。
1996年10月 - 衆議院議員選挙当選(7期)。
1997年12月 - 自由党参加。
2000年1月 - 衆議院国会等の移転に関する特別委員長。
2000年6月 - 衆議院議員選挙当選(8期)。
2002年10月 - 自由党副代表。
2003年9月 - 民主党入党。
2003年11月 - 衆議院議員選挙当選(9期)。
2003年12月 - 民主党副代表。
2005年9月 - 衆議院議員選挙当選(10期)。
2006年9月 - 民主党常任幹事会議長。
2007年8月 - 民主党常任幹事会議長。
2009年8月 - 衆議院議員選挙当選(11期)。
2009年9月 - 国家公安委員会委員長。

日韓議員連盟
日華議員連盟
北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
米消費拡大・純米酒推進議員連盟
日本会議国会議員懇談会

以上。馬鹿につける薬があったら是非、中井大先生へ。。。

抗議・その他送付先
http://www.nakai-hiroshi.net/