『されど私の人生』
最初にこの歌を聴いたのは中学生の時。
吉田拓郎さんの2ndアルバム「オンステージ・ともだち」を聴いて。
正直、この歌は聴き流していた。
中学生の自分にとって理解できなかったのかもしれない。
後にこの歌の作詞・作曲者斉藤哲夫さんの歌も聴いてみる。
♪もうどうでもいいのさ つまらぬことは考えないで
そこからの道を急ぐのさ それが最もかんじんさ
長く暑い一日が終わり 振り返る時は全てが灰色に
心の中は荒れ果て尽きて 先を見る事さえ 苦しみを覚える
変わる変わる目の前が 変わってそれでおしまいさ
されど私の人生は されど私の人生は
この歌が理解できたのは二十歳過ぎだと思う。
それ以来、僕はこの歌が一つの人生の応援歌として今でも聴いている。
♪幻の道はいくつにも分かれ どのように行くべきか定かではなし
ただひたすらにレールの上を まっすぐと進み行けばと思うのだが
一時停車を試みてみたが 冷たい風は私の中を
狂気の如くさまよい歩き 果ててこの世を去ることのみ
変わる変わる目の前が 変わってそれでおしまいさ
されど私の人生は されど私の人生は
変わる変わる目の前が 変わってそれでおしまいさ
されど私の人生は されど私の人生は
斉藤哲夫さんがこの歌を作ったのは20歳ごろだと云われている。
詩を読むとものすごい感性の持ち主。
フォーク界の哲学者と云われていたのがなんとなくわかる。
拓郎節もいい。本人自ら歌う歌もいい。
フォークソングの名曲だと思う。
されど私の人生
多くの人たちにこの歌が伝われなかったかも知れません。
以前、テレビで斉藤哲夫さんが「この歌は、もう拓郎さんの歌だね」と言っていました。
永遠のフォークの名曲ですね。
拓郎さんの曲とばかり思って聴いてました。
”足助のかじやさん”・・・懐かしいです。
実は、わざわざ(笑)行ったことがあるんですよ。
旅先で宿を決めるときは、必ずライブハウスを探して
近くに泊まります。
この足助のかじやさんもその一店でした。
バスで行ったのですが、結構遠かったなぁ~と
記憶してます(笑)
でも楽しい旅でした~♪
いつだったか・・・
ここが(NHK)テレビ中継されたときに、
マスターが他界されたのを知りました。
とても残念に思った記憶があります。
ここのママさんが斉藤哲夫さんの大ファンです。
以前お店に行ったとき、ママさんと斉藤哲夫さんの話しで盛り上がりました。