私のような60年安保世代の人間が還暦を過ぎた今、ぼんやりとした眼差しで政治報道に目を向けると、我が郷土の代議士先生たちが政治の表舞台で活躍していることに驚かされる。数年前には、かの鈴木宗男先生が国会を席巻していて、選挙民の一人としてはもう少しスマートな先生を看板にできないのかと、後ろめたい思いをさせられていた。幸い、彼が淘汰されて今や北海道は保守政治の次代を担う先生方が台頭してきた。町村信孝外務大臣、中川昭一経済産業大臣、武部勤自民党幹事長と政権与党の中枢にいて、結構言いたいことを言っているのである。北海道人としてはこういう状況を見ることはかつてなかったことではなかろうか。
革新王国と、北海道がそう呼ばれた時代があった。旧社会党が健在の頃である。しかし、冷静に翻ってみると、終戦直後を除けば北海道は革新勢力が突出していたとは言えない。どちらかといえば保守・革新の政治勢力は互角拮抗していたのである。革新が、保守と対等に争い北海道知事の座は時代とともに交代していた、そういう革新の善戦振りが革新王国のイメージを作り上げていたのである。革新を支えていたのは労組に他ならない。その主体は、教員組合、炭鉱労組、旧国鉄の国労・動労、鉄鋼、製紙などが労使として対峙していた時代までである。旧国鉄の民営化、相次ぐ炭鉱閉山で経営に対峙する労組は衰退し、残ったのは労使一体の「組織」であり、衝立一枚のソフトな対峙である。バブル期に成長したサービス業など第三次産業の従事者のほとんどが、労組として未組織である。既存の労組は、専ら自らの「組織」の中で安穏に循環していくことに専念し、未組織労働者に憐憫の情を寄せる程度のものであり、未組織労働者は弱体化した革新勢力の主体に何らの期待もしていない。旧社会党のような対峙姿勢を明確にする政党がここまで衰退したのは、労使一元化に寄り掛かった軟弱な労組に軸足を乗せ、未組織労働者の辛酸の声を掬い上げることのできなかった当然の報いといえる。これが風化しつつある北海道の革新的風土の現況といえる。
一方、拮抗する保守的風土の底流にあるのは、明治以来の植民地政策で中央から還流してくる利益に依存しようとする根強い期待感であり、それを実現できるのは中央政治との直接的な繋がりである。公共事業を主体とし、産業振興、雇用促進、景気浮揚策等々、利益誘導型の豪腕政治家が期待されたきた。しかし、ここ数年の小泉内閣以来、この期待感に水を差されつつある。ひとまず、鈴木宗男先生の失脚で、あからさまな政治家は姿を消している。
公共事業の先細り、地域産業の低迷、景気の低迷に対する保守層の苛立ちと既組織、未組織労働者の怨嗟の声が混沌として北海道を覆いつつある。この閉塞感がどのようなエネルギーになり得るのであろうか。活躍中の政権中枢の先生方も、足元は磐石とは言えないのが実情と言える。
革新王国と、北海道がそう呼ばれた時代があった。旧社会党が健在の頃である。しかし、冷静に翻ってみると、終戦直後を除けば北海道は革新勢力が突出していたとは言えない。どちらかといえば保守・革新の政治勢力は互角拮抗していたのである。革新が、保守と対等に争い北海道知事の座は時代とともに交代していた、そういう革新の善戦振りが革新王国のイメージを作り上げていたのである。革新を支えていたのは労組に他ならない。その主体は、教員組合、炭鉱労組、旧国鉄の国労・動労、鉄鋼、製紙などが労使として対峙していた時代までである。旧国鉄の民営化、相次ぐ炭鉱閉山で経営に対峙する労組は衰退し、残ったのは労使一体の「組織」であり、衝立一枚のソフトな対峙である。バブル期に成長したサービス業など第三次産業の従事者のほとんどが、労組として未組織である。既存の労組は、専ら自らの「組織」の中で安穏に循環していくことに専念し、未組織労働者に憐憫の情を寄せる程度のものであり、未組織労働者は弱体化した革新勢力の主体に何らの期待もしていない。旧社会党のような対峙姿勢を明確にする政党がここまで衰退したのは、労使一元化に寄り掛かった軟弱な労組に軸足を乗せ、未組織労働者の辛酸の声を掬い上げることのできなかった当然の報いといえる。これが風化しつつある北海道の革新的風土の現況といえる。
一方、拮抗する保守的風土の底流にあるのは、明治以来の植民地政策で中央から還流してくる利益に依存しようとする根強い期待感であり、それを実現できるのは中央政治との直接的な繋がりである。公共事業を主体とし、産業振興、雇用促進、景気浮揚策等々、利益誘導型の豪腕政治家が期待されたきた。しかし、ここ数年の小泉内閣以来、この期待感に水を差されつつある。ひとまず、鈴木宗男先生の失脚で、あからさまな政治家は姿を消している。
公共事業の先細り、地域産業の低迷、景気の低迷に対する保守層の苛立ちと既組織、未組織労働者の怨嗟の声が混沌として北海道を覆いつつある。この閉塞感がどのようなエネルギーになり得るのであろうか。活躍中の政権中枢の先生方も、足元は磐石とは言えないのが実情と言える。