2月24日朝、前日北海道を襲った強風雪が空陸の交通網を
寸断した翌早朝、私は妻の親戚の葬儀に参列するため
釧路行きの特急に乗り込んだが、前日の荒天が嘘のように
清々しく晴上がった朝であった。
荒れ狂った南風は重い湿雪を残して、既にオホーツク海へ抜けていた。
北海道の雪は、降雪量が多くても軽いため、葉の落ちた木の枝を
覆うことは少ない。
雪景色に枯色の落葉樹林が北の風景なのだが、その朝、車窓から見る
樹木は重い雪を枝で持ち堪えていたので、一面の雪景色の観を呈していた。
妻と娘が、危篤の報で先行し留守のため夜半まで旅支度し、5時起床で
1番列車に乗り込んだので、座席に腰を落とすと睡魔に襲われそうになるが、
この美しい車窓の風景をを前にまぶたを閉じるのが惜しい気がして、
間もなく日高山脈を抜けるトンネル群に入るまで、覚醒していようと懸命であった。
つい、うとうとしている間に列車は長いトンネル群を抜け、日高山脈の裾の
なだらかな丘陵地帯を走り、十勝平野の玄関口、新得に近づいていた。
列車は7:13分発、目的地釧路着10:52分で所要時間は3時間40分の予定である。
少年の頃、私は4歳下の妹の手を引いて釧路発の夜行列車に乗せられ、
札幌に隣接する江別に向かった想い出がある。
当時は、道東から道央に向かう鉄道ルートは狩勝峠越えが唯一で、
トンネル化が進んでいなかったため、現在のルートより遥かに高い山地を縫っていた。
急峻な鉄路を機関車一両では登り切れないので、後尾にも機関車を連結し押し上げて
峠越えをしていた。
釧路を出て間もなく日が落ち、目的地には翌朝到着することを知っていたが
幼い妹との二人旅は不安で、停車する度に車窓に額を擦り付けるようにして、
ほの明るい駅名の表示板を各駅毎に確認せずにはいられなかった。
10時間を超える長旅の末、明方のもやの中で目的地の駅名を確認して
妹の手を握り締めながら人気のないホームに降り立ち、朝もやの中に
小柄な祖母を見つけたとき、私は安堵のため泣き出しそうになるのを堪えていた。
あれから、半世紀近くの年月が過ぎようとしている。
午前9時を回った陽射しは、輝きの強さを増して日高山脈の眺望を峻険な厳しさで映す一方、
春の兆しを感じさせる暖かさを秘めていた。
陽射しの中のキラキラとした輝きは、降雪ではなく厳寒の地の雪が列車の走行が巻き起こす
風に舞いあがって光を放っているのである。
鉄橋から望む十勝川は、その3分の1ほどが氷で覆われているものの、川面の輝きに混じって
春の瀬音が微かに聞こえている。
午前10時を過ぎる頃、列車は十勝平野の東端を抜け、短いトンネルを潜って、突然のように
波が足元を洗うような海岸線に出た。
荒々しさの余韻が残る太平洋が、車窓いっぱいに拡がった。
道東特有の殺風景な海岸に押し寄せる波涛は、静かさを取り戻した陸上とは異なり、
猛々しい牙を剥いていた。
僅か130年ほどの北海道の歴史が、陸の様相を一変させたのに比すれば、
太平洋は泰然として人為の小賢しさを水平線の彼方から見ているように思える。
茫然と車窓に目をやっているうちに、列車は終着駅に停車した。
寸断した翌早朝、私は妻の親戚の葬儀に参列するため
釧路行きの特急に乗り込んだが、前日の荒天が嘘のように
清々しく晴上がった朝であった。
荒れ狂った南風は重い湿雪を残して、既にオホーツク海へ抜けていた。
北海道の雪は、降雪量が多くても軽いため、葉の落ちた木の枝を
覆うことは少ない。
雪景色に枯色の落葉樹林が北の風景なのだが、その朝、車窓から見る
樹木は重い雪を枝で持ち堪えていたので、一面の雪景色の観を呈していた。
妻と娘が、危篤の報で先行し留守のため夜半まで旅支度し、5時起床で
1番列車に乗り込んだので、座席に腰を落とすと睡魔に襲われそうになるが、
この美しい車窓の風景をを前にまぶたを閉じるのが惜しい気がして、
間もなく日高山脈を抜けるトンネル群に入るまで、覚醒していようと懸命であった。
つい、うとうとしている間に列車は長いトンネル群を抜け、日高山脈の裾の
なだらかな丘陵地帯を走り、十勝平野の玄関口、新得に近づいていた。
列車は7:13分発、目的地釧路着10:52分で所要時間は3時間40分の予定である。
少年の頃、私は4歳下の妹の手を引いて釧路発の夜行列車に乗せられ、
札幌に隣接する江別に向かった想い出がある。
当時は、道東から道央に向かう鉄道ルートは狩勝峠越えが唯一で、
トンネル化が進んでいなかったため、現在のルートより遥かに高い山地を縫っていた。
急峻な鉄路を機関車一両では登り切れないので、後尾にも機関車を連結し押し上げて
峠越えをしていた。
釧路を出て間もなく日が落ち、目的地には翌朝到着することを知っていたが
幼い妹との二人旅は不安で、停車する度に車窓に額を擦り付けるようにして、
ほの明るい駅名の表示板を各駅毎に確認せずにはいられなかった。
10時間を超える長旅の末、明方のもやの中で目的地の駅名を確認して
妹の手を握り締めながら人気のないホームに降り立ち、朝もやの中に
小柄な祖母を見つけたとき、私は安堵のため泣き出しそうになるのを堪えていた。
あれから、半世紀近くの年月が過ぎようとしている。
午前9時を回った陽射しは、輝きの強さを増して日高山脈の眺望を峻険な厳しさで映す一方、
春の兆しを感じさせる暖かさを秘めていた。
陽射しの中のキラキラとした輝きは、降雪ではなく厳寒の地の雪が列車の走行が巻き起こす
風に舞いあがって光を放っているのである。
鉄橋から望む十勝川は、その3分の1ほどが氷で覆われているものの、川面の輝きに混じって
春の瀬音が微かに聞こえている。
午前10時を過ぎる頃、列車は十勝平野の東端を抜け、短いトンネルを潜って、突然のように
波が足元を洗うような海岸線に出た。
荒々しさの余韻が残る太平洋が、車窓いっぱいに拡がった。
道東特有の殺風景な海岸に押し寄せる波涛は、静かさを取り戻した陸上とは異なり、
猛々しい牙を剥いていた。
僅か130年ほどの北海道の歴史が、陸の様相を一変させたのに比すれば、
太平洋は泰然として人為の小賢しさを水平線の彼方から見ているように思える。
茫然と車窓に目をやっているうちに、列車は終着駅に停車した。