新八往来

季節が移ろい、日々に変わり行く様は、どの一瞬も美しいが、私は、風景の中に一際の力強さを湛えて見せる晩秋の紅葉が好きだ。

2013-06-16 22:48:00 | 新八の花鳥風月
緑の波が枯れ色を襲い始め
桜と梅がともに咲き競い
つつじやチューリップが庭先を彩る
個体の輝きは短いけれど
凝縮された季節の展開は力強い

雪のななかまど

2004-12-01 21:37:03 | 新八の花鳥風月
秋の初め、ななかまどの実がまだ薄いオレンジ色の頃から秘かに期待していた光景をようやく見ることができた。11月下旬にしては暖かい日が続いていたが、月末に至って忘れていた季節を思い出したように、前日の午後から降り出した雪が明け方まで降り積もった。
カーテンを開けて、伸びをしながら庭に向けた目に眩しい光が跳ね返る。冬囲いの済んだ庭木や雀の餌台、軒下に重ねた空の鉢などの上を結晶を集めた羽毛のような牡丹雪が被い尽くしていた。風のない夜に降った雪は、街路樹の小枝や電線にも白い毛糸のように積もっていた。初冬の朝、ななかまどの実は赤い宝石が房をなしているように美しい。その赤い房の上に牡丹雪が積もっているのだ。この季節に、最も美しく感じることのできる自然の一こまだ。純白の美しさが、赤い木の実に映えて一層際立っている。

初冬の風景

2004-11-22 08:31:04 | 新八の花鳥風月
11月も下旬となったこの時期、朝の空が清々しく晴れ上がっていると、眼に映る周辺の山並みが、はっとするほど間近に迫って見える。空気が澄んでいて見通しが良いからだろうか。通勤の車の中からそんな風景を眺める時、ふと季節の豊かな変貌に心が洗われて幸せな気分になったりする。人がことさら四季の移ろいに敏感になるのは何故だろうと思う。たぶん人が四季の移ろいに自らの人生を重ねて見ているからではないだろうか。若い時には、眼に触れなかったものが中高年になって気になりだす。歳とともに枯れて逝くものの中に美しさや真実を見ようとするのは手前勝手な思い入れかも知れないが…。哲学や宗教に裏打ちされた確固たる死生観を持たない高齢化社会の一員のうら寂しい現実なのだろう。圧倒的な存在感で澄んだ風景の中から迫ってくる山並みを見ていると、時の無常を貫いて存在する包括者を知覚させられる。

セピア色の風景

2004-11-13 22:52:39 | 新八の花鳥風月
庭の冬囲いを始めてから3週間目になる。終日やっているわけではないのだが、休日の半日くらいは費やして、この体たらくなのだ。近所の庭も、ほとんどが今日辺りで終了している様子である。あと、玄関脇の紫陽花と庭の側面一列だけのえぼたの生垣を残すだけで、本日は中断した。先週はまだ鮮やかな深紅色の葉を付けていた、どうだんつつじの葉はもうすっかり細い枝だけになっていた。
作業の途中で家内と隣の北広島市へ湧き水を汲みに行ったのだが、郊外の風景もすっかりセピア色に薄墨を刷毛で履いたような色調に変わり、先週辺りにはまだ見つけることのできた、鮮やかな色は消えて、常緑の針葉樹の緑もくすんでいた。帰り道で遠望した夕張方面の山並みは、すっかり白く冠雪している。
北国の長く寒い季節はすでに始まっているのだが、そういう景色もしみじみと美しい。

夢のストーリー

2004-11-03 08:06:08 | 新八の花鳥風月
病院らしい背景である。大柄な女性は、イメージがはっきり残っている。
ベットに横たわる男性は、輪郭しかイメージできないが50代後半の年齢であろうか。
女性は、60歳を超えたばかりだが、男性とは無縁の人であった。
二人に共通しているのは、病院に対してであろうか、毎回何か報告書のようなものを提出していることだ。
女性はA4サイズのもの、男性はB5サイズの用紙を提出している。
第三者(私自身のようだ)が女性の傍らで、どうやら男性に関心を持てと促しているようだが、女性は無関心を装っている。
第三者は、互いの報告書様のものの余白にそれぞれの想いを書き込むことを勧めている。
そんな情景がぼんやりと繰り返された後、男性は手術室へ移動する廊下で待機している。
搬送用のベットに横たわる男性の肩のところには、彼のB5サイズの報告書が置かれている。そこへ女性が現れて、彼の報告書の上に彼女のA4サイズを重ねるのである。
傍らの第三者はなぜか小さな達成感を感じてほっとしているのだ。

夢の中での感動は、もっと大きいはずであったが、目覚めて見ると漠然としている。


あざやかな晩秋の色

2004-11-02 19:34:38 | 新八の花鳥風月
北国の晩秋は、季節が日々錯綜しながら艶やかな彩りを見せ、やがて訪れる静冷な白い冬を待ち受けている。
雨上がりの庭先に、小さな珠のようないくつもの水滴を乗せた「どうだんつつじ」の葉は、その濃い紅色を薄い陽射しに透かせて、際立つ美しさをたたえている。寄り添うように枝を重ねる紫陽花は、夏の終わりにようやくその鮮やかな紫を満開にしたばかりなのに、短い秋に急かされるように枯色に覆われて味わい深い風情を見せている。
この時期、追い討ちをかけるような冬囲いは気が滅入る。これほどに彩を顕にしている花木に竹矢来、縄目の辱めを与えるに忍びないのだ。