事の大小は別にしても、若い頃の失敗は多い。ベテランと言われるほどのキャリアを積んだ後に振り返ってみると、稚拙な自己判断の結果で窮地に立たされたことが多いものだ。若い、未熟な時代の仕事にはリスクが付きまとうのである。従って組織は、その存亡に係わるリスクが予測できるような業務を未熟な者に単独で担当させることを避ける体制で臨むのが常識である。まして利用者の生命に係わるリスクが含まれる場合は、より慎重な体制のはずなのだが・・・尼崎脱線事故の運転手が、あまりにも若く未熟であったことに呆然とさせられた。JRという有数の大企業が事故即人命の事業で最も人命に係わる業務を、23歳、経験1年未満の者に委ねていたことに鳥肌の立つ思いがする。
今年は、春先から日航の航空機に係わる事故が続いていて、国土交通省も神経を尖らせ、マスコミも御巣鷹山の墜落事故から20年ということで、頻繁にニュース種にしていた。日航の経営陣がマイクの前で頭を下げる映像を何度か見せられた。大事故に至っていない幾つものミスの背景にあるのが企業利益優先で安全管理が後退しているという共通の現象である。人々の目が航空機の安全性に向いている最中に、地上運輸機関で大惨事が発生したのである。
日航機の御巣鷹山墜落事故については、当時の報道よりも山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」で髣髴とさせられたものである。「金属疲労」などと言う言葉も今では懐かしいが、墜落原因は垂直尾翼の金属疲労が主因であり、整備点検過程での見落としによるものであるとされた。「沈まぬ太陽」の中で展開される「整備点検の不備原因」は、企業側の労組分断・・・旧労組解体策動の渦中での安全管理の後退によるものであった。この事故は、1985年、昭和60年に発生した。ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任し、米国はレーガン、わが国は中曽根第二次内閣の時代であり、電々と専売の二つの公社が民営化された年であった。
私の現役生活の中でも、右肩上がりの業績が頂点に達したのがこの頃であったと思う。多くのサラリーマンが15年ほど前には想像もつかなかった給与所得を得、住宅、車、海外旅行といった夢を現実のものとし、将来の夢をも含めて秘かに達成感を味わっていた時代と言えるであろう。しかし、企業の利潤追求の動きは、小市民の達成感をはるかに超える貪欲さを見せていく。この年の二公社の民営化に次いで2年後の昭和62年4月には国鉄が民営化されて行くという時代の流れの中で、各業界の経営陣とも旧労組の解体を目指し、人的業務の効率化と人的経費の削減に向けて邁進するのである。そこに含まれるリスクが顕在化し表出したのが「垂直尾翼の点検不備」による航空機の墜落事故であった。
右肩上がりの好景気は、その後数年で終焉を迎え、出口の明かりの見えない景気の低迷が今日まで続いている。労働者は好景気時代の糧で忍従を余儀なくされ、いまだに経営を支えようとしているのだか、競争と利潤追求の原理は更なる効率化を目指し、人的資源の疲弊を顧みようとしていない。
数百人の人命を乗せて時速100km超の猛速で走る電車の現場安全管理は「♪♪運転手は君だ、車掌はぼくだ・・・♪」の二人に任されていた。マンションの1階側面に貼り付いたような2号車の映像は、今にも風に飛ばされそうなアルミ箔のように見えた。106名もの犠牲者と遺族に向ける言葉が思いつかない。これほどに軽佻浮薄な安全管理体制の中で予期せぬ死を強制された人々に、ただ瞑目するのみである。
関係当局が事業者に対する指導は、一連の航空機ミスに対するような事前指導であるべきだが、安全管理を後退させている企業の利潤優先体質を鋭く、継続的に注視し、改善させることが望ましい。人的資源の疲弊によるリスクは、あらゆる業界に蔓延し、安全管理の後退のみならず雇用問題等、バブル期の負の遺産の主要因である。
明後日5月1日はメーデーであるが、昨今労働側の声があまりにも弱々しく人的資源の疲弊に歯止めを掛けるべき力になり得ていない。労使は今一度、拮抗した関係に戻るべきだ。
今年は、春先から日航の航空機に係わる事故が続いていて、国土交通省も神経を尖らせ、マスコミも御巣鷹山の墜落事故から20年ということで、頻繁にニュース種にしていた。日航の経営陣がマイクの前で頭を下げる映像を何度か見せられた。大事故に至っていない幾つものミスの背景にあるのが企業利益優先で安全管理が後退しているという共通の現象である。人々の目が航空機の安全性に向いている最中に、地上運輸機関で大惨事が発生したのである。
日航機の御巣鷹山墜落事故については、当時の報道よりも山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」で髣髴とさせられたものである。「金属疲労」などと言う言葉も今では懐かしいが、墜落原因は垂直尾翼の金属疲労が主因であり、整備点検過程での見落としによるものであるとされた。「沈まぬ太陽」の中で展開される「整備点検の不備原因」は、企業側の労組分断・・・旧労組解体策動の渦中での安全管理の後退によるものであった。この事故は、1985年、昭和60年に発生した。ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任し、米国はレーガン、わが国は中曽根第二次内閣の時代であり、電々と専売の二つの公社が民営化された年であった。
私の現役生活の中でも、右肩上がりの業績が頂点に達したのがこの頃であったと思う。多くのサラリーマンが15年ほど前には想像もつかなかった給与所得を得、住宅、車、海外旅行といった夢を現実のものとし、将来の夢をも含めて秘かに達成感を味わっていた時代と言えるであろう。しかし、企業の利潤追求の動きは、小市民の達成感をはるかに超える貪欲さを見せていく。この年の二公社の民営化に次いで2年後の昭和62年4月には国鉄が民営化されて行くという時代の流れの中で、各業界の経営陣とも旧労組の解体を目指し、人的業務の効率化と人的経費の削減に向けて邁進するのである。そこに含まれるリスクが顕在化し表出したのが「垂直尾翼の点検不備」による航空機の墜落事故であった。
右肩上がりの好景気は、その後数年で終焉を迎え、出口の明かりの見えない景気の低迷が今日まで続いている。労働者は好景気時代の糧で忍従を余儀なくされ、いまだに経営を支えようとしているのだか、競争と利潤追求の原理は更なる効率化を目指し、人的資源の疲弊を顧みようとしていない。
数百人の人命を乗せて時速100km超の猛速で走る電車の現場安全管理は「♪♪運転手は君だ、車掌はぼくだ・・・♪」の二人に任されていた。マンションの1階側面に貼り付いたような2号車の映像は、今にも風に飛ばされそうなアルミ箔のように見えた。106名もの犠牲者と遺族に向ける言葉が思いつかない。これほどに軽佻浮薄な安全管理体制の中で予期せぬ死を強制された人々に、ただ瞑目するのみである。
関係当局が事業者に対する指導は、一連の航空機ミスに対するような事前指導であるべきだが、安全管理を後退させている企業の利潤優先体質を鋭く、継続的に注視し、改善させることが望ましい。人的資源の疲弊によるリスクは、あらゆる業界に蔓延し、安全管理の後退のみならず雇用問題等、バブル期の負の遺産の主要因である。
明後日5月1日はメーデーであるが、昨今労働側の声があまりにも弱々しく人的資源の疲弊に歯止めを掛けるべき力になり得ていない。労使は今一度、拮抗した関係に戻るべきだ。