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京都は花魁ではなく太夫_鷹峯 常照寺 4/14 吉野太夫道中

2019年03月21日 | 祭・行事・季節の花

まもなく桜の季節を迎える京都で、江戸時代初めの京都の花街(かがい)でその名を轟かせた吉野太夫(よしのたゆう)をしのんだ行列が行われます。鷹峯(たかがみね)・常照寺(じょうしょうじ)の吉野太夫花供養です。

  • 秋の清凉寺・夕霧祭と並ぶ京都を代表する太夫の行列、古き良き花街(かがい)の伝統を今に伝える
  • 吉野太夫は、夕霧太夫と並ぶ江戸時代初期の伝説の芸妓、関白からの求愛を断り豪商の妻となった
  • 常照寺は、吉野太夫が帰依した寺で墓もある、女性的な佇まいの境内が美しい


京都の北の隅っこで標高が高いため、少し遅めの桜の開花に合わせて毎年4月第2日曜日に行われます。京都の春を強く印象付けられる名物行事です。


”はしごだか”の傘は島原・輪違屋を示す

太夫とは、歌・唄・琴・茶・華・香・囲碁などあらゆる芸道を極めた最高峰の芸妓の職位です。京都では公家・武家・豪商といった上流階級の客を相手に、花街・島原で江戸時代初めに最も華やかな時期を迎えます。

江戸にも太夫がいましたが、江戸時代半ばに消滅し、花魁(おいらん)が夜の繁華街で客をもてなす女性の最高峰の職位として知られるようになります。現在では東京を中心とするメディア情報発信の影響で、太夫よりも花魁の方が圧倒的に著名になっています。

太夫と花魁の違いについてはよく質問されます。簡潔に言うと、太夫は”芸”が主で”色”は副、花魁は”色”が主で”芸”は副です。この違いは江戸時代の京都と江戸、都市の性格に起因します。

京都では、戦国時代が終わり豊臣秀吉による町の復興がなされると、伝統的な公家を中心とした王朝文化が復活します。歌・唄・琴・茶・華・香・囲碁などあらゆる芸道を極めた者が最高峰の文化人として男女を問わず尊敬されます。

こうした芸道は、生まれながらにして上流階級で居続けることを保証された者でないと、まず身に付けることができない”風流”でした。男女が”色”を求めるのは、古今東西共通の道理ですが、”みやこ”の上流階級ではその前提として”風流”が求められました。江戸時代の京都は、上流階級による消費が経済の主役だったのです。

新興都市の江戸は、現在の公務員になぞらえることができる武家に加えて、あらゆる職業の町人が集まります。いわゆる”中流”階級が経済の主役となります。京都で上流階級の象徴だった”風流”は、逆に”敷居の高さ”の象徴としてマスとしては少数派になります。

江戸時代半ばを転機に、中流階級の男性の遊びの場として遊郭が脚光を浴びるようになります。花魁が知られるようになったのと同じタイミングです。芸道のような”難しい風流”を経ることなく、てっとりばやく色”ニーズを満たすことが求められたのです。おどろおどろしくも見える絵画である”春画”は、そうした時代風潮を今に伝えています。

昭和の時代劇に頻繁に登場する”赤い壁に彩られた遊郭”も、江戸後後期の”夜の街”の象徴として印象付けられます。”芸”を主とした太夫が、花魁と混同されるのはこのためです。


吉野太夫道中の始まりを待つ様子

吉野太夫は、近世ではみやこの文化が最も華やかだった江戸時代初め・寛永時代に、あらゆる芸道を極めたスーパースター芸妓でした。吉野太夫が常照寺に帰依した由縁として伝えられるエピソードは、とても興味深い話です。

吉野太夫がその名を轟かせていた折、風采の上がらない坊主が店に訪れ、「吉野に会わせろ」と玄関先でひたすら粘っていました。それを見越した吉野太夫が顔を見せるために玄関先に現れると、その坊主は顔を見るだけで感動し、深く感謝の意を述べてあっさりと引き下がりました。その坊主は常照寺の開祖・日乾(にっけん)です。日乾の人となりを見抜き、吉野太夫が常照寺に帰依した、と伝えられています。


常照寺境内の入口

太夫や花魁が花街を練り歩く様子は、道中(どうちゅう)と呼ばれます。客の注文に応じて太夫・芸妓を派遣する置屋(おきや)から、客が饗宴するスペースを提供する揚屋(あげや)・茶屋(ちゃや)まで、身の回りの世話をする禿(かむろ)など大勢の使用人を引き連れました。高下駄をはいた八文字歩きで著名な、とてもゆったりした行列です。

この様子は、現在の吉野太夫花供養でもうかがえます。わずか150mほどの距離を30分近くの時間をかけて行列します。太夫の前には、太夫を世話する少女・禿(かむろ)が無表情で歩いています。その無表情さは、太夫の持つ威厳をまさに”露払い”しているようです。

天候に関わらず太夫には傘がさされます。日差しや雨を避けるという基本的な役割以上に、太夫の威厳を強調する演出をしています。傘にマーキングされた”はしごだか”は、現在も置屋として営業する輪違屋(わちがいや)のブランド・ロゴです。輪違屋は京都の各所での道中や舞のイベントに太夫を派遣しています。”はしごだか”のブランド・ロゴは、大夫文化の正統派であることを示しています。


”はしごだか”の太夫道中が進む

太夫の本拠地、島原では現在も往時をしのぶことができます。輪違屋は、観光目的の常時見学はできませんが、外観からは日本の花街の中心だった往時をしのぶことができます。

角屋(「すみや)は、客が饗宴するスペースを提供する揚屋(あげや)の遺構として知られています。春秋の長期間、常時公開されています。

【角屋 公式サイト】

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



芸妓はどのように客と向き合い、リピーターを育てていくのか?

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常照寺
第67回 吉野太夫 花供養
【寺による行事公式ちらし】

会場 :太夫道中(行列)は、鷹峯交差点~常照寺境内まで
    境内入口まで150mの公道上では無料で自由に行列見物可
    境内入口より先の常照寺境内に入って見物するには「お茶席チケット」の購入が必要
開催日:毎年4月第2日曜日(2019年は4月14日)
    09:00 お茶席開始、開庵
    10:20 太夫道中出発
    10:50 太夫道中境内着、奉納舞・演奏
    15:00 お茶席終了、閉庵

※太夫道中は雨天中止の場合があります。
※スタート時間は当日の法要・神事の進行や天候に左右される場合があります。
※この寺は観光目的で常時公開されています。

常照寺
【公式サイト】 http://tsakae.justhpbs.jp/joshoji/toppage.html 

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:8:30~17:00
※公開期間が限られている仏像や建物・美術品があります。



◆おすすめ交通機関◆

地下鉄烏丸線「北大路」駅下車、市バスに乗り換え「鷹峯源光庵前」バス停下車、徒歩3分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:45分
JR京都駅→地下鉄烏丸線→北大路駅→バスターミナル青のりばE→市バス北1系統→鷹峯源光庵前

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には駐車場がありますが、行列当日は使用できません。
※道路の狭さ、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。
※現地付近のタクシー利用は事前予約をおすすめします。


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