常照寺(じょうしょうじ)は、京都盆地の北端に位置する鷹峯(たかがみね)にある日蓮宗の寺院です。江戸時代初期に京都随一の名妓としてその名をとどろかせた吉野太夫(よしのたゆう)ゆかりの寺で、清楚な境内にファンが少なくありません。
同じ頃のマルチアーチスト・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が様々な文化人や職人を集めて独自の文化を築き上げた「光悦村」の中にあることもあり、佇まいには上質なセンスを感じさせます。
吉野門
1615(元和元)年、本阿弥光悦は徳川家康から鷹峯の地を拝領し、仲間を引き連れて「光悦村」を形成します。敬虔な法華宗徒だった本阿弥光悦の息子が久遠寺から僧・日乾(にっけん)を招いて開いたのが常照寺です。江戸時代を通じて法華宗の僧侶を養成する檀林(だんりん)として栄えていました。
吉野太夫は、当時の京都随一の花街・六条三筋町(現在の島原の前身)のトップクラスの名妓に付けられる源氏名で、歌舞伎役者のように何代目と呼ばれます。常照寺ゆかりの吉野太夫は二代目ですが、他の代の吉野太夫はほとんど知られていないため、二代目を付けずに呼ぶことが一般的です。
この時代の名妓は、美人で接客上手だけではそう呼ばれません。歌道・茶道・香道・華道・書道・琴・琵琶・囲碁などあらゆる上流階級の嗜みや芸に秀でたスーパー文化人であることも必要でした。相当に秀でた嗜みを持つ客と太夫が認めない限り、いくら金を積んでも席を持てなかったほどです。
そんな吉野太夫を当代きっての男たちが見受けしようとしのぎを削ります。後陽成天皇の皇子の関白・近衛信尋(このえのぶひろ)と、豪商で当代きっての文化人だった灰屋紹益(はいやじょうえき)です。レースに勝ったのは灰屋紹益で、太夫を引退させて妻にします。芸妓の所属事務所である置屋(おきや)に支払った見受け料が空前の額であったことは容易に想像できます。
朱塗りが美しい常照寺の山門は、日乾に帰依した吉野太夫が23歳の時に寄進したため、吉野門と呼ばれています。吉野太夫は23歳で山門を寄進できるほどの収入があったのです。
帯塚
吉野門をくぐると右側に帯塚の石が見えます。女性の心の象徴である“帯”に感謝するための塚で、戦後になって造られたものです。昭和の名作庭家・中根金作がデザインです。女性的でしとやかな庭です。
遺芳庵の吉野窓
境内の奥、吉野太夫をしのんで建てられた茶室・遺芳庵(いほうあん)は、すだれでとじられた大きな円窓(まるまど)が特徴です。円の下端がわずかに切り取られているのが、吉野太夫が好んだスタイルと伝わっています。言われなければ気付かないほどのわずかな切り取りですが、建物や庭に絶妙に落ち着きを与えています。
常照寺の緑に覆われた境内は広く、とても静かです。京都の寺や庭は盆地の“隅っこ”にあるほど静かで味わい深いところが多くなります。常照寺もそんな代表的な“隅っこ寺”です。
こんなところがあるのです。
ここにしかない「美」があるのです。
吉野大夫が生きた花街は遊郭にあらず
常照寺
http://tsakae.justhpbs.jp/joshoji/toppage.html
原則休館日:なし
開館(拝観)時間:8:30-17:00
※公開期間が限られている仏像や建物があります。
おすすめ交通機関:
地下鉄烏丸線「北大路」駅バスターミナルから市バス「北1系統」で「鷹峯源光庵前」バス停下車、徒歩3分
JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:45分
JR京都駅→地下鉄烏丸線→北大路駅→市バス→鷹峯源光庵前
【公式サイトのアクセス案内】
※この施設には駐車場があります。
※現地付近のタクシー利用は事前予約をおすすめします。
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