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ここで仏頭にお会いすると、なぜかほっとする ~興福寺 東金堂

2017年09月12日 | お寺・神社・特別公開

東金堂と五重塔

 

 

興福寺の仮講堂で荘厳な仏像空間を再現している「阿修羅 天平乾漆(かんしつ)群像展(秋)」と並行して、東金堂(とうこんどう)で「仏頭 特別安置」が行われている。

 

東金堂は、興福寺に3つあった金堂で唯一現存しているお堂で、726年に聖武天皇が叔母の元正天皇の病気全快を願って造立したものだ。以来5度焼失し、現存するのは室町時代1415年の再建だ。

 

本尊は薬師如来、東方浄瑠璃世界で現世の人々を病気や苦しみから救ってくれる仏様なので、東側にいらっしゃる。西側は、平安時代に浄土信仰の流行で西方極楽浄土に導いてくれる阿弥陀仏が一般的になったが、奈良時代では造像例が少ない。なので、かつてあった西金堂(さいこんどう)の本尊は釈迦如来だった。この本尊は、頭部だけが江戸中期の焼失時に救出され、きりりとした表情が特徴的、普段は国宝館(2017年中は休館)に安置されているが、2017年秋の東博の史上最大の「運慶展」でお会いすることができる。

 

薬師如来の脇侍には日光・月光菩薩、いずれも白鳳時代の作品、薬師寺本尊の脇侍で著名な日光・月光菩薩と制作時期は近い。ぜひ特徴の違いを見比べてほしい。

 

仏頭の特別安置の案内看板

 

薬師如来の脇侍には日光・月光菩薩は、東金堂の創建当初からあったものではない。平重衡の焼討後の鎌倉復興期に、飛鳥にあった「山田寺から移された」ものだ。今回特別安置される「仏頭」も、この際に同時に移された本尊で、室町時代の火災で頭部以外は焼失したものだ。それ以来、長らく存在を忘れられていたが、昭和12年に本尊の台座の内部から発見され、普段は国宝館に安置されている

 

興福寺の僧兵が「強奪してきた」とする説もあるようだが、私は真相は不明だと思っている。「強奪」する必要性があったのか、山田寺として不本意だったのか、まだまだ勉強不足のところもあり、疑問が残る。文化財としての運命だけに限って論ずれば、本尊の頭部と脇侍以外は失われたものの、もしかしたら山田寺に残っていればすべて失われていたかもしれない。興福寺は明治まで巨大寺院として大和国に君臨し続けており、守り伝える力は日本トップクラスと考えられる。

 

「仏頭」は、若々しくふっくらした顔立ちで包容力を感じさせる。少し前の飛鳥時代のシャープさを感じさせる様式と比べた変化がよくわかり興味深い。遣隋使・遣唐使がもたらした最新の中国での流行を反映したものなのだろう。頭部しかないが、なぜか見つめてしまう不思議な魅力がある。頭部しかないが、国宝だ。

 

センターには室町時代に再建された本尊が安置されているため、仏頭は須弥壇の脇に安置されているが、600年ぶりに脇侍の日光・月光菩薩と同じ空間に安置されている。どこかほっとしたように見えるのはこのためかもしれない。

 

今の東金堂が再建された1415年は、3代将軍足利義満はこの世を去ったものの、4代将軍義持の治世でまだ幕府が安定していた時代であった。50年ほど遅ければ応仁の乱の頃になり、公家や武家からの寄進は期待できず、再建もままならなかったであろう。

 

歴史の運命は奥が深い。

 

 

 

興福寺でイケメン鹿に出会えるかも?

 

 

 

日本や世界には、数多く「ここにしかない」名作がある。

「ここにしかない」名作に会いに行こう。

 

 

 

 

東博で2009年の阿修羅展をプロデュースした現・興福寺国宝館・館長が仏像の宝庫を徹底解説(東京美術)

 

 

仏頭 東金堂特別安置

会期 2017年1月7日(土)~12月

    ※正倉院展(10/28~11/13)開催中にもお会いできます。

休館日 なし(例外が発生する可能性もあるので訪問前にご確認ください)

公式サイト http://www.kohfukuji.com/

 

 


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