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500年前の住宅と庭園、和風空間の原点にタイムスリップ ~大徳寺 大仙院

2017年09月09日 | お寺・神社・特別公開

コンパクトな空間に静かな美が凝縮されている大仙院

 

大徳寺の塔頭・大仙院(だいせんいん)は、大徳寺本坊の北隣にある。大徳寺の境内には大きい道や広場的空間がなく、小道の両側の木々の緑との距離が近いことから、京都の禅宗寺院の中でも独特の空間美がある。

 

大徳寺は、戦国時代は時の権力者たちに茶道で大いに愛された。トップシークレットの話をするために人目を忍んで塔頭の茶室に向かうのに都合がよいよう絶妙に、静かで見通しが効かない小道に作り上げたのか?と個人的に思ってしまう。

 

大仙院は、そんな小道をたどった奥めいた先にひっそりとたたずんでいる。禅寺の塔頭は大半が非公開だが、ここは常時公開しているのがうれしい。

 

大仙院の国宝の方丈は、東福寺・龍吟庵の方丈に次いで古く、応仁の乱の荒廃が多く残っていた1513年の建築だ。500年前の創建当初の姿を今に伝えており、室町時代に成立した現代の和風建築で言う玄関・床の間・座敷の原点を体験することができる。

 

「玄関」は、禅宗では「己の心の中に入る関所」を意味する。己と向き合う修業の場である方丈に入る入口として用いられたのが始まりで、徐々に上流階級の住宅にも広がり、建物から突き出た入口の呼び名として定着した。

 

「床の間」は、当初仏像や仏画を掲げた前に香炉等を置く台が原型で、書院の奥に固定された空間となって日本家屋に普及した。

 

板の間に畳を敷き詰める「座敷」は、人が集まって何かの行事や集まりを行う場所が、室町時代以降に建物前の広場(庭)から室内の広間に変わったことで普及した。部屋を仕切る襖を外せば大きな広間が生まれる、襖には客人を飽きさせぬよう障壁画が描かれるようになった。

 

「枯山水庭園」は、方丈建築と同時に作庭されたもので、方丈の横の空間を巧みに利用して作られており、禅寺の方丈正面に広がる庭のイメージと比べると(例:龍安寺石庭)とても小さくて狭い。しかし一方で置かれた石や砂模様との距離が近くとてもよく見える。水墨山水画を立体的に表現した枯山水のリアリズムが非常によくわかるのだ。近代以降の日本の住宅にも狭い裏庭に枯山水風の小さい庭が作られたが、住宅の小さい庭園も大仙院が原点の一つなのだろう。

 

この枯山水庭園には、庭を遮るように方丈と対面の建物とを結ぶ渡り廊下の壁が設けられている。大きな窓が設けられており、滝の水が落ちる石組を窓越しに見せる演出は素晴らしい。渡り廊下は、滝の水が大河に流れ込む前に立ちはだかる「堰」を現しており、寺では「人生の壁」ともとらえている。

 

渡り廊下は明治時代に撤去されたものを戦後復元したもので、最初見た時は「なぜ庭を遮るように作ってあるのか」考えさせられる。作者はこうした思惑を刺激する効果を、西洋絵画の寓意表現と同じように狙ったのだろうか。大仙院の枯山水庭園は奥が深い。もちろん特別名勝である。

 

大仙院を訪れると、日本人以上に欧米系外国人が多いことに気づく。寺の公式サイトも英語表記がしっかりしており、中では英語によるしっかりとした解説が、寺の関係者だろうか、行われていた。500年前の日本家屋でリアルに禅宗文化を英語で体験できるこの上ない空間である。日本人にとっても「和風」の原点を体験できるかけがえのない空間である。

 

 

 

玄関に至る途中の見事なアカマツが静けさを一層深くしている

 

 

日本や世界には、数多く「ここにしかない」名作がある。

「ここにしかない」名作に会いに行こう。

 

 

 

昭和の名庭師・重森三玲の孫が著者、

様式云々よりも「美しい理由」の解説が興味深い。大仙院も10の一つに。

祥伝社新書)

 

 

 

大仙院

http://www.b-model.net/daisen-in/index.htm

原則休館日:公式サイトに案内なし

※寺院は行事の際に拝観できないことがあります。事前にご確認ください。

 

 


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