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軍艦島・長崎 ~ここは廃墟ではなく歴史の宝庫

2017年11月29日 | 城・屋敷・歴史遺産

軍艦島に上陸する桟橋に近づくツアー船

 

長崎港の南西19kmに浮かぶ端島(はしま)は、通称の「軍艦島」がよく知られている。1974(昭和49)年の閉山まで100年近く、三菱の海底炭鉱の採掘拠点となり、島全体が鉱夫と家族が暮らす巨大な街であった。その後長らく廃墟であったが、近年になって日本の近代化を支えた産業遺産としての価値や廃墟ブームも相まって、2009年から観光客が上陸・見学できるようになった。2015年に「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界遺産に登録されてからは、さらに観光客も増えている。

 

軍艦島に行くには、2017年時点で5社が催行するツアーに参加しなければならない。ただし天候によっては上陸できず周遊するだけになる場合がある。ツアー催行会社が月別の運航率・上陸率を公開しているので参考にできる。

 

やまさ海運 月別 運航率・上陸率

 

 

 

 

軍艦島クルーズが運航するツアー高速船

 

軍艦島まで長崎港から片道1時間だが、私が参加した「軍艦島クルーズ」は途中「高島(たかしま)」にも立ち寄る。高島も三菱の大型炭鉱があった島だ。端島よりも長く1986(昭和61)年まで操業しており、坑跡が世界遺産に登録されている。ツアーでは「高島石炭資料館」を見学する。採掘に使われた道具や写真が豊富に展示されている。外には端島の模型も展示されており、ここでガイド氏から島の歴史や見学ルートが解説されるので、上陸前に基礎知識を得ることができる。島は当初は今の1/3ほどしかなく、明治時代に埋め立てが進んでほほ今の大きさになったという説明には驚いた。

 

私が参加した日は、とても海が穏やかな日で珍しいとのことだった。上陸前に船は島を一周するが、揺れもほとんどなく写真も撮りやすかった。

 

 

 

端島が最も軍艦に見える角度、目玉撮影スポットでもある

 

軍艦島と呼ばれるようになった理由がわかる地点を通過すると、ほどなくして桟橋に着く。桟橋の付近は岸壁が激しく破壊されている。台風の波によるもので、この島の自然環境の厳しさを実感させられる。ただ破壊の結果、世界遺産の資産に登録されている「天川の護岸」が露出して見えるようになっている。「天川の護岸」の多くは、波から保護するためにコンクリート護岸で囲まれており、ほとんど見学できない。

 

 

左手のタイル状の石組みが「天川の護岸」

 

軍艦島で世界遺産の資産として登録されているのは、厳密には明治期の遺構である「天川の護岸」と非公開の「海底坑道」の2か所だけだ。資産は保全義務があるため、いずれ桟橋付近の「天川の護岸」も見られなくなるかもしれない。島の大部分は資産を保護するバッファゾーンで、世界遺産的には保全義務はない。築100年を超える建物もあって、いつ崩壊しても不思議はないと思える。保全工事はその規模の大きさから、きわめて困難と思われるが、この難問を乗り越えないと軍艦島の産業遺産としての普遍的価値と大きな観光収入の双方を保つことができない。

 

 

 

石炭を運んだベルトコンベアの支柱が残る、奥の高層建築は小中学校

 

島内ではガイド氏の詳しい解説の後、見学通路上のみ自由見学できる。見学通路は歩いて5分ほどの距離で、島の南端のわずかなエリアだけだが、この島の歩んできた時間を充分に感じることができる。

 

島内の建物はほとんどが高層建築で、軍艦島の景観を強く印象付けている。最も奥にある第3見学広場の正面には、日本最古の鉄筋コンクリート造りのアパート「30号棟」が見える。一般的に日本最古と目されやすい表参道の同潤会アパート(現・表参道ヒルズ)より10年早い1916(大正5)年の建築だ。100年以上経っている。この島には戦前や大正の建物が多く残されており、建築の歴史の宝庫でもある。

 

戦後の高度成長期は、テレビや水洗トイレなどの普及が全国トップクラスに早かった。危険な職業であり賃金が高かったためだ。土地がないためアパートで屋上菜園も行われていた、これも日本最初ではないかと言われている。島には何でもあったのだ。人口はピーク時の1960(昭和35)年には5,000人を超え、東京23区の人口密度の9倍あった。戦後の一億総中流の最先端は、東京・大阪だけでなく、ここ端島にもあったのだ。

 

 

正面が30号棟、左手の斜め向きが31号棟

 

 

廃校になった学校がまさにそうだが、人が多くいた建物には独特のオーラが漂う。軍艦島はそうしたオーラを日本でもっとも強く感じるところだろう。

 

ガイド氏によると、週末にはツアーの参加者の中に大抵、軍艦島の住民だった人や親が軍艦島にいたという人がいるそうだ。閉山から30年以上も立ち入り禁止だったため、全国からやってくる。そうした人は島内ではまず写真を撮らない、活気があった頃の記憶からの街の変わり果てた姿に涙を流す人もいるという。

 

人がいたところには様々な思いが残る。軍艦島は、人が集まることの素晴らしさを教えてくれているように思えてならない。ぜひ訪れてほしい。

 

 

 

日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんある。ぜひ会いに行こう。

 

 

特殊な街「端島」の生活の記録、最先端の設備があった当時のカラー写真も豊富

 

 

軍艦島

http://gunkanjima-nagasaki.jp/(長崎市サイト)

原則休館日:なし

 

※軍艦島見学は下記ツアーに参加する必要があります。予約をおすすめします。

※天候により、軍艦島に上陸できず周遊のみ、もしくはツアー中止になる場合があります。

※軍艦島上陸後の見学ルートは全社同じですが、出港ふ頭や海路は各社で異なります。

※「野母崎炭酸温泉Alega軍艦島」の出港地は長崎中心部ではなく野母崎です。

やまさ海運 http://www.gunkan-jima.net/

軍艦島クルーズ http://www.gunkanjima-cruise.jp/

シーマン商会 http://seaman.jp/

軍艦島コンシェルジュ www.gunkanjima-concierge.com/

野母崎炭酸温泉Alega軍艦島 http://www.nomozaki.or.jp/warship_island.php

 

 

 

 


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