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日本最古の学校の遺構は美しい_栃木 足利 足利学校

2019年03月29日 | 城・屋敷・歴史遺産

栃木県の足利市を訪れました。日本最古の学校跡である足利学校は、儒学教育で室町時代と江戸時代の2度、繁栄の時を迎えていました。そんな繁栄の面影を空間や文化財を通じてしのぶことができます。

  • 「学校」の扁額で知られる学校門は、特別な場所への入口であることを現代人にも明確に伝える
  • 跡地はかなり広く、室町時代に3,000人の学生がいたという繁栄ぶりを実感できる
  • 庫裏で展示されている国宝の中国の古典籍の複製品からは、古の学生たちの息吹が伝わってくるよう


室町時代に都から遠く離れた地で、最先端の教育機関が栄えていたことは、日本文化の奥深さを表しているようなとても興味深い史実です。足利学校はそんな史実を大切に今に伝えています。


学校門

足利は古くからの地名で、室町幕府将軍家となった足利氏はこの地の領主でした。足利市のある栃木県南部は、奈良時代から史実に登場する関東地方では最も歴史のあるエリアです。奈良時代には下野薬師寺(しもつけやくしじ)が、奈良の東大寺、大宰府の観世音寺と共に、国家が正式に僧侶を認定する機関である戒壇(かいだん)の一つとなったほどです。

足利学校の創設時期は不明で、奈良時代から室町時代まで様々な説による論争が続いています。史実として確認されているのは、室町時代の半ば、関東管領(かんとうかんれい)・上杉憲実(うえすぎのりざね)による”再興”です。

関東管領は、室町幕府が関東と奥州を統治するために鎌倉に駐在させた鎌倉公方(くぼう)を補佐する要職です。鎌倉公方は室町幕府を開いた足利尊氏の四男・基氏(もとうじ)が、関東管領は越後から相模まで4か国の守護大名だった上杉氏が、それぞれ世襲していました。

憲実は対立の続いていた室町幕府と鎌倉公方を融和させる動きをした人物として知られていますが、歴史的には文化面での貢献の方が名をのこすことになります。足利学校に加え、横浜の金沢文庫も再興しました。憲実は儒教を篤く信奉していました。


入口・入徳門

憲実は1439(永享11)年頃に鎌倉・円覚寺から高僧・快元(かいげん)を招き、学校の再興を始めます。現在国宝になっている中国の古典籍の多くを集め、学校における教科書として利用させます。教育方針として、儒教を中心に医学など実学も含んだ中国の学問だけを教えるよう定め、仏教を教える寺とは一線を画します。

戦国時代には上杉氏に代わって支配者となった北条氏によって、金沢文庫にあった「宋刊本文選」が学校に移されます。これも国宝です。

こうした純粋な教育機関としての質の高さが評判を呼び、全国から学生が集まるようになります。戦国時代には宣教師ザビエルが「日本最大の坂東の大学」と繁栄ぶりを伝えています。ザビエルは京都より東には足を踏み入れていないため、学校がいかに有名であったかがうかがえます。

戦国時代の真只中にあって、各地の戦国大名が生き残るために実学を得ようと学生を派遣したほか、一旗揚げようとする者が自ら学校の門戸をたたいたのでしょう。

安土桃山時代に庇護者を失って衰退しますが、徳川家康が足利学校を重視します。江戸時代の前半に学校は再び繁栄を迎えます。江戸時代を通じて、貴重な中国の古典籍を見に来る来客が絶えませんでした。

明治になって学校としての役割を終えると、市民の間で保存運動が起こります。足利学校遺蹟図書館が設立され、貴重書は大切に守られていくことになります。1990年には庭園と方丈など江戸時代の建物が復元され、史跡として本格的に公開が始まりました。


復元された方丈と庫裏

学校に現存する最古の建物は、4代将軍・家綱の寄進による1668(寛文8)年建築の、学校門と孔子廟(こうしびょう)です。学校門は現在の史跡足利学校を象徴する建築です。「學校」の扁額が、空間に強く緊張感を醸し出しており、最高学府としての風格を見事に表しています。学校門の正面には、足利学校の中で最も神聖な場所・孔子廟があります。

日本の孔子廟は、長崎に明治時代に造られたものが最も大規模で著名ですが、湯島聖堂や閑谷学校など儒学の学校に江戸時代から見られます。儒学は思想・哲学の最高峰として江戸時代まで日本の知識人に信奉されていました。朱子学や陽明学と言った著名な学問も儒学の一派です。

足利学校の孔子廟は、現存する日本最古の孔子廟で、儒学を信奉する日本の知識人のあこがれを今に伝えます。屋根が二層連続して設けられた典型的な中国風の建築です。屋根瓦は黄色でありませんが、中国にある孔子廟と変わらない美しさです。2019年3月現在、保存修理工事中で内外観とも見学できませんが、2020年中に再公開される予定です。


庫裏で展示されている国宝の中国古典籍の複製

江戸時代の趣を伝えるべく復元された庫裏の中では、足利学校に伝わる文化財が展示されています。足利学校に伝わる10,000点を超える古典籍の中でも、国宝指定された宋刊本文選/宋版礼記正義/宋版尚書正義/宋版周易註疏が別格です。複製を常時鑑賞することができます。江戸時代に名声を聞きつけた全国の知識人がわざわざ足を運んで見に来た逸品です。複製品ですが、本物のオーラを感じることができます。


収蔵庫を囲む竹林


日本最古の学校は平安時代初めに空海が東寺境内に設立した種智院(しゅちいん)が知られていますが、すぐに廃絶します。現存の東寺境内にも面影は全くありません。現在の種智院大学は、明治になってから真言宗各派有力寺院が共同で設立した学校です。

岡山県の閑谷学校と並んで、足利学校は日本を代表する学校の美しい遺構です。広大な関東平野の北の隅っこで、学問の聖地が花開いていたのです。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



北関東で日本史をリードした足利の町の魅力を探る

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史跡足利学校(栃木県足利市)
【公式サイト】http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/ashikagagakko/

原則休館日:毎月第3月曜日、12/29-31
入館(拝観)受付時間:9:00~16:00(4-9月は~16:30)

※公開期間が限られている美術品があります。



◆おすすめ交通機関◆

JR両毛線「足利」駅下車、北口から徒歩10分
東武伊勢崎線「足利市」駅下車、北口から徒歩15分
北関東道「足利」ICから車で15分

JR東京駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:2時間10分
東京駅→上野東京ライン常磐線→北千住駅→東武伊勢崎線特急りょうもう→足利市駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には無料/有料の駐車場があります。


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