明通寺・萬徳寺・妙楽寺以外にも、若狭の小浜にはまだまだ美仏があります。
羽賀寺(はがじ)の十一面観音は、女性的なお顔立ちが印象的です。彩色もよく残っていて美しいことから、小浜で一二を争う美仏でもあります。この美仏にお会いするために、山すその奥まったところにある本堂へ上る石段も、とても美しいたたずまいを見せてくれます。心が安らぐこと、間違いなしです。
重文の本堂は中世を感じさせる
羽賀寺は、寺伝によると奈良時代初めの元正(げんしょう)天皇の勅願で、東大寺大仏造立に大きく貢献した行基(ぎょうき)が創建しました。十一面観音は元正天皇の姿を現した“御影(ぎょえい)”と伝えられていますが、実際の製作は平安時代前期と考えられています。
現存する本堂は寺伝によると、室町時代半ばの応仁の乱が起こる少し前の1447(文安4)年の建立です。後花園天皇の勅命で、古くから蝦夷や日本海の交易で栄えた津軽の十三湊(とさみなと)を根拠地とする戦国大名・安藤康季(あんどうやすすえ)が建立しました。
安藤氏は、平安時代末の奥州藤原氏以前に東北地方を支配した安部氏の末裔とされる名門で、戦国時代には秋田、江戸時代には福島県・三春を、秋田氏と名を変えて治めています。
室町時代に小浜から遠く離れた津軽の大名が再建したというのは驚きですが、寺伝の信ぴょう性は低くないと思います。応仁の乱の少し前、室町幕府や朝廷の権威は低下する一方で、全国の豪族が“我こそは”と覇権を競っていた時代でした。
十三湊にとって小浜は、日本海の交易を通じ都への玄関口となる重要な港町です。羽賀寺再建陳情の話を耳にした後花園天皇には、すぐに再建を命じられる有力武将は都の近辺にはいなかったでしょう。一方、再建話にのった安藤康季は、都の政界、また都への物流拠点である小浜の街で名をあげることができます。
こうした戦国時代特有の時代環境が、羽賀寺の運命を現代まで続かせたように思えてなりません。小浜の街が歴史的に、日本海から都に至る重要拠点だったことをあらためて認識できます。
本堂に上る石段
境内は鬱蒼とした森に覆われとても静かです。本堂に上る石段を見ると心が安らぎます。本堂はとても中世的です。檜皮葺きの屋根が反り返っているのが、中世に流行した禅宗様式を感じさせます。
【若狭おばま観光協会サイトの画像】 本尊・十一面観音
本堂内陣のセンターに本尊の重文・十一面観音がいらっしゃいます。聖武天皇の后の光明皇后の御影として、女性的なお顔立ちで知られる奈良・法華寺の十一面観音以上に女性的に見えます。
若さを強調した美女というより、包容力のある“肝っ玉母さん”のようなお顔立ちです。“どや顔”のように、満面の笑みを浮かべています。正面から見ると下半身がとても長く、垂れ下げた右手もとても長く造られています。真下から拝んだ際により優美に見えるよう、仏師が計算したのでしょう。
女性的な華やかさを醸し出す要因はもう一つあります。保存状態がよく、彩色がとても美しく残っていることです。特に下半身を取り巻くスカートのような赤い襞(ひだ)は美しく、奈良から平安時代にかけての貴族女性のファッションを彷彿とさせます。
【小浜市サイトの画像】 千手観音
十一面観音の左右には、同じく重文の千手観音と毘沙門天がいらっしゃいます。いずれも明治に廃寺となった近隣の松林寺にあった仏様で、現在明通寺にある不動明王とともに三尊を成していました。千手観音は十一面観音と対照的に、男性的な落ち着きが表現されています。
実に時間を忘れて、心を安らぐことができる空間です。
こんなところがあるのです。
ここにしかない「美」があるのです。
「かくれ里」の美仏を巡る
羽賀寺(若狭おばま観光協会サイト)
http://wakasa-obama.jp/TouristAttract/TouristAttractDetail.php?3
原則休館日:なし
※仏像や建物は、公開期間が限られている場合があります。
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