田舎へ行ってご/見てご!

二地域居住(田舎暮らし)、花・写真、古民家めぐり、旅、日々のあれこれなど。

四国周遊の旅:2/4(愛媛県編)

2019年05月29日 | 日本っていいなぁ。(旅の思い出)

 14日(火)昼前、愛媛県(鬼北町)に入る。

先ずは全国で唯一、自治体名に「鬼」の文字が入っている愛媛県鬼北町の④道の駅「日吉夢産地」に。

巨大な美人鬼の母子像。「柚鬼媛(ゆきひめ)」と名付けられた像は、高さ約5m。人気撮影スポットになっているそうです。

次に⑤道の駅「森の三角ぼうし(鬼北町)」

こちらにも金棒片手に注連縄(しめなわ)のついた岩の上に座り込む赤鬼の大きな像が。柚鬼媛と夫婦でしょうか?

漸く、宇和島市に入り、郷土料理・大衆割烹「ほづみ亭」で昼食。「宇和島城」の直ぐ近く。

鯛めし」、「じゃこ天」は宇和島の名物なので、宇和島に行ったら絶対に食べようと思っていました。

宇和島には、他に「ふくめん」「鯛そうめん」「さつま」「太刀魚の巻焼き」などの名物があります。

 「鯛めし:1100円」、「じゃこ天:500円」。「鯛めし御膳」は2200円ですが、普通の「鯛めし」で十分です。

 新鮮な鯛を卵入りの醤油だれに漬け、あつあつのご飯にかけます。

 

いよいよ「宇和島城」へ。現存天守12城の一つです。

藩老桑折(こおり)氏武家屋敷長屋門」(市指定文化財)が城山北東側の登城口になっており、ここから山の斜面を登ります。

 

基本的な城構えは藤堂高虎時代のものですが、伊達家(十万石)により修築されています。

現在、堀は全て埋められ、三之丸をはじめ総郭部分約28万㎡は失われてしまいました。

現存12天守の1つで国指定重要文化財。。高さは15.72m(3重3階総塗籠(そうぬりごめ)式、層塔型の天守)。

瓦と木部上部の家紋は「九曜紋」、木部下部の家紋は「堅三引両紋」。伊達家の家紋。

迫力のある墨絵が展示されていました。作者は墨絵アーチストの「茂本ヒデキチ」さん(愛媛県松山市生まれ)です。

 

この階段、分度器で計ったら約60度ありました。

 天守台から「宇和島市街地」「宇和海」(リアス式海岸)を望む。

鬼瓦の「九曜紋」の家紋

苔むした石垣と天守。

小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られ、非常に格式を重んじた造りになっています。

入場料:200円、現存12天守「城カード」:200円

 

続いて、松山自動車道経由大洲自動車道で「大洲肱南I.C」を出て「臥龍山荘」へ

途中、⑥道の駅「どんぶり館」へ立ち寄る。

臥龍山荘」は、肱川(ひじかわ)随一の景勝地「臥龍淵」に臨む別荘(約3,000坪)

 明治時代に建築された数寄屋造りで、国指定重要文化財(臥龍院、不老庵、文庫)

山荘入り口の黒門。自然との共生を重んじた見事な日本建築と庭園。 

豪商「河内(こうち)寅次郎」が、10年の構想と4年の歳月を費やして明治40年に完成

主屋「臥龍院」 随所に、今では入手出来ない銘木が使われ、名工の技が光ります。

建築家の黒川紀章から桂離宮に勝るとも劣らない傑作と評され、2011年には「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」の一つ星を獲得

 「清吹(せいすい)の間」 別名「夏の部屋」で高天井、欄間の透かし(水玉・菊水・花筏(はないかだ))の工夫、書院窓の外側は修学院離宮の手摺同様の時雨高欄。全面神棚

「清吹の間」と「壱是(いっし)の間」の境の「菊水の欄間」

「霞月(かげつ)の間」素朴と清楚表現の部屋。違い棚は京都大徳寺玉林院の霞床席参考。

壁の一部(左上)を塗り残し、荒れた農家の風情を表し、侘び寂びの表現がされています。

縁側廊下には仙台松の一枚板が使用されていますが、こちら側は仙台松の一枚板にあえて溝が引いてあります。

「蝙蝠(こうもり)の引手」は薄暮を。襖もあえて鼠色で薄暮を表現。

「壱是(いっし)の間」。格調の高い書院座敷。桂離宮の様式を全体に取り入れ、畳下は能舞台とし、床下には音響調和の備前壺が12個並ぶ。

苔むした庭

臥龍淵」を眼下に見る崖の上に懸り造りに建てられた数寄屋造りの「不老庵(ふろうあん)」

 

「臥龍淵」を真下に見て肱川の絶景を臨めます。

この山荘の名物のひとつに、槇の生木を「捨て柱」としている。上に伸びないで横に成長している。

 建築様式は「懸造り」。船内を見たてた天井の網代張りに川面からの月明かりがほんのりと天井を照らす。

 

 

続いて、市民会館前に駐車し、3つ目の城「大洲城」に。

複合連結式4層4階の天守閣(左)が特徴

2004年、 主に市民の寄付等により復元

天守の内部

 天守から見た「肱川

裏側に周ってみました。

大洲まちの駅「あさもや」。こちらに駐車してまち中を散策。

おはなはん通り」NHK連続テレビ小説「おはなはん」(1966〜 67年の平均視聴率は45.8%、最高視聴率は56.4%)のロケ地

おはなはん通り休憩所の中に飾ってあった「おはなはん」(樫山文江)の写真

ポコペン横丁」の「思い出倉庫」の内部。

昭和レトロなものが溢れんばかりに飾ってあります。

おおず赤煉瓦館」明治34年、大洲商業銀行として建築。3棟の建物で構成。

大洲市から松山市へ移動。途中、「伊予野田P.A」から見た「伊予灘」など。(ここまで通算276.4km)

 この日は道後温泉の「道後プリンスホテル」に宿泊。

全部で7泊しましたが「和室」はここだけ。

基本、夕食は付いていませんが、この日はグレードアップしたので1泊2食付き。

風呂あがりに蛇口をひねると無料で飲めるオレンジジュース。

部屋の窓から遠く「松山城」が見える。「道後温泉」は周りがビルだらけ。

翌日(15日)の午前は「道後温泉」街を散歩。

道後温泉駅前の「放生園」にある「坊っちゃんカラクリ時計」が丁度動き出しました。

 

道後温泉駅

 「坊ちゃん列車

道後温泉本館

「道後温泉本館」全景。今年の1月から7年間予定されている工事期間中も、道後温泉本館で入浴することができる。

右側は日本で唯一の皇室専用浴室である「又新殿(ゆうしんでん)」の入り口

道後温泉中興の祖「伊佐庭如矢(いさにわゆきや)」の像

道後温泉別館「飛鳥乃湯泉

昼飯はこちらでうなぎ入り「焼きおにぎり」と「たまご焼き」を購入(300円)。本当はうな重(3700円)が食べたい!

 

車に戻り、ガイドの方に教えていただいた愛媛県庁近くの安めのコインパーキングへ。徒歩で「萬翠荘」へ。

「坂の上の雲ミュージアム」から見た「萬翠荘」。取り敢えず木陰で昼飯を。

”松山城の麓の緑の森の中に佇む邸宅”という意味だそうです。観覧料:300円

旧松山藩主の子孫にあたる久松伯爵が別邸として建築(大正11年・1922年)した大正浪漫の建造物。

踊り場のステンドグラス・波の上の帆船(木内真太郎作)

内装材は南洋から取り寄せた堅いチーク材で、すべての手摺に彫刻が施されている。

昭和天皇が『萬翠荘』を訪れた時に、お食事をされたと言われるお部屋

愛媛県で最も古い鉄筋コンクリート造り。ネオルネッサンスと呼ばれる格調高い様式。左右非対称。

 

萬翠荘」を後にして、ホテルに車と荷物を預け、歩いて「松山城」へ。

4つ目の城は、現存12天守の「松山城」(国指定重要文化財)

 「松山城」の城山8合目付近までリフトかロープウェイで行けます。景色が良く見えるようリフトにしました。

(※総合券:ロープウェイ・リフト往復券+天守の観覧券がセットで1,020円)

右側が「筒井門」、左側が隠門(かくれもん)」

きっぷ売場付近から見上げた「天守」(中央)、左側は「小天守」(復興建造物)。

「小天守(こてんしゅ)」から見た「天守(三重三階地下一階の層塔型天守)」

「天守」からの眺め。素晴らしい景観です。

手前が「一ノ門」、左奥が「二ノ門」

「天守の内部」。何故か天井板があり、畳を敷ける構造になっている。床の間も設えられ、襖を入れるための敷居まである。

「天守」から見た松山市街(道後温泉方向)

帰りもリフトを選択。爽やかな風が心地よく、景色も素晴らしい。

歩き疲れて、喉が渇いたのでロープウェイ街の珈琲豆挽売り専門店「進和」で休憩。アイスコーヒーがなんと150円とリーズナブル。

他店では500円位していました。この日は歩数は約15,000歩

松山市の路面電車(市内線)は「伊予鉄道」が運行。伊予柑をイメージしてオレンジ色の車体が多いのかも?

16日(木)、朝食後、「丸亀城」(香川県丸亀市)に向け出発。(ここまで通算291.8km)ちょっと食べ過ぎかも?

香川県編に続く(別ページで)

 

 

 

 

 

 

 

 


四国周遊の旅:1/4(高知県編)

2019年05月29日 | 日本っていいなぁ。(旅の思い出)

生まれてこの方、一度も足を踏み入れたことがなかった「四国」に行って来ました。

四県を巡って来ましたので、4回に分けて順次UPしていきます。

(※ボリュームが多いですが行動記録も兼ねているのでご容赦を!)

先ずは高知県。写真は重文「高知城」。

あーちゃんは何度か高知には行っていますが、私は全くの初めてです。

 

5月12日(日)昼過ぎ、「高知龍馬空港(南国市)」到着。

今回の旅行は、思い切って7泊8日(5/12~5/19)にし、レンタカーで「高知県→愛媛県→香川県→徳島県」の順に時計回りで周って来ました。

 

初日はあーちゃんの実姉が住んでいる「高知市」に行き、10数年ぶりに義兄にもお会いし、久しぶりに和やか時を過ごすことが出来ました。

義兄は定年退職後、郷里に戻り、築150年の古民家(実家)に住んでいて、随所にこだわりが感じられる設えがしてあります。

この日の夜は義姉夫妻に歓待して頂き、カツオの刺身・タタキや山菜などを御馳走して頂きました。

これは何だか判りますか?イタドリ/別名:スカンポです。

田舎育ちの人は子供のころに食べたことがあると思いますが、大変美味しい春の山菜です。

 

翌日(13日)、9時半に「高知城」の「追手門」で待ち合わせし、義兄に案内してして頂くことにしました。

しかし、早朝に目覚めてしまった私は、早々にホテルで朝食を済ませ、

一人で「高知城」を散策(開館前なので天守には入れません。)し、「二の丸」まで行って来ました。

ホテルの前を走っている路面電車(とさでん交通)

 「高知城」は国指定重要文化財で日本で唯一、本丸の建築群が現存します。築城は土佐藩の初代藩主「山内一豊

右側が「追手門」。石垣は「穴太衆(あのうしゅう)」によるもので、雨の多い土地柄を考慮し、崩れにくく、排水能力も高い野面積(のづらづみ)が多く採用されています。

「追手門」。石垣の上に渡櫓を載せた櫓門で城の大手(正面)にふさわしい堂々たる構えです。

城の表側、つまり正面のことを「大手」と言いますが、もとは「追手」と書いていたようで、高知城(高知県)や郡山城(大和郡山市)、駿府城(静岡市)など、現在でも「追手門」という表記が残っている城や城下町があります。

ケヤキ(欅)で出来た追手門。1664年に再建されたというから、355年前のもの。

門前の石垣は城内で最も巨石が多くみられる場所。

追手門。扉も銅板で補強。扉に付けられた釘隠しの乳金物(別名:饅頭金具、乳金具)

「追手門」をくぐり、左手の石段を登り詰めると「杉の段」に至ります。

右側には「山内一豊(やまうちかつとよ)」の妻(千代)の像。内助の功の鑑として有名でNHK大河ドラマ「巧妙が辻(司馬遼太郎作)」でも描かれました。山内一豊の銅像も追手門の外にあるそうですが見落としてしまいました。

山内一豊は「やまのうちかずとよ」と読むとばかり思っていましたが、入場券売場で係の人から「違いますよ」との指摘。「やまのうち」は分家読みで、本家は「やまうち」と読み、名前も史料から「かつとよ」と読んだそうだ。

黒塗りの「詰問」。本丸と二ノ丸を繋ぐ役目を果たす櫓門。

藩政時代には「橋廊下」と呼ばれ、門内に侵入した敵が容易に通り抜けられないよう、入口と出口の扉の位置が「筋違い」に設置されています。二階は家老・中老などの詰所として用いられていました。

「石落とし」と「忍び返し」の鉄剣。

塀に開いた丸、三角、四角と様々な形を持つ「矢狭間(やざま)」。ここから鉄砲や弓矢で敵を駆逐。

三の丸」から見た天守。

一旦、ホテルに戻り、あーちゃんを伴って義姉夫妻との待合せ時間に「追手門」に行き、今度は本丸の天守まで登って来ました。

 

詰問。通称「橋廊下」を渡って本丸へ。ここが本丸御殿「懐徳館」の入口。御殿受付で利用料(420円)を払う。

100名城スタンプ押印、現存12天守「城カード」購入は失念。ボケ老人か。

山内家の家紋の「丸三葉柏紋(まるにみつばかしわもん) 」

 

「下段の間」と「次の間」の間の波の透かし彫り欄間「うちわけ波の欄間」

天守の内部。天守は3層6階

 

天守から見た「二の丸」「詰問」。天守の高さは18.5mあり、天守のある本丸の標高は、海抜44.4m。

天守。黒漆で塗られた廻縁(まわりえん)と高覧。高欄には擬宝珠(ぎぼし)が付いています。

これが付いているのは現存12天守の中では高知城のみ。

天守のユニークな看板。

天守から見た「三の丸」と高知市街の風景。

天守から見た「追手門」方向。中央の細長い建物は2017年にオープンした「高知城歴史博物館」。

国宝や重要文化財を含む約67,000点に及ぶ山内家伝来の貴重な資料や、土佐藩・高知県ゆかりの歴史資料を収蔵。

本丸から見た「黒鉄門(くろがねもん)」

天守の「シャチホコ(鯱)」

高知城を見学し終わった頃、急用が出来た義姉夫妻とお別れして、 

我々夫婦だけで、「ひろめ市場」へ。

途中、「高知大神宮」に参拝。金色の鳥居が珍しい。

ひろめ市場」は、高知の郷土料理店など60を超える店が集まった大きな屋台村。

観光客が朝からカツオのタタキを食べながらビールを飲んでいます。この店が元祖噂の「芋けんぴ屋」だそうです。

街なかを歩いていると至る所にある「リョウマの休日」や

「高知家(こうちけ)」ののぼり旗

この後、「旧山内家下屋敷展示館」(国指定重要文化財)に。

長屋は二階建て、入母屋造りで、桁行17間半、梁間2間半で南北に長い建物です。

二階の特別展示室。土佐藩船「夕顔丸」などの和船模型が展示されている。

昼食は須崎市緑町に本店がある須崎魚河岸「魚貴」新阪急店で日替わり弁当(コーヒー付き:800円)を頂きました。

この後、一旦ホテルに戻り、車で「高知県立牧野植物園」に。(写真:正門)

日本の植物分類学の父「牧野富太郎博士」(1957年没)の業績を顕彰するため、高知市五台山(標高130m)に1958年に開館。(入園料:720円)

起伏を活かした約8haの園地で、博士ゆかりの野生植物など3000種類以上を観賞することができます。

また、高知平野や四国山地の眺望も楽しめます。(高知龍馬空港から約20分)

「牧野富太郎記念館本館」牧野博士の蔵書や遺品など約58000点を収蔵する「牧野文庫」がある。

温室

アリマウマノスズクサ」(ウマノスズクサ科)

つる性の木本植物でジャコウアゲハの幼虫の食草として知られています。開花期は5~6月。

 

トビカズラ(飛葛)(マメ科)

大変、珍しい植物で、初見です。つる性の常緑大型木本。

 

国内では熊本県山鹿市菊鹿町相良地区と長崎県佐世保市沖の無人島の2株だけが自生

相良の「飛葛」は国の特別天然記念物に指定されています。4月下旬~5月に暗紫色の花を付けます。

 

マキバブラシノキ」(フトモモ科):花期5月頃

バクチノキ」:樹皮は灰白色で、絶えず古い樹皮が長さ数10cm程度のうろこ状に剥がれ落ち、黄赤色の幹肌を現す。

名前は、これを賭博に負けて衣を剥がれるのにたとえたことに由来。

牧野植物園温室のある南門を出るとすぐ五台山「竹林寺」があります。

四国八十八カ所霊場の第31番札所「竹林寺

仁王門」明治33年再建。仁王像は1686年の造顕

本堂」竹林寺の本尊、文殊菩薩を祀る本堂(文殊堂)

鎌倉時代初期の様式をもつ「五重塔」 (昭和55年完成なのでまだまだ新しい)

 

竹林寺をあとにして「桂浜」へ。まずは「坂本龍馬の銅像」(右側のこんもりした緑の中にあります)を見て、浜辺に。

大変、美しい砂浜ですが、急な高波や強い引き波があり危険なので、波打ち際には近づかないようにとの放送が流れています。

突然の高波に寄る水難事故が多発し、一年中遊泳禁止とのこと。

「海津見(わたつみ)神社(龍王宮)」方向から見た桂浜。左手奥の建物は「桂浜水族館」

土産店に立ち寄ってからホテルに戻り、夕食はセブンのコンビニ弁当とオールフリーを飲んで就寝。

この日の歩数は約18,000歩。

翌日(14日)は、愛媛県の宇和島で昼ごはん(鯛めし)を食べたいので、早起きして出発。

14日(火)は生憎の雨模様。まずは「高知自動車道須崎西I.C」を降りてすぐの所にある道の駅「かわうその里すさき(須崎市)」。高知市内やこちらの道の駅に「小夏」が販売されています。

高知では「小夏」と呼ばれるカンキツは、宮崎県では「日向夏(ひゅうがなつ)」、愛媛県では「ニューサマーオレンジ」と呼ばれています。

今が旬(4月~6月)。これが本当に美味い。買って帰ろうと思いましたが荷物になるのでやめました。今度産直で取り寄せたいと思います。 

続いて清流四万十川の源流点に程近い、国道197号線沿いに整備された道の駅「布施ヶ坂(津野町)」

義兄宅で食べた「イタドリ」が美味かったので「塩抜きイタドリ(330円)」を購入。

こちらが加工前の「イタドリ(120円)」タデ科の多年生植物。

関東でも其処彼処に生えていますが殆ど見向きもされません。

山の中ですが、こんなものも売っています。「サバの姿寿司(1200円)」。頭がついているのが?

続いて日本三大カルストに数えられる四国カルストの麓に位置する道の駅「ゆすはら(梼原町)」へ。

自然を生かして作られた太郎川公園全体が道の駅で「雲の上のレストラン」や自然の中でゆっくりとくつろげる「雲の上の温泉」もあります。

結局、高知県内では国道197号線沿いの道の駅3か所に立ち寄り、愛媛県に入りました。