晴山雨読ときどき映画

“人生は森の中の一日”
山へ登ったり、本を読んだり映画を観るのは知らない世界を旅しているのと同じよ。
       

えんぴつの会

2008年07月16日 | 想い
奇数月は先生なしで会員どうしの合評会ー。今回は「私はいつから母の娘でなくなったの」の題で書きました。今朝から書き始めたので途中までで時間切れとなりましたが、書いているうちに自分の気持ちが整理されだいぶ客観的になれました。文章を書くことはまさに精神安定剤の役割があります。
                 
                

『えんぴつの会』も4月から新会員が増えて賑やかになりました。旧会員は彼らの適応力の早さに驚いています。でも新風を吹き込んでもらうのはありがたいのだけど、雰囲気を変えてしまうほどの迫力に圧倒され少々居心地が悪い・・・。知らない内に自分でもやっているのかもしれない。
気付かせてもらってありがたいと思いましょう。

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2 コメント

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自由な空間 (いさな)
2008-07-19 12:23:58
以前あなたから、文章教室の先生が短歌の世界は旧態依然として好きじゃないから散文に移ったとおっしゃったと聞きました。

定型を重んじる短歌にはそれを受け継ぐ集団の中にも、そのようなある意味秩序といったものが大切なのではないでしょうか。
なにしろ和歌と呼ばれたころから1300年以上の時空を、その形を変えずに受け継いできたのですから、どこか古めかしい上下関係、師弟関係を、なるほど残しているようだと、短歌に頭の先だけちょっぴり突っ込んだだけの私にも、見えてきました。
けれど、だからといって短歌をやめて、文章へとは思いませんから、あなたの先生だって、きっと、そればかりではなく、短歌より散文のほうが、自分を表現するスキルとして合っていると思われたのでしょう。もしくは才能があると。
一方散文は、旧来の文体を破り続けることで、発展してきた文芸でしょう?
時代だけでなく、個々人独自の文体を確立することで成り立つものでしょうから、自分の文体を磨いてゆこうとする人々の集団においても、独自性ということが(勿論短歌でも精神世界の独自性は命ですが形においては定形)なによりもおもんじられるのでしょう。
自由闊達であることが一番大切なのでしょうね。
新しい方々がのびのびと振舞われることは、そのような空間であることは大切なことかも。
なんて、思いました。あなたのご意見は?
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なるほど・・・ (bamboo)
2008-07-20 14:55:33
>自分の文体を磨いてゆこうとする人々の集団においても、独自性ということがなによりもおもんじられるのでしょう。自由闊達であることが一番大切なのでしょうね。
新しい方々がのびのびと振舞われることは、そのような空間であることは大切なことかも。

そうかもしれませんね・・・。
最近所属している七つ星、山の会(休会中)でも、目的以前の問題があれこれ生じ、えんぴつの会も同じ状況に近いのです。同じ目的で集ったはずなのに、それ以前の人と人が組織を作り上げていこうとする約束事やマナーの段階で、お互いが食い違ったりして許容できなくなっているのです。本来自体ではなく付属物で感情の行き違いがあるのは悲しいのですが、これも人の為せる業、時には激しくぶつかったりしガス抜きをしていく必要があるのかもしれません

いさなさんがのびのびと振舞う空間を私達が作ってあげてたというのは、とても前向きな参考になりました

ありがとう
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