晴山雨読ときどき映画

“人生は森の中の一日”
山へ登ったり、本を読んだり映画を観るのは知らない世界を旅しているのと同じよ。
       

『龍馬伝』その後の日本の行方が気になって・・・

2010年12月02日 | 
(濃紫が凛としているヤブムラサキの果実は比呂を彷彿とさせます)

TV『龍馬伝』がついに終りました。
坂本龍馬は暗殺され簡単には平等な世の中が訪れそうにもありません。混沌とした世情が想像されます。果たして新政府は快く武士や民衆に受け入れられたのだろうか?司馬遼太郎などの男性作家ではなく、女性作家の視点でとらえた明治維新を読みたいと思っていた所、たまたま2冊の本に行き当たりました。高校では大学受験で世界史を選択し、日本史の授業は上の空で聞きながらこそこそとアルバイトをやっていた口でした。情けないことに、あの頃は真剣に自分の国の歴史を学ぼうという姿勢が希薄でした。



植松三十里さんが新田次郎文学賞を受賞した『群青 日本海軍の礎を築いた男』『黍の花ゆれる』を読んでいました。
松井今朝子さんは『吉原手引草』で直木賞を受賞されていますが、未だ読んだことはありません。

新政府は江戸時代の身分制度を改めて、公卿と大名は華族、武士は士族、農民と商人は平民とします。しかし士族となった旧武士たちは明治維新に努力したのに改革によって自分たちの特権がなくなるのに不満が募り爆発します。士族の一部と民衆は、新政が薩摩藩や長州藩出身の人々によって動かされているのに疑問を持ちます。戊辰戦争など一年にも及ぶ内乱を経て廃藩置県に到達するまで長い道のりがあったのです。武力でまたもや転覆させようと旧武士は西南の役などの争いに死に場所を求めて買って出る者も居る中で、武力によるのではなく議会政治を発達させ基本的人権を保障する自由民権運動などの機運も高まってきます。

そんな江戸を舞台に繰り広げられる物語の中で、男達があれやこれやと御託を並べ武士を止められないのに比べ、女たちは揺らぎません。彼女らが求めるものは単純明快です。

長崎街道の宿場町日見にある腹切坂
近辺まで足を延ばした買い物帰り、『腹切坂』にぶつかりました。何気なく通り過ぎていましたが立ち止まって真剣に読んでみると・・・。熊本細川家の家臣が長崎から熊本へ帰る途中、町民と一手の試合を申し込みますが、意外にも試合は町民の勝ちに終り、家臣は武士の面目を保つためにここで腹を切って果てたのでした。武士のプライドを保った家臣を褒めたたえて立てられたのか、不憫に思ってなのか・・・。「私ら女たちには解せないよ」と宗八郎の想い人、比呂の声が聴こえてきそうです。しかし、おそらく私を含めて現代女性には比呂のような強い生き方はもはやできません。比呂は云ってのけてます。「男が喰えないときは、代わりに喰わせてやるくらいの肚を持ってやらないと、男は己のすじを通して真っ当に生きられない。結局それじゃあ世のなかはちっともよくならない」と。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 初めて山伏茸を食べたよ | トップ | 山で拾った冬紅葉をお品書き... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事