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晴山雨読ときどき映画

“人生は森の中の一日”
山へ登ったり、本を読んだり映画を観るのは知らない世界を旅しているのと同じよ。
       

プチ旅行 千々石ミゲルの墓石を訪ねる

2012年06月07日 | 日常
七つ星仲間のセイさんから、仕事が休みなので「伊木力に用事があるついでにぶらっと大村湾を一回りしない?」と、昨夜遅くに電話をもらいました。伊木力と聞けば、当地では有名な蜜柑の産地です。「立ち寄ってもらいたい所があるのだけど・・・」2年前に村木嵐著「マルガリータ」を読んで以来、どうしても花を手向けたかった千々石ミゲルの墓所です。天正遣欧使節の正使だった千々石ミゲルは、派遣された4人の中でひとり棄教しました。棄教後、清左衛門と名乗り結婚し信仰を捨てて長崎で暮らしましたが、大村藩主や従兄弟にあたる有馬晴信らからも疎まれ、失意のうちにこの世を去ったといわれています。その墓石が発見されたと新聞で知ったのは9年ぐらい前のことで、やっと今日思いを果たすことができます。
空いていた他のメンバー2人を誘って出かけました。

大草駅前の地元の野菜が並ぶお店でそれぞれ甘夏、にんにく、小ねぎらを買い込んだ後、甘夏ジュレをほおばりました。
さあ、これからゼンリンで調べていた地図をもとにたどります。
「千々石ミゲルと見られる墓石」と書いた標示板が何とも奥ゆかしい。



歴史を感じさせる赤いレンガ造りのトンネルから左折します。



100メートル先に簡素なコンクリートの階段が見えました。元々は木々が生い茂る山中だったのかもしれません。切り倒した狭い土地に大きな墓石と小さな墓石が並んでいました。大きな墓石はミゲル(清左衛門)夫婦のもので、戒名が「本住院常安」と刻まれてあると説明されていますが、薄い文字を読み取るのは困難な技。
420年前、教科書に載るほどの歴史的な少年使節として海を渡った前途有望な4人の男の子たちは、帰国して謁見した豊臣秀吉にも気に入られました。仕官を勧められても全員断っています。その後、ミゲルは日蓮主に改宗し、厳しい仕打ちを受ける人生を送ることになります。
山奥にひっそりと眠るように建てられた墓石は大村を睨みつけるように立っていると伝承されていますが、私にはそう思えません。うろ覚えになったマルガリータの最後の章を思い出しながら手を合わせました。








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