江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

「東日本大震災から11年半が過ぎた」  東北岩手学習交流の旅 (1)

2022-12-10 | 随想
2011年3月11日の東日本大震災から11年半が過ぎた。
日退教は昨年に引き続き「東北岩手学習交流の旅」を10月30日~31日に実施し、全国から23名が参加した。
盛岡駅新幹線北改札口に集合し、バスは「道の駅とおの風の丘」をめざし出発した。

Ⅰ 《菅野和夫氏の車中学習会》
2011年当時 町内会長をしていた菅野氏は現在78才。
震災の時は大きな津波が来るかも知れないとPCを持って避難したが、ガラスは降ってくる、車は動く、瓦は滑り落ちる、ブロック塀は倒れるなど大変な状況だったと云う。

この時の様々な体験や写真をまとめて、次の震災に生かして欲しいと活動をしてきた。
この活動が認められ消防庁の依頼で11年にわたり、北は利尻島から南は熊本まで全国28カ所で招かれ、津波被害を受けた山田町の当時の状況を伝えてきた。 


〈明治・昭和・平成と三度の大津波〉

宮城県沖の大津波は明治29(1896)年と昭和8(1933)年に起きていた。
2009年には10年以内に宮城県沖で地震発生確率が70%と云われており、2011年3月9日
に三陸沖で3.11の余震と見られるM7.5の地震が発生した。

3月10日にはM6.0とM6.4の地震が二度発生した。

3月11日には14:46分に宮城県沖M9.0(持続時間170秒)、15:08分には岩手県沖M7.4
15:15分には茨城県沖にM7.6と30分ほどの間に三度の大地震が起きて大津波を発生させた。

大津波は漁港や住宅地、農地など吞み込み死者・行方不明者は2万人以上にもなった。
災害時の海岸や賑わっていた街や人々の暮らしは、三度の連続した大津波で全てが破壊され流されていった。

3.11当日の地震や生々しい津波映像を見て、あの時からもう11年が過ぎたのかと時の流れの速さを思った。
だからこそ、忘れてはいけないと思った。

東京からボランティアで来ていた大学生が中心となって作った「タイチが跳んだ日」のアニメも視聴した。
小学生に是非見て欲しいアニメと思った。


〈津波てんでんこ〉



菅野氏の実家は陸前高田市、祖父は「津波がきたら親も子もない」「逃げなかったら若い命が奪われてしまう」家族の誰かを心配して戻らないことが大切だと語っていたと云う。

「津波てんでんこ」については様々議論されているが、逃げない年寄りを説得していて亡くなった人もいる。
命を失えば何も伝えられない。
率先した避難者にならないと家族、地域が全滅してしまうと語った。

バスは遠野市道の駅へ。
遠野市は震災時、壊滅的な津波災害を受けた山田町や大槌町などにのべ30万個のおにぎりを届けて支援活動を行ったと云う。

(つづく)

<デラシネ>

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