僕の名は遙 剱(はるか つるぎ)。フリーカメラマンである。
10歳の頃、庭に舞い降りた雀の声を聞いた。
「人間てのは不便なもんだな。飛べないなんて。
それに、働かなきゃなんない。金というものを稼ぐために。」
僕は笑って、米櫃から米をひとつまみ、庭に撒いてやった。
雀は一生懸命ついばんでいた。
「ありがとう」すべて食べ終わった後、雀は礼を言って飛び去った。
僕は特に驚かなかった。
しかしその後、僕の生活は人とは違ったものとなった。
暇があれば外に出、鳥や猫や犬と会話し、
風と語らい、雲を見つめ、太陽を凝視したりしていた。
そうやって聞いた自然の声、精霊の囁きについて
誰にも語ることはなかった。
理解されないのが分かっていたからだ。
高校に入って、アルバイトをし、一眼レフのカメラを買った。
それ以来、カメラも増え、色んなものを撮ったが、人は撮らなかった。
僕の写真の撮り方は独特だ。
構図などにとらわれず、直感に頼っている。
精霊が導くのだ。「私を撮れ、あれを撮れ」
被写体はその時、最も美しい姿を現し、競い合うように僕を呼ぶ。
僕はその声に答えてレンズを替え、絞りを決め、撮影していく。
それはとても幸せな時間だ。
フィルムはポジを使う。スライドに使うのと同じもので、
反転していないので、明るい光にあてると撮ったそのままが見える。
撮ったフィルムは売らないでレンタルに出す。
フォトライブラリーというレンタル専門の会社に預ける。
何度か個展を開いたが、写真そのものを売ることはしなかった。
写真を撮った地域で個展を開いたとき、その土地の人が驚いた。
「こんな風景見たことがない。美しい。本当にここで撮ったのですか」
精霊のお陰とは言わない。宗教家と思われるのが嫌だからだ。
高校二年の夏、僕に彼女が出来た。
髪の長い可愛い娘。美智子。
最初のデートは晴天の公園だった。
美智子は言った。「ねえ、どうしてカメラを持ってきたの?
私を撮ってくれるの?」
僕は微笑みながら言った。
「今日は雲を撮るんだ。ほら、あの雲」
僕はシャッターを切った。
「見ててご覧。こっちの雲とくっつくよ。
僕がシャッターを切った瞬間。あの時間は二度と戻らない。
あの雲の形も戻らないんだ。あの雲は記録されることを望んだ」
「望んだ?何故分かるの」
「精霊が伝えた」
「ふうん」美智子は雲を眺めていた。
「ねえ、あなたって変わっているわね。
私には良く分からないけれど、あなたのそういうところ、好きよ」
美智子の声がBGMのように流れていた。
受験シーズンになった。
僕はS大の文学部を受けた。
美智子も同じ大学、学部を受け、共に合格した。
そこで僕らは小説の書き方を習った。
美智子の書く小説はラヴロマンスばかり。
僕の書く小説は精霊の話ばかりだった。
僕らは同じ講座を選び、ノートを見せあった。
夏休みに鳥取砂丘に二人で行った。
見渡す限りの砂には風紋が描かれてあった。
「風はね、見えないけれど確かに存在する。あれがその証しだ。
風以外にも見えないけれど、確かに存在するものが多くある。
精霊もそうだよ」
僕は風の精霊に促されてシャッターを切った。
「ほら、今、風が写ったよ」
「精霊は沢山いるのね」
「そうさ、見えるものにも見えないものにも精霊は宿る。
そしてメッセージを伝えている。それを聞く人はまれだけどね」
「あなたのように」
「うん。どうして僕が選ばれたかは分からない。
でも、今はただ記録しているだけなんだ。フィルムにね。
だけどこれはひょっとするととても重大な事なのかも知れない。
地球環境が破壊されている今の世の中ではね」
その時突風が吹いて砂嵐が起こった。
しかし砂は僕たちにあたらず周りをぐるぐる回った。
「ほら、メッセージだよ」
「なんと言ってるの」
「この風景をそのまま保って欲しいと」
フォトライブラリーから振り込まれてくる金で、
僕らは日本中を廻り、写真を撮りまくった。
だからアルバイトをする必要はなかった。
旅行が仕事と言ってもよかった。
一番気に入って何度も足を運んだのが、北海道と沖縄の離島だった。
そこで繰り広げられる精霊達の宴は、心洗われたし、
出来上がった写真もとても美しいものだった。
そんなふうにして僕たちは大学生活を送った。
就職シーズンがやってきた。
みんな紺のスーツを着て企業周りを始めた。
僕はカメラマンを続けるつもりだったので、スーツさえ買わなかった。
「ねえ、私をアシスタントにしてくれないかしら」
美智子が言う。
「構わないよ、今までだってアシスタントみたいなものだったものね」
こうして僕たちは精霊に導かれるカメラマンとアシスタントになった。
社会人になって初めの撮影旅行は、北海道礼文島だった。
断崖絶壁にカモメが飛び交っていた。
そのうち、一羽のカモメが僕の肩にとまった。
「やあ、どうしたんだい?撮って欲しいの?」
「ええ、私達を撮ってね。今の一瞬を。それから、足下の花も」
カモメは飛び去った。
僕は断崖とカモメの群を撮った。
そして、足元を見るとエーデルワイスが咲いていた。
レブンウスユキソウ、ヨーロッパアルプスに見られる花が、
ここ礼文島にも可愛い姿を見せる。
「こんにちは、私も撮ってね」
僕は接写レンズに取り替えてアップで撮った。
「きれいね。もこもこして暖かそう」美智子が言う。
「でも、私の仲間もすっかり減ってしまったんです。人が荒らすから」
僕は悲しい気持になった。
再びカモメの飛び交う姿を見てると、何故か涙が止まらなくなった。
「剱さん、大丈夫?」美智子が気遣う。
「うん、大丈夫。花とカモメの哀しさが目に染みたんだ」
こんな時、僕は美智子に凄く感謝する。色んなものや精霊が哀しみを訴えるとき、
僕は思わずあっち側に行ってしまいそうになる。
それを美智子が支えてくれる。押しとどめてくれるのだ。
北海道標茶町 地平線の見える大牧場に着いた。
360度開けた地平線は、僕の広角レンズでは捉えられなかった。
大地の唄が聞こえる。
「全部とらなくてもいい。風の精霊の導くままに」
僕は風に聞きレンズを選んで何枚か撮った。
答えがあった。
「こんな風景、日本ではもうここしか残ってないんだよ
でも見ててご覧。人間は愚かだ。今は見渡す限りの地平線だけど、
そのうち建物が建ち始め、ゴルフ場なんかが出来るかも知れないね。
人間とはそういうものだ」
僕はもう一度カメラを持ち何回かシャッターを切った。
この風景が変わらないことを願いながら。
沖縄の離島に行った。西表島。
海の色がまるで違った。コバルトブルー。
その色は僕のこころを文字通り洗い流してくれた。
昼の海の色、夕焼けの空を撮した。
風、空、太陽、雲・・僕に優しく笑いかけてくれた。
「日本にもこんなところがあるのね」
交換レンズを手渡しながら美智子が言う。
やがて空は満天の星に覆われた。
「ほら、美智子。天の川だ。ミルキーウェイ」
「凄い、大阪では見れないわね。ところでここ、
イリオモテヤマネコが生息するのよね。見れないかしら?」
僕は笑みを浮かべた。
夜、ふと、ドアを開けると、そこにイリオモテヤマネコがいた。
びっくりした。
「私達はもうすぐ絶滅します。それはあなた方人間のせい。
生態系を壊したでしょ」
と、言うなりイリオモテヤマネコは去っていった。
僕は何も言えなかった。美智子に通訳したが、彼女も無言だった。
遙 剱写真展
27歳の春、大阪で個展を開いた。受付はもちろん美智子である。
空や海、雲、大地を写した写真は大きくのばすととても綺麗だった。
訪れた人々も溜息ばかりついていた。
美智子が一人の女性を連れてきた。僕と話がしたいそうだ。
「初めまして、私こういうものです」
名刺を見ると大手写真出版社とある。
「水野さやかと申します。素晴らしいお写真ですね。
感動しました。今まで見た写真とはどこかが違う。
弊社から写真集をお出しになりませんか?費用は全額弊社が持ちます。
印税は8%です」
「構いませんよ。構成のご希望はありますか?」
「いえ、すべて遙さんにお任せします。ところで、
遙さんの写真はどこが違うんですか?訴えてくるものがあるんです」
「それは精霊が写り込んでいるからです」
「森の精みたいな?」
「はい、あらゆるものに精霊は宿ります。それが・・・」
「不思議な方ですね。分かりました。話を進めさせてください」
その年の秋、写真集は発売された。
風景の写真集などそう売れるものではないのだが、
何故か飛ぶように売れ100万部を突破し、僕は時の人になった。
「精霊と対話する写真家、遙 剱」
週刊誌に取り上げられ、テレビにかり出され、僕は有頂天だった。
しかし、美智子は心配げだった。
美智子との結婚式にはマスコミが殺到した。
しかしこの時期、精霊が僕から去っていったのを、まだ僕は知らなかった。
フィルムの交換が要らないからと、デジカメを買ったのもこの時期だ。
そして色んなものを撮った。
あるとき、頼まれて生け花の写真を撮ったとき、悪霊が写り込んだ。
花はどこにもなく、写っていたのは目をむいて牙を出した化け物だった。
気持ち悪くてすぐに消去した。
しかしその後写真を撮るたびに悪霊が写り込むようになった。
それは僕のこころをむしばんだ。
そしてとうとう、悪霊の声が聞こえるようになった。
「死ね、死ね、死ね」
僕はこころのバランスを崩した。
美智子の付き添いで精神科の病院を訪れ、即入院した。
三畳ほどの鍵のかかった保護室で、僕は悪霊の声と戦っていた。
そして考えた。どうしてこんな事になったのだろう。
精霊のお陰で美しい写真が撮れたのに、それをマスコミに流し、
浮かれすぎたのが原因だと思い当たった。
精霊が去り、悪霊がやってきた。
夢にまで悪霊は現れ、僕はうなされた。
やがて医師の処方した薬が効いたのか、悪霊の声や夢は去った。
僕は一般病棟に移され、一日中ぼーっとしていた。
その時、本棚に一冊の本を見つけた。
ネイティヴアメリカンの本だった。
ネイティヴアメリカンは自然の中で精霊と交わり、
コヨーテにも人格を認める、という内容だった。
読み進めるうちにいつしか涙が湧いてきた。
もう精霊の声は聞こえないのか。導いてはくれないのか。
絶望しながら鉄格子の窓に近づいた。
庭に何羽かの雀がいた。
思えば僕の人生は雀との会話からだったなあ。
あれから色んな事があった。
純粋であり続けることの難しさも知った。
「おおい、雀さん」心の中で呼んでみた。
すると雀がすべて僕の窓をめがけて飛んできた。
わいわいがやがや声が聞こえる。
そのうちリーダー格の雀が語り始めた。
「遙かさん、あなたはとてもピュアだったから精霊から選ばれたんだよ。
珍しいことだ。でも、その純粋さが、下手をすると悪霊に狙われる。
強くありなさい。まだまだ人生は続くのだから」
毎日雀と語り合っているうちに、風や雲の精霊達とも語り合えるようになった。
そして僕は退院した。
退院した僕は、美智子の薦めで沖縄の離島を巡った。
石垣、竹富、西表、小浜島・・・
デジカメに写るのは精霊ばかり。
僕は心洗われるようだった。
雲の流れが読め、太陽が微笑み、海が癒してくれた。
そうして1ヶ月が過ぎた。
島々は自然が豊かに息づいている場所だった。
そして那覇に行った。都会だ。
また悪霊が写った。今度は精霊の力を借りて追い出した。
液晶の中の化け物の姿が普通の風景に変わっていった。
そして大阪伊丹空港。
頭痛がした。デジカメで周囲の人を撮ってみると、
多くの化け物が人々の頭の上に乗っていた。
僕は疲れていたので、そのままにしてバスに乗り込んだ。
大阪では嬉しいニュースが待っていた。
美智子の妊娠が明らかになったのだ。
沖縄滞在中の妊娠だった。
写真撮影の傍ら、僕は執筆活動を始めた。
私小説「精霊に導かれて」
また希望があれば、デジカメと精霊による悪霊払いを無料でやってあげた。
希望者は多く、きりがなかった。
払っても払っても世俗で汚れた都会は、悪霊に満ちていた。
僕は疲れを感じていた。
「なあ美智子、沖縄の離島に引っ越さないか?
このままでは僕はまた心を病んでしまいそうだ」
「いいわ、私も同じ事考えてたところよ」
というわけで大きなお腹を抱えた美智子と僕は、石垣島に引っ越した。
海を見たとき「ああ、帰ってきたんだ」と感慨がこみあげてきた。
精霊達が大歓迎をしてくれた。
僕は体の疲れが消えていくのを感じた
一眼レフで自然の写真や鳥の写真を撮りまくった。
デジカメを使うのはもっぱら、撮ってあげた精霊にその場で液晶画面を
見せてあげるのに限った。
精霊が喜ぶとき、僕はじーんと体がなって、涙が溢れた。
小説「精霊に導かれて」は発売直後から話題になり、ベストセラーになったらしい。
読者の中に精霊からのメッセージを受け取る人が一人でも多くいるといいのだが。
やがて美智子が男の子を出産し、精治と名付けた。
精治は普通の赤ん坊とはまるで違った。
泣かなかったのだ。そのかわり、教えもしないのに言葉を喋った。
最初の言葉は、僕がベビーベッドを覗き込んだとき、発せられた。
「パパ」
僕はびっくりした。耳を疑った。
「精治、喋れるのかい?」
「うん」
「誰に言葉を習ったの?」
「精霊に」
「ほう」こんな事があっていいのか。
「お父さん、精霊の写真を見せてよ」
僕は写真集を持ってきて、精治に見せた。
「きれいだね、この自然を守らなきゃならないね」
「おいで精治、海を見に行こう」
僕は精治を抱き上げた。そして家の前の海に連れて行った。
「ほら、精治。精霊が見えるかい?」
「うん、僕のまわりを風の精霊が廻ってる。大騒ぎしている。」
僕にも見えた。とても喜んでいた。
海も雲も太陽も、精霊を纏って調和している。
「お父さんの仕事はカメラマンなんでしょう?」
「そう、精霊を撮すカメラマンだ」
「じゃあ、僕もお父さんみたいに精霊を撮すカメラマンになる」
精治が小学校に入学した祝いに、小型のデジカメを買ってやった。
精治は易々と取り扱った。外へ出て色んなものを撮ってきた。
「どれ、見せてご覧」その写真に驚いた。
おびただしいほどの精霊が、そこには写っていた。
この子はこんなにも精霊に守られているんだ。
そしてメッセージを受けている。
「僕ね、大きくなったら世界中を写しに行くんだ。
そこで精霊の写真を撮って世界中の人に見せるんだ。
今の素晴らしい風景を守るように、伝えるんだ」
僕と美智子は顔を見合わせた。
この子ならきっと出来るだろう。
なにせ精霊の申し子なんだから。
完