辺見庸『青い花』 松山慎介
わたしは線路の上を歩いている。なぜかというと、朝のラジオ体操に参加するのが嫌で群れから離脱、登録難民のIDカードも棄ててしまい、自治体からポラノン錠を支給されなくなったからである。わたしはポラノン錠を求めて歩き続ける。この間は、「最後のポラノン糖衣錠を両手で闇におしいただいてから 一錠飲んだ。ニッポンチャチャチャのみんながポラノンを飲んでいる。わたしも飲んでいる。だからまだ気分はわるくない」ので、歩き続けることができるのだ。そのせいか、便意も尿意もない。どうもポラノン錠が国民支配の道具になっているようである。
最終的には、ガスマスクを付けた線路の不寝番に案内されて、オリンピックスタジアムほど巨大な伯楽濃(ポールノン)工場総合プラントに行き着く。そこでは「黒いガスマスクや放射性セシウム除去マスクを装着し、丈の長い白衣や青の防護服を着た十万人ものひとびとが、みなおしだまってはたらいているのだった」。
ポラノン錠は、伯楽濃(ポールノン)に名前が変わっている。不寝番が黒くぶ厚い壁のどこかで暗証番号を押すと、壁全体に電子チャイムの東方紅(トンファンホン)の曲が響き渡って、壁が二つに割れて開かれた。私と不寝番が話しているときに、何千人もの男女を乗せたまっ黒の蒸気機関車が近づいてきて天地がぐらりと揺れた。私はよろけながら壁のなかに入った。
この作品は、「わたし」が難民収容所みたいなところから脱出し、ポラノン錠を求めてあるき続ける男の話である。その間に、彼の妄想(?)が頭を去来する。どうやら震災と戦災が同時に進行しているらしい。歩いていく線路の周辺に死体が散乱している。その死体は何故かあまり臭わない。
状況はよくわからないが、祖国防衛戦争という言葉があり、ポラノン錠が伯楽濃(ポールノン)に名前が変わっており、その工場の壁が開くとき東方紅(トンファンホン)の曲が響き渡り、さらに上空にステルス戦闘機「殲(ジェン)-35」、弾道ミサイル搭載の無人偵察・攻撃機「翼龍Ⅲ」(イーロン)が飛び交っているので、相手は中国のようで、日本は相当、劣勢にたたされているようである。
この間に、男の頭を去来するものが、この作品のテーマのようである。「紫綬褒章を授与された有名な詩人(歌会始の召人、元サヨク)」、「東電から贈られた花束を手にした吉本隆明」というところでは、元左翼でありながら歌会始の選者になった岡井隆や、東京電力福島原発事故後、原子力技術は元にもどせないと主張した吉本隆明を、原発支持派として批判している。
「下痢ばかりしている戦争狂の道化(安倍晋三)」、「ボルサリーノの帽子をかぶったエテ公(麻生太郎)」という人物に対する批判的言及、「模範的国民意識形成機関NHK」というNHK批判は通俗的である。「市民無痛安楽終末期センター(通称「自殺ドーム」)」は映画『ソイレントグリーン』を連想させる。「共産党主流派 救国統一戦線形成をよびかけ 事実上の祖国防衛戦争支持」、これは最終的には共産党は「祖国防衛戦争支持」になるという共産党批判であろう。
玉音放送の「チンガイヲタイセヨ」という部分を、「チンカスガイヲタイセヨ」と書き換えて、天皇制批判をしたつもりになっている。
吉本隆明との対談集『夜と女と毛沢東』によると、辺見庸は共同通信の記者として中国に通算六年間勤務し、機密事項を報道し国外退去処分になっている。ハノイ特派員も務めている。地下鉄サリン事件には偶然、遭遇したという。裁判所で実際の麻原彰晃を見たこともあるという。重要なのは東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市出身だということでああろう。
先月に放送が終わった、NHKの朝ドラ『おかえりモネ』、芥川賞受賞作石沢麻依『貝に続く場所にて』も東日本大震災をテーマにしていて、震災の記憶は今なお続いていると感じた。
『いま、攻暴のときに』、『もう戦争がはじまっている』というような辺見庸の著書のタイトルを見ただけでも、状況判断が大げさで、自分ひとりが体制に反対していると考えているのではないか。
『1937(イクミナ)』は、蘆溝橋事件の年で、堀田善衞の『時間』なども取り上げている。日中戦争でも、日本が中国を侵略し、数々の蛮行をしたことに間違いはないが、日本兵、日本人も、それに見合った被害を受けている。辺見庸は、着想はいいのだがテーマの取り上げ方がやや安易であるように思う。この作品のヒロポンの取り上げ方でも、戦争中、確かに戦闘機や特攻隊のパイロットに使用されたこともあっただろうが、全員が使用したわけでもないだろう。
なお、「花が咲く」という歌に言及した部分は訂正を求められたという。
2021年11月13日
わたしは線路の上を歩いている。なぜかというと、朝のラジオ体操に参加するのが嫌で群れから離脱、登録難民のIDカードも棄ててしまい、自治体からポラノン錠を支給されなくなったからである。わたしはポラノン錠を求めて歩き続ける。この間は、「最後のポラノン糖衣錠を両手で闇におしいただいてから 一錠飲んだ。ニッポンチャチャチャのみんながポラノンを飲んでいる。わたしも飲んでいる。だからまだ気分はわるくない」ので、歩き続けることができるのだ。そのせいか、便意も尿意もない。どうもポラノン錠が国民支配の道具になっているようである。
最終的には、ガスマスクを付けた線路の不寝番に案内されて、オリンピックスタジアムほど巨大な伯楽濃(ポールノン)工場総合プラントに行き着く。そこでは「黒いガスマスクや放射性セシウム除去マスクを装着し、丈の長い白衣や青の防護服を着た十万人ものひとびとが、みなおしだまってはたらいているのだった」。
ポラノン錠は、伯楽濃(ポールノン)に名前が変わっている。不寝番が黒くぶ厚い壁のどこかで暗証番号を押すと、壁全体に電子チャイムの東方紅(トンファンホン)の曲が響き渡って、壁が二つに割れて開かれた。私と不寝番が話しているときに、何千人もの男女を乗せたまっ黒の蒸気機関車が近づいてきて天地がぐらりと揺れた。私はよろけながら壁のなかに入った。
この作品は、「わたし」が難民収容所みたいなところから脱出し、ポラノン錠を求めてあるき続ける男の話である。その間に、彼の妄想(?)が頭を去来する。どうやら震災と戦災が同時に進行しているらしい。歩いていく線路の周辺に死体が散乱している。その死体は何故かあまり臭わない。
状況はよくわからないが、祖国防衛戦争という言葉があり、ポラノン錠が伯楽濃(ポールノン)に名前が変わっており、その工場の壁が開くとき東方紅(トンファンホン)の曲が響き渡り、さらに上空にステルス戦闘機「殲(ジェン)-35」、弾道ミサイル搭載の無人偵察・攻撃機「翼龍Ⅲ」(イーロン)が飛び交っているので、相手は中国のようで、日本は相当、劣勢にたたされているようである。
この間に、男の頭を去来するものが、この作品のテーマのようである。「紫綬褒章を授与された有名な詩人(歌会始の召人、元サヨク)」、「東電から贈られた花束を手にした吉本隆明」というところでは、元左翼でありながら歌会始の選者になった岡井隆や、東京電力福島原発事故後、原子力技術は元にもどせないと主張した吉本隆明を、原発支持派として批判している。
「下痢ばかりしている戦争狂の道化(安倍晋三)」、「ボルサリーノの帽子をかぶったエテ公(麻生太郎)」という人物に対する批判的言及、「模範的国民意識形成機関NHK」というNHK批判は通俗的である。「市民無痛安楽終末期センター(通称「自殺ドーム」)」は映画『ソイレントグリーン』を連想させる。「共産党主流派 救国統一戦線形成をよびかけ 事実上の祖国防衛戦争支持」、これは最終的には共産党は「祖国防衛戦争支持」になるという共産党批判であろう。
玉音放送の「チンガイヲタイセヨ」という部分を、「チンカスガイヲタイセヨ」と書き換えて、天皇制批判をしたつもりになっている。
吉本隆明との対談集『夜と女と毛沢東』によると、辺見庸は共同通信の記者として中国に通算六年間勤務し、機密事項を報道し国外退去処分になっている。ハノイ特派員も務めている。地下鉄サリン事件には偶然、遭遇したという。裁判所で実際の麻原彰晃を見たこともあるという。重要なのは東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市出身だということでああろう。
先月に放送が終わった、NHKの朝ドラ『おかえりモネ』、芥川賞受賞作石沢麻依『貝に続く場所にて』も東日本大震災をテーマにしていて、震災の記憶は今なお続いていると感じた。
『いま、攻暴のときに』、『もう戦争がはじまっている』というような辺見庸の著書のタイトルを見ただけでも、状況判断が大げさで、自分ひとりが体制に反対していると考えているのではないか。
『1937(イクミナ)』は、蘆溝橋事件の年で、堀田善衞の『時間』なども取り上げている。日中戦争でも、日本が中国を侵略し、数々の蛮行をしたことに間違いはないが、日本兵、日本人も、それに見合った被害を受けている。辺見庸は、着想はいいのだがテーマの取り上げ方がやや安易であるように思う。この作品のヒロポンの取り上げ方でも、戦争中、確かに戦闘機や特攻隊のパイロットに使用されたこともあっただろうが、全員が使用したわけでもないだろう。
なお、「花が咲く」という歌に言及した部分は訂正を求められたという。
2021年11月13日
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