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遠くまで・・・    松山愼介のブログ   

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読書会に参加しているので、読んだ本の事を書いていきたいと思います。

タイ、バンコク・アユタヤを訪れて

2017-06-06 15:08:54 | 旅行
 息子夫婦が一年前に、バンコクに赴任したので、今回、バンコクを訪れた。
 一日目はバンコクから一時間半くらいのところにあるアユタヤへ行く。
 アンコールワットのような、小さく薄いレンガを積み上げた遺跡群、仏像群があった。日本の仏教とは
また異なる東南アジア特有のものであろう。
 木の根の中に仏像の顔だけがある。これは仏像の顔を木の根の中に入れておいたら、根がその周りを
覆ってしまってこんな形になったという。


 アユタヤからの帰りは、河をクルーズ船に乗ってバンコクまで。途中で、三島由紀夫の『豊饒の海・暁の寺』で有名な
暁の寺が見えた。塔は工事中であった。
 次の日はバンコク郊外の、黄金の仏陀で有名なワット・ポーへ。

 バンコクは雨季にもかかわらず、天気には恵まれた。ただ日差しがあると、やはり暑い。気温は34度の27度というところか。
 湿度は高い。そのため、冷房の効いた場所から外に出るとメガネが曇るほどである。一瞬だが。
 タイの国際空港内の、飾り。
 タイまでは関西空港から5時間ほど。街はエネルギッシュであったが、貧富の差はかなりありそうだった。
 次回は、タイ北部のチェンマイあたりへ足をのばそうと思っている。


 


 

アウシュヴィッツ再考

2016-06-16 10:46:27 | 旅行

 アウシュヴィッツへ行ってから数週間がたった。その時はよくわかっていなかったが、アウシュヴィッツの気候のことである。映画等では厚いコート着たユダヤ人の映像が多い。私がアウシュヴィッツを訪れたのは五月中旬だった。ポーランドは日が長くなりつつあるときで、夜は九時ごろまで明るく、四時には夜が明けた。この白夜の季節も収容者たちはすごしたのであろう。写真を後から見て気がついたのだが、真っ青な空の色だった。夕方、五時ごろだったが、太陽はまだ沈む気配はなかった。収容者たちも、この季節には真っ青な空、白夜を過ごしたに違いない。
 一方で、冬はそこそこ雪が降り、寒いということだ。雪どけや、雨の時には地面が泥々になり大変だっただろう。このような現実感は、現地へ行かないかぎり、わからないものだ。

アウシュビッツに行くということ

2016-06-04 14:44:22 | 旅行
        アウシュヴィッツへ行くということ
                 
 三十年振りに海外旅行を思いたった。六十歳で退職してから、多いに遊ぼうと思っていたが、退職して生活のリズムが狂ったせいか体調を崩した。ようやく体調も戻ってきたので旅行社のパンフを取り寄せた。最初に行こうと思ったのは、イタリアのフィレンツェであった。ルネサンスの発祥の地でありテレビでもたびたび取り上げられていた。いろんな美術館もあり、すばらしい建築もあるようだった。ところが、パンフを見ているとアウシュヴィッツ見学が含まれているツアーが存在した。これには少し驚いた。だがこのおかげで、日本人のアウシュヴィッツ訪問者は年間一万五千人位になっているという。
 大手旅行社がそれぞれ月に三本ほどのツアーを組んでいた。大体が 一週間ほどのツアーである。A社のツアーが二日目にアウシュヴィッツ見学を設定し、B社のツアーは五日目に設定していた。ツアーの前半にアウシュヴィッツへ行くのは刺激が強すぎるかなと思って、アウシュヴィッツを五日目に設定しているB社のツアーに決めた。料金もB社の方が安かった。
 アウシュヴィッツはポーランドの京都といわれるクラフクからバスで一時間十五分くらいのところにある。手荷物はA4版以下のものしか持ち込めない。ネオ・ナチによる破壊活動を警戒しているのであろう。アウシュヴィッツはポーランド語ではオシフィエンチムという。クラフクから日本語の話せるポーランド人ガイドがバスに同乗している。ツアーのなかった時は、個人で、鉄道、バスを利用して行くしかなかったのかもしれない。現在はクラフクのあちらこちらに「アウシュヴィッツ」という看板があったので、そこでツアーを募集しているようだ。見学者が多くなったので、完全予約制のようである。個人でも予約できるようであるが、日本語ガイドはほとんどいないらしい。英語ガイドは多くいる。アウシュヴィッツは基本、入場料は無料でガイド料が四十ズオッチ(千三百円くらい)程度かかる。トイレは有料で二ズオッチ(六十六円)かかる。日本語のパンフ、ガイドブックも売られている。
                    
 我々のツアーは午前中の予約だったが、前日になって午後に変更された。それほどアウシュヴィッツの予約が混んでいるのであろう。着くとツアーの強みでほとんど待ち時間なく“Arbeit macht frei”「働けば自由になれる」という有名な門をくぐって、かつてのアウシュヴィッツ第一収容所、現在のアウシュヴィッツ博物館に入る。ここは元々、兵舎かなんかの跡地でレンガ造りの建物だった。映像では見ていたが収容者の髪の毛、靴が山のように積まれていたのには、今さらながらではあるが驚いた。一通りの見学が終わると、バスで五分くらいの所にある、アウシュヴィッツ第二収容所・ビルケナウに向かう。
 ビルケナウこそがさまざまな、映画の舞台となったところである。有名な引き込み線のある門が我々を待ちかまえている。第一収容所が手狭になったので、第二収容所が急遽、建てられたのでこちらは木造の建物である。東京ドーム三十七個分のスペースに最大で十万人近くが収容されたといわれている。

 一九九五年に「マルコポーロ事件」というのがあった。「ナチ『ガス室』はなかった」という記事が掲載されたのである。全世界から抗議が殺到し、雑誌「マルコポーロ」は廃刊となった。私はこの記事をネットで読んでなるほどと思ったことがある。歴史というのは、みようによっては不確かなものである。タイムマシンでもないかぎり、過去には行けないのだから歴史は歴史的資料によって検証されるしかない。おそらく日本人の「ガス室はなかった」という受け売りの記事を書いた人はアウシュヴィッツに行っていなかったのだろう。
 ネットの世界は危険でもある。探せば「ガス室はなかった」といういくつもの記事がある。アウシュヴィッツに行けば「ガス室」があったか、なかったかは一目瞭然である。それほどきちんと歴史が保存されている。殺人ガスのチクロンBの空き缶も大量に展示されている。この「マルコポーロ事件」をきっかけにして、反論の書『アウシュヴィッツと〈アウシュヴィッツの嘘〉』が二〇〇五年に白水社から出版されている。一読をおすすめする。
                     
 ポーランドは八〇パーセントがカソリックの国だという。市街には大きな教会があり、バスで移動中も数キロごとに教会らしき建物があった。各町、各村に教会があるのだろう。アウシュヴィッツ見学の日の午前中は、ヴィエリチカ岩塩坑を見に行った。ここは五百年くらい岩塩が採掘されていたという。この坑内にも聖マリア像が立てられていた。坑内から無事帰還できるようにという祈りが込められているという。ツアーの日程は教会を見学して、アウシュヴィッツへ行き、また教会を見て、ポーランド最後の日はショパンのピアノ演奏があった。この生演奏はアウシュヴィッツの死者たちへの鎮魂の曲のようであった。
 ツアーで、アウシュヴィッツを見学するのはどうかという意見もあるだろうが、手軽に行けるのなら現地を見るに越したことはない。アウシュヴィッツはツアーの中の一行程であったが、これから私の内部でその存在感を増していきそうな予感がしている。
                    2016年6月4日

 なお、ポーランド旅行の動画、写真をユーチューブにアップしました。あまりうまく取れていませんが。
 「松山愼介」または「愼介松山」で検索すると見ることができます。「愼」は旧字体です。