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三木卓『震える舌』(「文学表現と思想の会」へのリポート)

2015-02-19 22:08:19 | 読んだ本
          三木卓『震える舌』               松山愼介
 詩人・三木卓の名前は学生時代から知っていたが、その詩は読んだことがなかった。詩人としては荒地派の田村隆一や鮎川信夫、その関連で谷川雁、吉本隆明を読んでいた。他に六〇年安保闘争を歌った、長田弘や天沢退二郎を読んでいた。私が初めて買った詩集は佐々木幹郎に勧められた長田弘の『我ら新鮮な旅人』である。三木卓の友人の堀川正美の詩も話題にのぼっていた。ただ三木卓の小説『野いばらの衣』(一九七九年)は発行された当時に読んだ覚えがある。思潮社から一九六〇年代後半に『現代詩文庫』シリーズが出て、随分、現代詩が身近なものになった。今、その『現代詩文庫』の目録を見ていると、一番が田村隆一で二番が谷川雁、八番が吉本隆明で九番が鮎川信夫であり、三木卓は四十四番になっている。この順番が当時の詩人の著名度を表しているのかも知れない。
 佐々木幹郎によると、一九七〇年代になって出版社が詩人に小説を書くことをすすめるようになった時期があったそうである。富岡多恵子などはその関連で小説を書いたような気がする。とにかく詩人は詩では食えないのである。日本で詩人として生活できているのは谷川俊太郎だけだと言われている。明治にあっても、島崎藤村が詩から小説へいったのはお金のためだったのではないだろうか。三木卓もその一連の流れで小説を書くようになったのかと思っていたが、彼の自伝三部作『砲撃のあとで』、『裸足と貝殻』、『柴笛と地図』を読むと、小学校高学年から同級生と文章の交換ノートをしており、中学生時代から創作を始め、高校時代にはすでに文芸部誌に『ジェリコの筏にて』という習作を発表している。
『震える舌』は五歳の娘、真帆が破傷風に罹った体験を元に書かれたものである。この作品は一九八〇年に映画化されており、おそらくその何年後かに三木卓の原作とは知らずに見た記憶がある。今回、レンタルDVDで見なおしたが、破傷風の発作のシーンは『エクソシスト』(一九七三年)のノリであった。三木卓の『K』を読むと、結婚した福井桂子は主婦に向いていない人であった。彼女はキリスト教系児童出版社に勤めていて、詩の同人誌の仲間であった。料理はほとんどできず、風呂もわかせなかった。結婚して、三木卓が給料を全額(一万二、三千円)渡すと、彼女はそれを家計費だとは思わず、夫からのプレゼントだと思ってすぐにそれで上下のスーツを買っていた。実家は商家で、結婚して後、着物を詰めた長持が送られてきていたので、その中の紅型を質屋に持っていくはめになった。三〇歳ぎりぎりで子供ができたが、ひどい難産で一昼夜苦しんだあげくの帝王切開だった。三十六キロの母親が三六五〇グラムの赤ちゃんを産んだのだった。看護師が「出るわけないわよねぇ」と言ったという。そのせいで彼女は二度と出産しないと宣言した。母乳も出なかった。
 やがて亀戸の十一階建ての公団住宅の八階に引っ越し、そこで事件が起った。その当時の娘の様子は「シャツのボタンもかけられず、友人と遊ぶこともできなかった。一人で砂場の片隅にじっとしゃがんでいる、という。お掃除の仲間にも入れない。両手の指は十本分、全部ガチガチに噛みぐせに潰されていた」と書かれている。おそらく三木卓が生活に追われている間、母親は子供の面倒を十分みていなかったか、みれない人であったのであろう。この傷ついた指先から砂場かどこかで嫌気性の破傷風菌が侵入したものと思われる。娘が入院すると妻は錯乱状態に陥った。この時の妻のことを三木卓は「自分の味方は、血のつながっている娘だけだ。もしかしたら、娘のいのちは自分のいのちと考えているかもしれない。それなら世界は崩壊する」と書いている。その後、三木卓が小説を書くようになると、妻は三木卓に仕事部屋として、学生下宿を世話した。三木卓が仕事をしている背中に堪えられなかったのである。ていよく追い出された生活が、妻が癌になって手助けがいるようになるまで三十年間続いた。
 三木卓自身は幼年期に腸チフス、小児マヒ、ジフテリアに罹っている。また満州から引き揚げる途上で父が発疹チフスで死亡し、また多くの死体を見ている。この時の体験が『震える舌』に反映されている。菌と宿主との関係が考察されている。医療が勝利しても、菌が勝利しても、菌は宿主を失って死滅することになる。菌(存在)は〈生きていると毒素が出るのだ〉、そこに生命の邪悪な性質を見ている。
 三木卓は破傷風事件の半年後『わがキディ・ランド』という詩集を発表している。その中に「うなされている/ぼくの娘は いま しきりに/なにかとたたかっている/この子は おもいだしているのだ/むかし/一酸化炭素や亜硫酸ガスだったときのことを/(中略)この子が 分解したり 凝縮したりしながら/在った時間の河の底に/洗われている記憶のすべてに/脅えながらいどみかかっているのだ」という詩句があった。破傷風事件を予見した詩であるか、その体験を元に書かれた詩であるかは微妙であるが。                     2015年2月14日