日々萌え語り

日常のこと趣味のことなど、気ままに書き綴っていきたいと思います(*^_^*)

パニック障害でした

2020-07-25 19:34:34 | 日記
「助けて…!!」「傍にいてほしい…!!」

地獄のような苦しみの中、母の前でこのようなことを言ったのはこの時が初めてだったかもしれません。





どうも、突然の暗い書き出しで申し訳ありませんMAJINです( ^_^ ;)
今日は、サイトトップで告知した私の持病である精神疾患についてお話したいと思います。
だいぶ暗くて重い話なので、苦手な方は閲覧を控えて頂ければと思います。

タイトルの通り、私の持病はパニック障害というものです。
パニック障害とは具体的にどのようなものかと言いますと、過去のトラウマなどをきっかけに漠然とした強い不安や恐怖を感じて脳が誤作動を起こし、ノルアドレナリンの過剰分泌を引き起こすことで激しい動悸、過呼吸、吐き気等を発症する疾患のことです。

人によって症状は違いますが、私の場合、激しい動悸と過呼吸でした。
発症のきっかけとなったのは、忘れもしない去年の11月30日のことでした。

友人と外食をしていました。
食べ進めるうちに少しお腹いっぱいになってきたかな…と思ったのですが、昔から料理を残すことに罪悪感を感じていた私は、残さず無理して食べようとしていたんですよね。
箸を動かす手を止めなかったんです。

今思えば、お腹いっぱいになってきたなと感じた時点で食べるのをやめておけばよかったのですが、やめなかった為に発症しました。
お腹の苦しさとは違う息苦しさを感じ始めたんです。
ただ、その時は「あれ…?なんかおかしいな…」「まぁ、気のせいだよね」ぐらいに思っていました。
"なんかおかしいけど、きっと気のせい"で片付けてしまったのです。

勿論、それは気のせいではなく、明らかにおかしくなっていました。

その日をきっかけに、私は食後に必ず不安になったり息が苦しくなったり、また、勤務先のお昼休憩の後のミーティングに出ると必ず息が苦しくなったりしていました。
私の場合"食後"というのがネックで、食後すぐに逃げることのできないような閉鎖的な空間に長時間いなきゃいけなくなったり、ミーティングで大勢の人の中に入れられ長時間拘束されたり、また、外食が発症のきっかけだったので外食でも息が苦しくなったりしていました。

そんな状態があまりにも長く続いてたので、やはりおかしいとは思っていたのですが、病院へ行かなくてもすぐに治ると思っていたんですよね。

でも治らないどころか、寧ろ余計酷くなったんです。

ある日…夜中の3時頃だったかと思います。
不安でなかなか寝付けなくて、母を部屋に呼びました。
次の日の仕事に対する漠然とした不安があまりにも強く、眠れなかったのです。
私はこの時、初めて母に弱音を吐きました。

「助けて…!!」

自分がだいぶおかしくなっていることに気付きました。
しかも泣きたいのに、何故か涙が出なかったのです。
ただただ、心が悲鳴を上げていました。
勿論、母に助けを求めたところで母が何かできるかと言ったらそうではなく、困った顔をしながらただひたすら私の背中を撫でていました。
他にも「傍にいてほしい」とか「手を握ってほしい」とか、普段の私が言わないようなことを言っていたのは覚えています。

しかし、こんなのはまだ"序の口"なのです。
一週間後、この病気は私を更なる地獄へと突き落としました。




悪化する一週間ぐらい前、不思議と調子のいい日が続きました。
睡眠だけは相変わらず駄目でしたが(中途覚醒が多いのです)息が苦しくなることもなく余計なことを考えることもなく不安になることもなく、また、食欲も人並みにありました。
睡眠を除けば他は調子がよかったのです。
人間、精神疾患になると三大欲求を失います。
しかし、睡眠以外以前と同じ状態に戻ってきたということは段々治ってきたのかな…?と思いました。

なんかよくわからないけど、やっぱり気のせいだったんだな。
そう思って安心していたのです。

しかし、それは気のせいでも治ったわけでもなく"落とし穴"でした。

あれは忘れもしません、去年の12月22日のことでした。
死ぬかと思う程の苦しみが私を襲いました。
朝食に食パンとウィンナーを焼いて食べました。
食欲はあったので、今思えば朝から結構な量を食べたと思います(笑)

その後散歩に行ったのですが、帰ってきてから体に違和感を覚えました。



なんだか胸がザワザワする…!



突然、不安が強くなっていることに気付いたんですよね。
特に気にすることもなく少し部屋で寛いでいましたが、お昼時になったのでお腹は空いてませんでしたがお昼ご飯は食べなきゃと思ったのです。
(これが最悪の結果を招きました)

とりあえずお腹空いてないけどお昼ご飯を食べました。
人並みの量を食べ切りました。
白米はいつも割と多めに盛って食べているので、この日もそんな感じでした。
食べ終わる途中、段々と不安が強くなっていることに気付きました。

(なんかヤバいかも…)

危機感を覚えましたが、自分が食べた後の食器だけでも洗って自室へ戻りました。
部屋でYouTubeを見ながら寛いでいましたが、不安がどんどん強くなっていき、同時に漠然とした強い恐怖や孤独感も襲ってきました。
そして、それは起こりました。

(何これ!?)

突然、心臓がバクバクと破裂しそうな程動き始め、呼吸ができなくなってしまったのです。
どのような体勢になっても苦しい為、どうしたらいいかわからず、私の脳裏には真っ先にこんな考えが過ぎりました。



(死ぬかも!!)



それは昼から夕方まで続きました。
7時間にも及ぶ大発作だったのです。

母が帰ってきたので、すぐ部屋に来てほしいとLINEを送りました。
電話は、苦しくてできなかったのでメッセージを送りました。

母が来て、部屋で蹲る私の背中をさすってくれました。
まともに喋ることも辛かった為

「具合悪い…」

と、たったこれだけしか言えませんでした。

最早、自力でどうにかなるレベルじゃないと思った私は、精神科や心療内科へ端から連絡を入れていきました。
しかし、精神疾患を専門にする病院というのは、初診はなかなか予約が取れず1ヶ月〜3ヶ月待ちなんていうのはザラなんですよね…
なんとか予約が取れた病院は、約1ヶ月待ちでした。

7時間の大きな発作を起こしてからというもの、食事、お風呂、睡眠、外出、留守番等、何をするにしても常に不安や恐怖を感じてしまい、普通の生活ができなくなってしまいました。
まさに"地獄のような苦しみ"でした。

特に食事に関しては殆ど食べれず、白米も殆ど食べれなかったのでほんの少し食べただけですぐにお腹いっぱいになってしまい、次の日はだいたいイライラして情緒不安定でした。

病院に行くまで、こんな地獄のような日々を毎日過ごさなければいけないのかと思ったら本気で気が滅入っていました。
しかし、ある考えがきっかけで不安や恐怖が消えたのです。

それは12月31日の大晦日でした。
仕事は1ヶ月以上も休み、日々罪悪感や後ろめたさを感じ、自暴自棄になっていました。
体調は最悪でしたので、紅白歌合戦など見る気にもなれず(まぁ、毎年見てませんがw)ただただ苦しんでいました。

ふと思いました。

(そういえば一度7時間の大発作に苦しんだんだから、たぶんもうこれ以上の大きな発作に苦しむことは殆どないよな…。もし次に大きな発作が起きたとしても「その程度か、以前の発作は7時間の大発作だったぞ」って思えるもんな…)

そして、これをTwitterで呟きました。
すると何人かのフォロワーさんから「最早MAJINさんが推しになっている」と、私の呟いたことが推しの口調にそっくりであることを言われたのです。
フォロワーさん数人が同じことを言うのであまりにも面白くて、私は開き直り「この発作って、推しとお揃いなのでは!?(全然違うけどw)」と思い、「それなら、もう発作が起きてもいいや!」と、ここまで開き直りました。
(この"推し"ですが、実は004でも五ェ門でもありません)

そのすぐ後でした。
急に不安や恐怖がスーッと消えてなくなりました。
年が明けたあとも、あの漠然とした恐怖や不安がなくなっていて、絵が少しだけ描けるまでに回復しました。

この時はまだ病院にかかれていなかった為、勿論薬などなかったのですが、薬に頼らず"自力で不安を消し去った"のです。

不安や恐怖がないだけで、だいぶ人間らしい生活を取り戻すことができましたが、不安や恐怖がないのが逆に恐怖でした(笑)
その数週間後、漸く予約した精神科にかかることができました。

やっと、薬が貰える…!
やっと通院できる…!

私は心底安心していました。
精神科や心療内科の先生は、皆優しくて話を親身になって聞いてくれる先生なんだろうと思っていました。
早く安心したい。
そう思って病院へかかりました。

でも、その時に主治医から言われた一言が最悪なものでした。








先生「貴女の病気は治りません」










(え…?)

固まりました。
この先生、今なんて言った…?
「治りません」、確かにそう言ったよね…?

勿論、治らない病気であること、折り合いを付けて上手く付き合っていかなければいけないこと、それ等全て事前に調べて予めわかっていたことでした。
しかし、曲がりなりにも精神科の医者である人間から、こうもハッキリと「貴女の病気は治りません」等と言われてしまえば、絶望するしかないと言うか、一切の希望も持てなくなります。

おまけにこの先生、私が勤務先に提出する為に診断書が必要だったので、診断書をお願いしたら「書いてもいいけど貴方は重症じゃないから、休む理由にはならないよ」と、こんなことまで言われてしまいました…

やっとの思いで予約できた病院にかかって、漸く安心できると思っていたのに、最低最悪の先生に当たってしまい、私は余計に具合悪くなっていくのを感じていました。

それでも一応、診断書は書いてもらい(仕事を休むことはできませんでしたが)、約1時間程の診察が終わって薬局へ薬を貰いに行った後、家に帰って勤務先へ診察の結果と診断書を貰ったことを話しました。

病院で先生が話をしている間、あまりにも具合が悪くて途中から先生の話など耳に入ってきませんでした。
あの病院はダメだ。
私は病院を変えることを決めました。

次の日だったかと思います。
先生から言われた「貴女の病気は治りません」という衝撃の一言を思い出し、私は悔しくて悔しくて、独り部屋で泣いてました。

ほぼ一日泣いていたかと思います。
しかし今思えば、この時の悔しい気持ちが私を"寛解(完治ではなく一応は症状が出なくなった状態のことを言います)"へ導いたのだと思います。
私は思いました。








治らない…!?
この病気が治るか治らないか、治すか治さないかは医者が決めることじゃないでしょ!?

勝手に決めつけるな!!
病気を治すか治さないかは、私が決めること!!

絶対に治してやる…!!!!









結局あの最悪な病院には、たった3回行って通院をやめました。
それからというもの、家にいても勤務先にいても息が苦しくなったり動悸がしたり、パニックの症状に何度も悩まされました。
でも私は逃げなかったのです。

来るなら来い…!!

常に、そんな気持ちでいました。

病気と戦わず、抗わず、開き直り、流れに身を任せ、病気を受け入れました。
精神疾患に理解のない勤務先の同僚から心無いことを言われ、傷付き辞めることを考えたこともありましたが、「もう何を言われても別にいいや」「わからない人に何を言ってもわからない」と開き直り、私は私、人は人という考えを持ち続け、パニックの症状に苦しみながらも仕事を続けていました。

そして、その日はやってきました。
再び、あの大きな発作が起こる予兆を感じたのです。
(パニック障害の患者は、自分が発作を起こすタイミングがわかります)

慌ててリーダーに相談して、少し休ませて貰うことにしました。
結局、その日は家に帰されました。
夜寝る前、動悸に悩まされました。
またあの大きな発作が起きるのかな!?
不安で体を震わせ、なかなか寝付けませんでした。
ひたすら腹式呼吸を繰り返しました。
(発作が起きたらゆっくり腹式呼吸をするといいので)

それでも動悸が治まらなかったのです。
しかし、私は覚悟しました。

(もういい!この際、大きな発作が起きるなら起きろ!!)

受け入れることにしました。
大きな発作に苦しむ覚悟をしたのです。
が、拍子抜けしてしまいました。

この日は、小さな動悸だけで終わったのです。
そしてこの日を最後に、私のパニック障害の症状は消えていき殆ど出なくなりました。




長いこと、まともに食べることができなかった為、今はすっかり平均体重以下まで痩せてしまいましたが、私は元気です。
勤務先にたまに来る産業医の先生から紹介してもらった病院に転院して、今はそちらの通院を続けています。
凄くいい先生というわけではないですが、前の病院の先生のようにあんな最低なことは言ってきません。

今はコロナに対する不安がありますが、今のところ再発はしていません。
先の見えない未来に対する不安ばかり抱えていても仕方ないので、今を生きようと決めました。

私を変えてくれた別ジャンルの推しは今も大好きです。
彼のことを好きでいて良かったと改めて思いました。

そして、最初にかかった病院の先生から言われたことはものすごくショックでしたが、今思えばあの一言がなければ私は寛解までいかなかったのではないかと思います。

この手の病気は苦しいですが、自分が変われるチャンスでもあるので、悪い事ばかりではありません。
自己肯定感が低く、自分を犠牲にして他人の為に生きて、完璧主義で、真面目な過去の自分とはさよならしました。
私はもう、あの時の自分に戻る気はありません。
無理な時は無理。
無理すると体に障るのは当たり前のことなのです。




長くなってしまいましたが、私のパニック障害発症から寛解までの経緯を具体的に話すとこんな感じになります。

自責の念と後ろめたさは大敵です。
こんなご時世ですし、精神を患う人も増えていることと思います。
どうか皆さんも、自分を大切にしてくださいね。

とりあえず一言、











THE KING OF FIGHTERSの八神庵くんありがとう!!
(不安を吹き飛ばすきっかけをくれて)

何度目かのお久しぶりです(笑)

2018-09-19 09:05:02 | 日記
皆さんお久しぶりですMAJINです。

お久しぶりもいったい何度目なんだと言った感じですが、とりあえず私は元気にやってます(笑)

それで、先ず謝りたいのが…









拍手コメントやメールフォームに頂いたメールのお返事が、長いことできずに申し訳ありませんっ!!(泣)






各お返事については、落ち着いたら返させて頂きます。
本当に申し訳ありません…;







ところで話は変わりまして、最近石ノ森章太郎80周年ということで24時間テレビで石ノ森章太郎物語をやったり、NHK Eテレで「100分de石ノ森」なんかをやったりしてましたね。

そして、萬画館でのサンリオコラボ(こちらは行けませんでしたが…)や、東日本や西日本での石ノ森作品のイベント等をやってました。

ちなみに私は、Twitterで情報を見て16日に渋谷の石ノ森章太郎ART TOY FESに行ってきました。









一人で←










うるせぇうるせぇ!!一緒に行ってくれる人が誰もいなかったんだいっ!!(´;ω;`)ウゥゥ←誰も何も言ってない

まぁただ、一人だった分自分のスケジュールで動けるから気は楽でしたね。
ぼっちでしたけど、普通に楽しかったですよ。

美容師を豪語する男性に声をかけられたことを除けば←

まぁ、これについては追々語るとして…







石ノ森章太郎ART TOY FESですが、私が行った日は声優の井上和彦さんと、漫画家の早瀬マサトさんのトークショーがある日で、実はお恥ずかしながら私はその情報を全く知らないまま東京へ向かう電車に乗ってました。

それで電車の中でTwitterを遡って、そこでたまたまトークショーをやるという情報を知って「なん…だと……!?」となったのです!



トークショーは午後12時までに4000円以上グッズを購入したお客さんが対象で、午後13時から始まるものでした。

私は運良く、午前10時頃に渋谷に着くよう向かっていたので、会場で4000円以上購入して無事トークショーの席を勝ち取りました…!!


今思えば、たぶん行きの電車でTwitterを確認しなければトークショー参加もどうなってたかわかりません。
とはいえ、早く帰る為に朝早く家を出ることは確定でしたので、トークショーのことを知ってても知らなくてもどちらにしても参加してたでしょうけどね(笑)←

しかし、実はART TOY FES自体行くかどうか迷っていたので、心の底から行って良かったと思いました!



会場に着いて真っ先に出迎えてくれたのがキカイダーでした!
かっこいい!!

萬画館の、ベンチに座る仮面ライダー1号の銅像もありましたよ(^O^)




こんなものもありました!(`・ω・´)

実は後から気付いたのですが、上の009と仮面ライダーの漫画のワンシーンを集めたやつ、同じものがキカイダーもあったみたいなんです。
ただ、どういうわけかその時私はキカイダーには全く気付かず渋谷を出てしまったのでした…………なんて勿体ないことを!!(´;ω;`)

会場に着いて先に買い物を済ませました。
一番欲しかったシカルナ工房の004がなかったのが悔しかったですが、売り切れて入荷の予定がないと言われていたゼロゼロウォーターが手に入ったので満足です(*´∀`)

買い物を済ませたら時間的にもお昼時でしたので、ご飯食べれるようなお店を探し回ってました。

で、この時だったのですが突然後ろから

「すみません、僕美容師で髪を切らせて貰いたいんですけど、お姉さん最後に切ったのいつですか?」

と、男性に声をかけられたんで

「今年の3月です(本当に美容師かよ…?)」

って答えたんですよ。

正直私も用事を済ませたら帰るつもりでいたし、最初から長居をするつもりなんてなかったんで何か頼まれても断ろうと思っていました。

男性は

「それから全然切ってないんですか!?」

って驚いてましたけど、だから何!?それってそんなに驚くこと!?って思いましたわ。

男性はどうやら、暫く髪を切ってないと思われる人に声をかけてるようでしたが、遠回しに私の髪の癖が酷いと言われてるようで腹立ちましたね。
「30分で済みますから」とか言われたけど、私の髪は30分でどうにかなる髪質じゃないので(縮毛矯正が必要で最低でも3時間は必要)ハッキリと「すみません、急いでるので」と言って断りました。

本当に美容師かどうかも怪しい人に髪を切らせたくないし、お昼ご飯食べてトークショーに参加しなければならないので、ハッキリ言ってそんな時間ないですからね。




結構あちこち歩き回って漸くお昼ご飯にありつけました。
"ねぎし"というお店で麦飯、とろろ、お肉のセットを頂きました。
お値段は物によりますが、私が食べたのはなんと1000円きっかりでした!

女性のお客さんも一人で来てる人もいて、女性でも入りやすいお店でした。
もし皆さんも、渋谷へ遊びに行くことがあってお食事に困ったら是非ねぎしに足を運んでください。お勧めですよ( ^ω^ )




お昼を食べた後はART TOY FESの会場に戻り、トークショーに参加しました。
初めての生の井上和彦さんに動揺してしまいまして、実はご本人が登場した瞬間手荷物を倒してしまいましたw
何やってんの自分\(^o^)/←

井上和彦さんは、好きな声優さんの一人なので生でお姿拝見できただけでも天に召されそうでした←
早瀬マサトさんと、ゆるくトークしてましたね(笑)

とにかく感動したのは、井上さんがジョーの台詞「あとは勇気だけだ!」を言ってくれたことでした!
新ゼロでジョーを演じていた当時のままの声で…!
あの声がまだ出るんだから凄いですよね!!井上さん、凄い!!

トークショーについてはまだまだ語りたいこと沢山ありますが、長くなってしまうのでこの辺にしておきます。

あっという間でしたが、とても幸せな時間でした(〃▽〃)
できることなら、16日に戻りたい←





戦利品です!


なんかよくわからんが、ポストカード2枚もろた←

Tシャツの上に乗ってる009と003は、中におみくじが入ってます。
早速引いてみました。






アアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!



無事、MAJINの墓が建ちました†┏┛墓┗┓†←終われ

おじいちゃんありがとう。

2017-09-27 00:47:56 | 日記
10月に復帰すると言いましたが、気持ちがだいぶ落ち着いてきたので少しずつ更新を再開しようと思い戻ってきましたどうもMAJINです。

前記事を読まれた方はご存知だと思いますが、祖父が今年の8月29日にこの世を去りました。

祖父は石を削る仕事をしていて、その削った石から出た粉塵を吸い込み肺を患い6月に入院。
8月29日に退院したものの、数時間後には帰らぬ人となりました。

後から聞いた話ですが、本来なら石を削る仕事をしている人は皆50代ぐらいで亡くなるそうです。
祖父は85歳で他界したので、長生きしたのだと思います。

私が言うのも変な話ですが、祖父からしてみれば充分生きたのではないかと思います。
本当はもう少し会って話もしたかったし、元気に退院してくれればいいなぁ~と思っていましたが、それも叶わず終わってしまいました。
大切な人と多くの時間を過ごしたいと思った時には、もう遅いものなのですね。

祖父が亡くなったことにより私がこれだけ心のダメージを受けていたのは、私の中でいろんな想いがあったからというのは勿論ですが、身近な人を亡くしたのが人生で初めてだったからなのだと思いました。
なので、お通夜と告別式で再び祖父の死に顔を見るのがとても辛かったです…

実は祖父が亡くなった次の日に一度出勤したのですが、私がトイレに篭ってずっと泣いていたので同じ部署の人に心配されてしまい、事情を話して早退させて貰いました。
今思えば、こんなことになるなら無理に出勤しないで最初から休ませて貰えば良かったと思いました…

それから一週間は休んでしまいましたね…
いつまでもめそめそしていたくない、早く仕事に復帰したい。復帰しないと、職場の皆に迷惑がかかってしまう。
そう思っていましたが、家にいても何も手に付かない状態だったので、すぐに仕事に復帰するなんてとても無理でした…

恐らく、人生で一番泣いた三日間だったのではないかと思います。
(実際は4日ぐらい泣いてたかもしれません…まぁ、どうでもいいですね←)



そう言えばお通夜の時、不思議な経験をしました。

布団に横たわる祖父に、集まっている遺族の皆で旅の支度をさせてあげている時のことでした。

皆が順々に祖父に旅の支度をさせてあげて、最後に私達孫一同で旅の杖を添えてあげる時でした。




あれ…?




と、私は祖父の顔を見て思いました。
これは私の気のせいかもしれませんし、単に角度の問題だったかもしれませんが、何となく祖父の口元が微笑んでいるように見えたんですよね。

本当に私の気のせいかもしれません。
でも、その時の祖父の顔を見てほんの少し安心できたのは事実です。
祖父のあの顔は今でも強く脳裏に焼き付いていますし、たぶん死ぬまで一生忘れないと思います。

あと告別式が終わった後、叔父さん(従兄弟のお父さん)が急に倒れてしまい救急車で運ばれてビックリしたのを覚えています。
どうやら叔父さんは、過去に心臓のバイパス手術を受けていたみたいで元々心臓が弱かったそうなのです。
まさか祖父が叔父さんまで連れて行ってしまうつもりなのかと思いましたが、叔父さんは一先ず大丈夫そうでした。
念の為病院で一週間の検査入院という形になりましたが、あれから元気に退院したみたいです。
きっと喪主を務めて緊張していたから、疲れも溜まって終わった所で安心して疲れが体に出たのでしょうね。
ビックリしましたが無事に退院できて良かったです。





思えば祖父には、私が子供の時よく遊んで貰いました。
多趣味な祖父で、キノコ狩りと競馬と将棋とハーモニカとアコーディオンが趣味でした。
あと、動物も好きで祖父自身も動物に好かれていましたね。

キャラメルやカステラ等も好きでした。

短気で喧嘩早い所もありましたが、基本的には面白くて優しい祖父でした。

祖父が入院中、病院で祖父と最後に交わした言葉


私「おじいちゃん、頑張ってね」

祖父「ありがとうね」


たったこれだけでした。
私にそう言っていた時の祖父は笑顔でした。

これを思い出しながら書いている今も、正直涙腺が崩壊しそうです。
泣くなら書かなきゃいいじゃんって話なのですが、祖父が亡くなる前のことや亡くなった後のこと、忘れたくないのでこうして日記に書き残しています。




最初から最後まで暗い話になってしまい申し訳ありませんでした。
祖父に手紙を書いて祖父の眠る棺の中に入れたのですが、最後にその手紙の内容をここに書いて終わりたいと思います。
祖母も父も母も妹も知らない、祖父だけが知っている手紙の内容です。









――――――――――――――――――

おじいちゃんへ

久しぶり。確か7月に病院で話をして以来だよね。
それとも8月だったかな…?もう覚えてないや。
あの時病院で久々におじいちゃんの顔を見れて嬉しかったよ。照れくさくて少ししかお話できなかったけどね。
あの時は言わなかったけど、私びっくりしたんだ。おじいちゃんすっかり痩せていたから…
ご飯もあまり食べれてないみたいだったし、やっぱり凄く心配だったよ。でも、おじいちゃんは笑顔で話してくれたよね。

昨日、出先でお菓子売り場を見ていたら、おじいちゃんがよく食べていたキャラメルを見かけたよ。私や妹にもくれたりしたよね。
いろんなことが落ち着いたらおじいちゃんが好きだったキャラメルを買って、おじいちゃんのことを思い出しながら食べるよ。

あと、おじいちゃんは楽器も好きだったよね。
私が子供の頃、よくハーモニカやアコーディオンで曲を演奏してくれたよね。
凄いなぁ~、私もこんな風に楽器で演奏できるようになりたいなぁ~って憧れていたよ。
私は楽器はできないけど、絵を描くのが好きだよ。そういう芸術的な才能は、おじいちゃん譲りかもね。私はこの才能を誇りに思っているよ。
そういえば、私が小さい頃絵も一緒に描いてくれたりしたよね。おじいちゃんが描く犬とか猫が可愛くて大好きだったよ。

おじいちゃんは動物にも好かれていたのかな?
何年か前に、散歩するおじいちゃんの後をずっと付いて行く猫がいたよね。おじいちゃんは確か、餌を与えたら付いてくるようになったって言っていたよね。あれは、見ていて微笑ましかったよ。
犬のチョコちゃんも、おじいちゃんのこと大好きだったんだね。

おじいちゃんとの楽しかった思い出は、私の宝物として心の中にずっとしまっておくからね。
もう会えないし話もできないから寂しいけど、天国で笑っていてくれればそれでいいよ。
そしてこれからも、私達のことを見守っていてね。

大好きなおじいちゃん、長い間お疲れ様でした。
今までありがとう。

またしてもお久しぶりです。

2017-09-18 23:20:09 | 日記
またかよって感じだと思いますがお久しぶりです←

先程、ふとサイトを確認してみたら最終更新日が今年の1月だったので、随分間が空いてしまっていることに驚いたと同時に、全くサイトが手につかず、おまけに頂いたメールやコメント等のお返事もなかなかできずにいるので申し訳ない気持ちでいっぱいのMAJINです。

とりあえずは、あまり長くなってしまってもいけないので手短に近況報告や今後の予定等をお話していきたいと思います。







とりあえず私は元気です。
とはいえ、先月末にとても悲しい出来事があった為、今もまだ一人になると時々情緒不安定になってしまいますが、なんとか元気にやっております。
これについて詳しくは、後程お話したいと思います。

最近めっきり涼しくなってきましたね。
何やら最近、北朝鮮が弾道ミサイルを頻繁に飛ばしているようで、そのうち本当に日本に落としてくるんじゃないかと思ってしまいとても怖いですが…
各国の政府がしっかり日本を守ってくれることを祈るばかりです。
ただやはり危惧しているのは、日本に協力的なアメリカの大統領がトランプということですよね…
彼の意見が通ってしまえば、北朝鮮の思う壷となってしまうでしょうね…北朝鮮はただでさえ日本に怨みがありますし。

まぁ、そんな話はさておき。

実は私、最近独学で英語の勉強をしています。
急にどうした?と思われそうですが…(笑)

確かに、自分でも急にどういう風の吹き回しなのかとは思います。なんせ私は、学生時代碌に勉強してきませんでしたからね(爆)

では何故、英語を勉強しようと思ったのか。

そのきっかけとなったのは、Twitterでした。
「え?SNSがきっかけで英語を勉強しようと思い始めたなんてどういうこと?」と思ったかと思います。

Twitterは、全国のユーザーが使っているということはご存知の方いると思います。
なので、海外のユーザーさんも非常に多いです。
そして海外のユーザーさんは皆、日本人に対しては万国共通の英語で話しかけてきます。
だけど悲しいかな、日本人は殆どの人が英語ができないわけですよ。

ちなみに私も、Twitterでの自分のフォロワーさんに数人程海外のユーザーさんがいます。
他言語で会話ができる自信が無いので、繋がってはいないのですが、やはりその人達も私と共通の趣味を持った人達です(009やルパン等)。

しかしですね、そのうちのある一人の009ファンのベネズエラの方が、実は私の投稿する呟きにちょくちょく英語でコメントを送ってくるんですよ。
彼女のコメントを読んで、何となく言ってることがわかるものには英語でコメントを返しました。
ただその時はgoogle翻訳を使って、日本語を英語に訳したものをコピペして送っていました。

その時でしたね、初めてマジで英語勉強しなきゃと思ったのは。
ベネズエラの彼女と普通に話がしたいと思ったのも大きな理由ですが、インターナショナルなTwitterでは、やはりある程度は英語をできるようにしておく必要があると思ったのです。

そんな理由で、今年の6月に勉強を始めて何とか三日坊主にならずに今でも続けてこれています。
英語は、国語や数学や理科や社会と違って習得に年単位の歳月がかかる勉強です。
第二言語の習得は容易ではないのです。
ましてや小さい頃から英語が好きで毎日勉強していたという方なら今や英語ベラベラだと思いますが、私の場合勉強を始めたのが20代後半になってからですからね…正直今更感ありますが…←
ただ、私よりずっと年上の方でも、その歳になってから英語の勉強を始めたという方も大勢いますからね。
第二言語の習得に、年齢は関係ないのかなと思っている今日この頃です。

そして話は変わりますが実は私、今年の10月にもしかしたら石ノ森萬画館や記念館に行けるかもしれません。
これについては1年ぐらい前からお友達と話をしていたのですが、私の個人的な理由でなかなか行くことができなかったんです。

で、本当は今月の頭に行くはずで宿も予約していたのですが、最初の方でお話した悲しいことが私の身の回りで起きてしまった為、泣く泣く宿はキャンセル。結局、9月に宮城に行くという計画はなくなりまして、10月に行くことになったのです。

たまたま不幸が重なってしまったので仕方ないとは思っています。こればかりは本当にどうしようもないですしね。
でも、10月に行けるかもしれないのでどちらにしても楽しみです。
ハイン様に会えますしね(笑)

そしてサイトの方ですが、これはもう数年前から考えていることなのですが、移転しようかと思っています。
とはいえまだ移転しませんが、恐らく年内には移転作業に取り掛かると思います。
何故移転しようと思ったのかと言いますと、単純にフォレストのコンテンツの作成に制限があって、このサイトのコンテンツがこれ以上作れなくなってしまったからです。
移転先のサイトの取り扱いジャンルも、変わらずサイボーグ009とルパン三世で続けていく予定です。
この二作の熱が冷めることは暫くなさそうなので(笑)

とりあえず今日の更新が済んだので、また暫くは落ち着くまでこちらに来れないと思います…
いつも更新を楽しみにしてくださっている方々には申し訳ありませんが、私の身の回りや気持ちが落ち着くまではもう少々お待ちくださいませm(_ _)m
頂いたメール等のお返事も、落ち着いたら返させて頂きます。




とりあえず以上が、近況報告と今後の予定ですね。
手短に済ませると言っておきながら随分長くなってしまいました(笑)

ここからは、最初にお話した私の身の回りで起きたとても悲しい出来事についてのお話です。
とても重い内容ですし、思い切り私情なので見たくない方はここでブラウザバック、もしくは戻るボタンを押してください。




















今年の8月29日のことでした。

祖父が病気で亡くなりました。

享年85歳でした。

祖父は肺を患っていて、今年の6月に入院。
8月29日に退院して家に帰って来たそうなのですが、数時間後に息を引き取りました。

私達は、祖父母とは別々に暮らしています。
私の家から祖父母の家までは歩いて2分の所にあるのでとても近いです。

まさか祖父が29日に退院してたなんてことを知る由もなかった父、母、私の三人はその日普通に仕事をしていました。
私達が帰宅した時に初めて祖母から報告を受け慌てて行ったら、祖父は既に硬直して横たわっていました。

正直私は、夢を見てるんじゃないかと思いました。悪い夢を見てるんじゃないかと。
これが現実だなんてとても思えなかったのです。

祖父が亡くなったその日は、祖父の安らかな死に顔を見ても悪い夢を見ていると思っていた為にあまり泣けませんでしたが、翌日からは祖父の死を実感してずっと泣きっぱなしでした。

入院する前にもっと一緒に写真を撮っておけばよかった。
もっと会って話をしておけば良かった。
病気になってから上手く息ができなくて苦しかっただろうな。
おじいちゃんがいなくて寂しい。

後悔、心の痛み、寂しさ、いろんな感情が押し寄せてきて私は3日ぐらいずっと涙が止まりませんでした。
お通夜と告別式が終わって家族が皆普通の生活に戻っている中、私だけが一人食事も喉を通らず笑うこともできず趣味や勉強さえも手に付かず、朝から晩までグズグズしていました。
例えるなら私だけ一人、真っ暗な闇の中にいるような…そんな感覚でした。
晴天の秋空さえも、その日ばかりは非常に憎く感じたものです。

今は少しずつ普段の調子を取り戻しつつありますが、まだ一人になると涙が出ることもあります。
いつまでもめそめそしていないでいい加減立ち直らないと、亡くなった祖父が安心してあの世に行くことができないのはわかっているので、どうにかして楽しいことや面白いことを見つけたいと思います。

しかし、一応それなりに覚悟はしていました。

というのも、祖父の容態からしてこれ以上良くなることはないと心の何処かでわかっていましたから。
病院へお見舞いに行った時、祖父はもうずっと何も食べることができてないらしくまるで骨と皮だけのようになってガリガリに痩せていました。
そんな祖父を見て、私は直感的に思ったのです。
「もしかしたら、もうダメかもしれない…」

思っていた通りになってしまったのです。
祖父が患っていた病気は手術のできない病気なので、こうなってしまったら最後"死"しかないのです。

祖父が亡くなったのをきっかけに、今後はもっと祖母を大切にしよう。
私が祖父の分も、悔いのないように生きなきゃと考えるようになりました。

祖父はもうこの世にはいませんが、私の心の中にはいます。
祖父は、いつだって私達のことを見守ってくれている筈ですから。

だから、いつまでもくよくよしてないで前を向いて生きて行こうと心に決めました。
祖父だって、それを望んでいるはずなので。




非常に重い話になってしまいましたが、ここまで読んでくださった方ありがとうございました。
また落ち着いたら、趣味やお出かけ、サイト更新等を楽しみたいと思います。
それでは。

あけましておめでとうございます!

2017-01-07 14:59:48 | 日記
お久しぶりです。
暫く年賀状でバタバタしてましたどうもMAJINです。

新年を迎えましたね~!
あけましておめでとうございます。
今年も管理人共々当サイトをよろしくお願いします(=^▽^=)




さてさて、皆様お正月はいかがお過ごしですか。
私は昨年同様、相も変わらずモンスト三昧で過ごしております(笑)

最早モンストが日課みたいになってます。
ただ「ログインしなきゃ」とか「今日の分プレイしなきゃ」とかそういう義務的な感覚でプレイしてるわけではなく、ただひたすらにモンストで遊びたい一心で暇さえあれば毎日やってます(笑)

あとはそうですね、ポケモンのサンもそこそこやってます。
元々ゲーム自体あまりやらないので、モンストもポケモンも本当に時間のある時ぐらいにしかやらないのですが(ポケモンは特に)、モンストに関しては何処にいても気軽にプレイできてしまうので、勤務先へ向かう往復のバスの中でやったりもします。

ただ、モンストもポケモンGO同様バッテリーの消費が激しいので、出先でプレイする場合はバッテリー残量を気にしながらプレイしなきゃいけないのがネックです。
モバイルバッテリーを買えよって話なんですけどね…高いのでなかなか買えなくて……(;^_^A

モバイルバッテリーは勿論なんですが、リュックも欲しいんですよね〜。
コミケに行く度に毎回リュックが切実に欲しいと思うのですが、これもなかなか買う機会がありません…orz

必要なんですよね、モバイルバッテリーもリュックも…
私、よく遠出するので…(´・ω・`)

今年の目標は、モバイルバッテリーとリュックを買うことかな…
あとは、そろそろいい加減同人誌を出すことも考えなきゃですね←

同人誌楽しみに待ってくださってる方(いるかどうかわかりませんが)本当に申し訳ありません(>人<;)
今年こそは必ず原稿を本にします!

そんなわけで、今年の目標も決めた所でこの辺で(笑)←
またぼちぼち更新していきたいと思います(*^ω^*)

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