日々萌え語り

日常のこと趣味のことなど、気ままに書き綴っていきたいと思います(*^_^*)

アビスリウム

2017-09-30 17:13:25 | ゲーム
最近お天気が不安定で体壊しそうで心配ですが、皆様はいかがお過ごしですか。
風邪をひかないよう、お互い体調をしっかり‪調えておきたいですね。

そんな中、今日"アビスリウム"というアプリを始めましたどうもMAJINです(・∀・)

いやね…最近心身共に疲れることが多いですし、荒みまくっているので癒しが欲しいなぁ〜と思いまして←

このアビスリウムというアプリは、少し前に流行っていた海の中で海藻や魚等を育てる、言わばアクアリウムのスマホ版です。

今はだいぶ下火になっているように感じますが、流行りにはいつも乗り遅れるのが私ですから(笑)←

アビスリウムの他にもアスファルト8というアプリも先日始めました。
アスファルト8はカーアクションゲームです。
こちらは、後程呟きにて紹介させて頂きます。

二つも新しいゲーム始めたということはモンストはどうしてるの?と聞かれそうですが…

安心してください、モンストもちゃんとやってますよ(^O^)
今日オーブが100個貯まったので、今夜超獣神祭のガチャを引こうかと…(´◉ω◉` )ヘヘヘッ←




…と、まぁ話を戻しまして(笑)

アビスリウム、まだ始めたばかりなので今はまだこんな感じです。


何気にイベントもちょこちょこやっています(*^ω^*)

なんか、前のイベントの時の魚が無料で貰えるルーレットがあって、それを回したら綺麗なウミウシと甲羅に花が咲いている亀を貰いました。
今は秋のイベントをやっています♪




ちなみに、私のお気に入りは今のところこの子。

先程お話した、綺麗なウミウシです(*´∀`)

なんか可愛いんですよねこいつ(笑)
泳ぎ方も好きです、ウネウネ泳いでて←ウネウネって何





アビスリウムのいい所は、急かされる要素がないのでやりたい時に自由にできること。
あとは、ライバル等がいないので周りを気にせず遊べることですね。

1、2枚目の写真中央に写っている大きなサンゴ石をタップすると生命力がたまって新しい生命を創造することができますが、放置していても自然とたまっていきます。
ただしイベントに必要なポイントだけは、手動でタップしないとたまらないみたいですね。

まぁ、基本的にはのんびり遊べる緩いゲームです( ´ⅴ`)




これからこのアビスリウムがどんな風に進化していくのか、皆さん温かい目で見守っていてください( ´ ▽ ` )ノ笑

おじいちゃんありがとう。

2017-09-27 00:47:56 | 日記
10月に復帰すると言いましたが、気持ちがだいぶ落ち着いてきたので少しずつ更新を再開しようと思い戻ってきましたどうもMAJINです。

前記事を読まれた方はご存知だと思いますが、祖父が今年の8月29日にこの世を去りました。

祖父は石を削る仕事をしていて、その削った石から出た粉塵を吸い込み肺を患い6月に入院。
8月29日に退院したものの、数時間後には帰らぬ人となりました。

後から聞いた話ですが、本来なら石を削る仕事をしている人は皆50代ぐらいで亡くなるそうです。
祖父は85歳で他界したので、長生きしたのだと思います。

私が言うのも変な話ですが、祖父からしてみれば充分生きたのではないかと思います。
本当はもう少し会って話もしたかったし、元気に退院してくれればいいなぁ~と思っていましたが、それも叶わず終わってしまいました。
大切な人と多くの時間を過ごしたいと思った時には、もう遅いものなのですね。

祖父が亡くなったことにより私がこれだけ心のダメージを受けていたのは、私の中でいろんな想いがあったからというのは勿論ですが、身近な人を亡くしたのが人生で初めてだったからなのだと思いました。
なので、お通夜と告別式で再び祖父の死に顔を見るのがとても辛かったです…

実は祖父が亡くなった次の日に一度出勤したのですが、私がトイレに篭ってずっと泣いていたので同じ部署の人に心配されてしまい、事情を話して早退させて貰いました。
今思えば、こんなことになるなら無理に出勤しないで最初から休ませて貰えば良かったと思いました…

それから一週間は休んでしまいましたね…
いつまでもめそめそしていたくない、早く仕事に復帰したい。復帰しないと、職場の皆に迷惑がかかってしまう。
そう思っていましたが、家にいても何も手に付かない状態だったので、すぐに仕事に復帰するなんてとても無理でした…

恐らく、人生で一番泣いた三日間だったのではないかと思います。
(実際は4日ぐらい泣いてたかもしれません…まぁ、どうでもいいですね←)



そう言えばお通夜の時、不思議な経験をしました。

布団に横たわる祖父に、集まっている遺族の皆で旅の支度をさせてあげている時のことでした。

皆が順々に祖父に旅の支度をさせてあげて、最後に私達孫一同で旅の杖を添えてあげる時でした。




あれ…?




と、私は祖父の顔を見て思いました。
これは私の気のせいかもしれませんし、単に角度の問題だったかもしれませんが、何となく祖父の口元が微笑んでいるように見えたんですよね。

本当に私の気のせいかもしれません。
でも、その時の祖父の顔を見てほんの少し安心できたのは事実です。
祖父のあの顔は今でも強く脳裏に焼き付いていますし、たぶん死ぬまで一生忘れないと思います。

あと告別式が終わった後、叔父さん(従兄弟のお父さん)が急に倒れてしまい救急車で運ばれてビックリしたのを覚えています。
どうやら叔父さんは、過去に心臓のバイパス手術を受けていたみたいで元々心臓が弱かったそうなのです。
まさか祖父が叔父さんまで連れて行ってしまうつもりなのかと思いましたが、叔父さんは一先ず大丈夫そうでした。
念の為病院で一週間の検査入院という形になりましたが、あれから元気に退院したみたいです。
きっと喪主を務めて緊張していたから、疲れも溜まって終わった所で安心して疲れが体に出たのでしょうね。
ビックリしましたが無事に退院できて良かったです。





思えば祖父には、私が子供の時よく遊んで貰いました。
多趣味な祖父で、キノコ狩りと競馬と将棋とハーモニカとアコーディオンが趣味でした。
あと、動物も好きで祖父自身も動物に好かれていましたね。

キャラメルやカステラ等も好きでした。

短気で喧嘩早い所もありましたが、基本的には面白くて優しい祖父でした。

祖父が入院中、病院で祖父と最後に交わした言葉


私「おじいちゃん、頑張ってね」

祖父「ありがとうね」


たったこれだけでした。
私にそう言っていた時の祖父は笑顔でした。

これを思い出しながら書いている今も、正直涙腺が崩壊しそうです。
泣くなら書かなきゃいいじゃんって話なのですが、祖父が亡くなる前のことや亡くなった後のこと、忘れたくないのでこうして日記に書き残しています。




最初から最後まで暗い話になってしまい申し訳ありませんでした。
祖父に手紙を書いて祖父の眠る棺の中に入れたのですが、最後にその手紙の内容をここに書いて終わりたいと思います。
祖母も父も母も妹も知らない、祖父だけが知っている手紙の内容です。









――――――――――――――――――

おじいちゃんへ

久しぶり。確か7月に病院で話をして以来だよね。
それとも8月だったかな…?もう覚えてないや。
あの時病院で久々におじいちゃんの顔を見れて嬉しかったよ。照れくさくて少ししかお話できなかったけどね。
あの時は言わなかったけど、私びっくりしたんだ。おじいちゃんすっかり痩せていたから…
ご飯もあまり食べれてないみたいだったし、やっぱり凄く心配だったよ。でも、おじいちゃんは笑顔で話してくれたよね。

昨日、出先でお菓子売り場を見ていたら、おじいちゃんがよく食べていたキャラメルを見かけたよ。私や妹にもくれたりしたよね。
いろんなことが落ち着いたらおじいちゃんが好きだったキャラメルを買って、おじいちゃんのことを思い出しながら食べるよ。

あと、おじいちゃんは楽器も好きだったよね。
私が子供の頃、よくハーモニカやアコーディオンで曲を演奏してくれたよね。
凄いなぁ~、私もこんな風に楽器で演奏できるようになりたいなぁ~って憧れていたよ。
私は楽器はできないけど、絵を描くのが好きだよ。そういう芸術的な才能は、おじいちゃん譲りかもね。私はこの才能を誇りに思っているよ。
そういえば、私が小さい頃絵も一緒に描いてくれたりしたよね。おじいちゃんが描く犬とか猫が可愛くて大好きだったよ。

おじいちゃんは動物にも好かれていたのかな?
何年か前に、散歩するおじいちゃんの後をずっと付いて行く猫がいたよね。おじいちゃんは確か、餌を与えたら付いてくるようになったって言っていたよね。あれは、見ていて微笑ましかったよ。
犬のチョコちゃんも、おじいちゃんのこと大好きだったんだね。

おじいちゃんとの楽しかった思い出は、私の宝物として心の中にずっとしまっておくからね。
もう会えないし話もできないから寂しいけど、天国で笑っていてくれればそれでいいよ。
そしてこれからも、私達のことを見守っていてね。

大好きなおじいちゃん、長い間お疲れ様でした。
今までありがとう。

またしてもお久しぶりです。

2017-09-18 23:20:09 | 日記
またかよって感じだと思いますがお久しぶりです←

先程、ふとサイトを確認してみたら最終更新日が今年の1月だったので、随分間が空いてしまっていることに驚いたと同時に、全くサイトが手につかず、おまけに頂いたメールやコメント等のお返事もなかなかできずにいるので申し訳ない気持ちでいっぱいのMAJINです。

とりあえずは、あまり長くなってしまってもいけないので手短に近況報告や今後の予定等をお話していきたいと思います。







とりあえず私は元気です。
とはいえ、先月末にとても悲しい出来事があった為、今もまだ一人になると時々情緒不安定になってしまいますが、なんとか元気にやっております。
これについて詳しくは、後程お話したいと思います。

最近めっきり涼しくなってきましたね。
何やら最近、北朝鮮が弾道ミサイルを頻繁に飛ばしているようで、そのうち本当に日本に落としてくるんじゃないかと思ってしまいとても怖いですが…
各国の政府がしっかり日本を守ってくれることを祈るばかりです。
ただやはり危惧しているのは、日本に協力的なアメリカの大統領がトランプということですよね…
彼の意見が通ってしまえば、北朝鮮の思う壷となってしまうでしょうね…北朝鮮はただでさえ日本に怨みがありますし。

まぁ、そんな話はさておき。

実は私、最近独学で英語の勉強をしています。
急にどうした?と思われそうですが…(笑)

確かに、自分でも急にどういう風の吹き回しなのかとは思います。なんせ私は、学生時代碌に勉強してきませんでしたからね(爆)

では何故、英語を勉強しようと思ったのか。

そのきっかけとなったのは、Twitterでした。
「え?SNSがきっかけで英語を勉強しようと思い始めたなんてどういうこと?」と思ったかと思います。

Twitterは、全国のユーザーが使っているということはご存知の方いると思います。
なので、海外のユーザーさんも非常に多いです。
そして海外のユーザーさんは皆、日本人に対しては万国共通の英語で話しかけてきます。
だけど悲しいかな、日本人は殆どの人が英語ができないわけですよ。

ちなみに私も、Twitterでの自分のフォロワーさんに数人程海外のユーザーさんがいます。
他言語で会話ができる自信が無いので、繋がってはいないのですが、やはりその人達も私と共通の趣味を持った人達です(009やルパン等)。

しかしですね、そのうちのある一人の009ファンのベネズエラの方が、実は私の投稿する呟きにちょくちょく英語でコメントを送ってくるんですよ。
彼女のコメントを読んで、何となく言ってることがわかるものには英語でコメントを返しました。
ただその時はgoogle翻訳を使って、日本語を英語に訳したものをコピペして送っていました。

その時でしたね、初めてマジで英語勉強しなきゃと思ったのは。
ベネズエラの彼女と普通に話がしたいと思ったのも大きな理由ですが、インターナショナルなTwitterでは、やはりある程度は英語をできるようにしておく必要があると思ったのです。

そんな理由で、今年の6月に勉強を始めて何とか三日坊主にならずに今でも続けてこれています。
英語は、国語や数学や理科や社会と違って習得に年単位の歳月がかかる勉強です。
第二言語の習得は容易ではないのです。
ましてや小さい頃から英語が好きで毎日勉強していたという方なら今や英語ベラベラだと思いますが、私の場合勉強を始めたのが20代後半になってからですからね…正直今更感ありますが…←
ただ、私よりずっと年上の方でも、その歳になってから英語の勉強を始めたという方も大勢いますからね。
第二言語の習得に、年齢は関係ないのかなと思っている今日この頃です。

そして話は変わりますが実は私、今年の10月にもしかしたら石ノ森萬画館や記念館に行けるかもしれません。
これについては1年ぐらい前からお友達と話をしていたのですが、私の個人的な理由でなかなか行くことができなかったんです。

で、本当は今月の頭に行くはずで宿も予約していたのですが、最初の方でお話した悲しいことが私の身の回りで起きてしまった為、泣く泣く宿はキャンセル。結局、9月に宮城に行くという計画はなくなりまして、10月に行くことになったのです。

たまたま不幸が重なってしまったので仕方ないとは思っています。こればかりは本当にどうしようもないですしね。
でも、10月に行けるかもしれないのでどちらにしても楽しみです。
ハイン様に会えますしね(笑)

そしてサイトの方ですが、これはもう数年前から考えていることなのですが、移転しようかと思っています。
とはいえまだ移転しませんが、恐らく年内には移転作業に取り掛かると思います。
何故移転しようと思ったのかと言いますと、単純にフォレストのコンテンツの作成に制限があって、このサイトのコンテンツがこれ以上作れなくなってしまったからです。
移転先のサイトの取り扱いジャンルも、変わらずサイボーグ009とルパン三世で続けていく予定です。
この二作の熱が冷めることは暫くなさそうなので(笑)

とりあえず今日の更新が済んだので、また暫くは落ち着くまでこちらに来れないと思います…
いつも更新を楽しみにしてくださっている方々には申し訳ありませんが、私の身の回りや気持ちが落ち着くまではもう少々お待ちくださいませm(_ _)m
頂いたメール等のお返事も、落ち着いたら返させて頂きます。




とりあえず以上が、近況報告と今後の予定ですね。
手短に済ませると言っておきながら随分長くなってしまいました(笑)

ここからは、最初にお話した私の身の回りで起きたとても悲しい出来事についてのお話です。
とても重い内容ですし、思い切り私情なので見たくない方はここでブラウザバック、もしくは戻るボタンを押してください。




















今年の8月29日のことでした。

祖父が病気で亡くなりました。

享年85歳でした。

祖父は肺を患っていて、今年の6月に入院。
8月29日に退院して家に帰って来たそうなのですが、数時間後に息を引き取りました。

私達は、祖父母とは別々に暮らしています。
私の家から祖父母の家までは歩いて2分の所にあるのでとても近いです。

まさか祖父が29日に退院してたなんてことを知る由もなかった父、母、私の三人はその日普通に仕事をしていました。
私達が帰宅した時に初めて祖母から報告を受け慌てて行ったら、祖父は既に硬直して横たわっていました。

正直私は、夢を見てるんじゃないかと思いました。悪い夢を見てるんじゃないかと。
これが現実だなんてとても思えなかったのです。

祖父が亡くなったその日は、祖父の安らかな死に顔を見ても悪い夢を見ていると思っていた為にあまり泣けませんでしたが、翌日からは祖父の死を実感してずっと泣きっぱなしでした。

入院する前にもっと一緒に写真を撮っておけばよかった。
もっと会って話をしておけば良かった。
病気になってから上手く息ができなくて苦しかっただろうな。
おじいちゃんがいなくて寂しい。

後悔、心の痛み、寂しさ、いろんな感情が押し寄せてきて私は3日ぐらいずっと涙が止まりませんでした。
お通夜と告別式が終わって家族が皆普通の生活に戻っている中、私だけが一人食事も喉を通らず笑うこともできず趣味や勉強さえも手に付かず、朝から晩までグズグズしていました。
例えるなら私だけ一人、真っ暗な闇の中にいるような…そんな感覚でした。
晴天の秋空さえも、その日ばかりは非常に憎く感じたものです。

今は少しずつ普段の調子を取り戻しつつありますが、まだ一人になると涙が出ることもあります。
いつまでもめそめそしていないでいい加減立ち直らないと、亡くなった祖父が安心してあの世に行くことができないのはわかっているので、どうにかして楽しいことや面白いことを見つけたいと思います。

しかし、一応それなりに覚悟はしていました。

というのも、祖父の容態からしてこれ以上良くなることはないと心の何処かでわかっていましたから。
病院へお見舞いに行った時、祖父はもうずっと何も食べることができてないらしくまるで骨と皮だけのようになってガリガリに痩せていました。
そんな祖父を見て、私は直感的に思ったのです。
「もしかしたら、もうダメかもしれない…」

思っていた通りになってしまったのです。
祖父が患っていた病気は手術のできない病気なので、こうなってしまったら最後"死"しかないのです。

祖父が亡くなったのをきっかけに、今後はもっと祖母を大切にしよう。
私が祖父の分も、悔いのないように生きなきゃと考えるようになりました。

祖父はもうこの世にはいませんが、私の心の中にはいます。
祖父は、いつだって私達のことを見守ってくれている筈ですから。

だから、いつまでもくよくよしてないで前を向いて生きて行こうと心に決めました。
祖父だって、それを望んでいるはずなので。




非常に重い話になってしまいましたが、ここまで読んでくださった方ありがとうございました。
また落ち着いたら、趣味やお出かけ、サイト更新等を楽しみたいと思います。
それでは。