釣り人のたわ言

私が普段思って居る事
感じた事

「オコゼ」に刺されて、、、、、

2010年08月07日 20時12分06秒 | Weblog
十代の頃の話
もう37年も前になりますか!
秋田の歓楽街の某料理店「第一○○」に入社したのは。
当時秋田では一番高さの有ったビルの1階の和食の調理場へ配属。
その後直ぐに「秋田銀行」のビルが建って越されてしまったが、、、、
入社初日から包丁を持たされて、当時は直ぐには包丁なんて持てない時代。
千秋公園の側の会社の寮に住まう。
部屋には調理場の先輩達が数人とバーテンダー達が一緒に、、、、
同じビルの中の社員達。
みんな良い人達だった。
俺的には和食の職人よりも「バーテンダー」に憧れたものでした。
俺達「ひよこ」当時見習いは「ひよこ」と呼ばれて居たんです!
朝早くから調理場に入って、大きな寸胴鍋に水を入れて、昆布、しいたけ、かつお節を入れて
出汁を取りながら先輩達を待つ!
朝から今日の仕込みが始まる。
御飯を炊いたり、野菜の下ごしらえをするのは賄いの母さん達。
俺達は魚の処理や酢の物のタレを作ったり、結婚式に使われる「鯛」の下処理。
昼は、先輩達が会社の向かいに有る「パチンコ屋」へ、、、
俺も行こうとしたら、お前は調理場の見張り番!
包丁を研ぐのじゃなく、砥石をコンクリートに擦って真中の窪んだ砥石を平らにしておけって!
夕方から営業!
ほとんどは、鍋を洗ったり、俎板を洗ったり、下働き。
忙しい時は「焼き場」で注文の入った魚を焼いたり、酢の物の盛り付けをしたり。
一ヶ月働いて給料が25000円だったかな?
寮費が食事込みで15000円だった筈。
あと1万円で生活するのだが、「煙草代」と「職場へ向かうタクシー代」で無くなっていた筈?
呑み代は先輩達が払ってくれたし、仲良くなった「バーテンダー」達が払ってくれた。
当時は可愛がられていました。
えっ!?
女遊びはどうしていたのかって?
当時は不自由してませんでした!
全て女性が、、、、
ハハハ冗談ですよっ!
それからどの位経っただろう?
料理長が、今日は良い「オコゼ」が入ったので、献立に「オコゼの唐揚」と「刺身」にするって!
でも「気をつけろよって」刺が刺さったら指が腫れて大変な事になるからって、叫ぶように言ってる。
見た目はグロテスクなのだが、中々美味しい魚なんです!
唐揚も刺身も最高です!

そしたら直ぐに「あっ!いてぇっ!」って刺し場(刺身を作る場所)から声が、、、、
料理長が顔色を変えて現場へと、、、
大至急「酢」を持って来いって、怒鳴ってる!
丼一杯の酢の中に指を突っ込めっ!
しばらくそのままにして置けよ~って!
鯛や鱸などの背びれが刺さった場合の処置方なのだが、、、、
幸い先輩の指は少し腫れただけで無事だった。
煮物場、焼き場、揚げ場、刺し場色々持ち場が有るのだが、刺し場に憧れたもんです。
煮物場が一番上なんだけどね!
刺身は自分で色々創造出来る分野だったから。
先輩の造る刺身はカッコ良かったな~っ!
何時か機会が有ったら是非食べてみて下さい。
鯛や平目、その他の魚よりも美味しいと言っても過言じゃ無いと、、、、
昨日だったか?ニュースで「オコゼ」に刺されて死亡って記事を見て昔を想い出してました!
えっ!?
その後は「花板」にでもなったのかって!
俺が金を出すから東京へ行って「寿司屋」で修行して来ないかって言ってくれた秋田の財閥の
辻○○さんや、昔、金座街に有った若者に人気の喫茶店の「や○よ」のママやマスターが声を掛けてくれたが、若かった、、、、束縛されたくなかった!
どちらも、「お前の仕事が気にいった」是非と言って頂いたのだが、、、、
それで良かったのか悪かったのか?
喫茶店も無くなり、寿司屋も今じゃ、、、、
やってもみないでこんな事書いてみた所で、、、、
今はまったく飲食業には縁の無い仕事をしてささやかに暮らして居ますよ!
アハハハ!
また明日にしますか?