先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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野田醤油争議(その八) 「父ト共ニ戦ニ立ツ」546名児童の同盟休校 1927(8)年の労働争議(読書メモ)

2023年11月03日 07時00分00秒 | 1927年の労働運動




野田醤油争議(その八) 「父ト共ニ戦ニ立ツ」546名児童の同盟休校 1927(8)年の労働争議(読書メモ)
参照「協調会史料」
  「日本労働年鑑第10集/1929年版」大原社研編
  『野田血戦記』日本社会問題研究所遍
  『野田大労働争議』松岡駒吉

 1927年12月17日、野田醤油争議団は、野田小学校の学務委員の多数を占める茂木一族と町長が公務上の地位を忘れ争議団攻撃に明け暮れていること、野田小学校校長が組合員の児童に差別的処遇を行ったことなどに抗議し、争議団の小学児童546名の同盟休校を決議し、1928年1月16日から同盟休校に突入した。
 争議団は自ら「野田労働小学校」を設立し、小泉七造ら幹部もあらゆる面で子供たちを応援した。教師役として総同盟本部から教師の経験のある斎藤勇を筆頭に、赤松常子、仲濱みよ子、井上市子、石井菊衛、佐々木虎三郎らが派遣され、争議団、児童、教師役は一体となって、97日間の野田労働小学校の授業、運営をやり抜いた。

(「労働少年少女軍」)
 5年生以上の児童は、労働少年少女軍とし男女それぞれ以下の7班に組織した。
伝令(赤襷)・・・争議団本部の伝令の補助
警備(赤腕章)・・児童集合、行動の際の警備
訪問(桃腕章)・・欠席児童宅訪問、報告と慰問
街頭(青腕章)・・行動時の保護観察
衛生(白腕章)・・清掃等
炊事(微章黄)‥・炊事補助
洗濯(微章紫)・・衣服修理、洗濯の補助

(児童慰安会等の開催)
 毎日の授業や愛宕神社への「戦勝祈願」デモの他に、以下の行事が行われた。
 1月  3日 新年お伽大会
 1月18日 同盟休校「宣誓式」
 1月21日 慰問袋を児童たちに配布
 1月22日 東京らの児童が野田労働学校に慰問・交流
 2月  4日   児童向け活動写真上映会野田劇場
 2月  8日 慰問袋配布
 2月16日 児童慰安会
 3月  8日 卒業生記念写真撮影(写真)
 3月24日 野田小学校卒業式に同盟休校卒業生も列席
 3月27日 慰問袋配布
 4月  1日 「押し出し」請願行動に4年生以上の児童も参加
 4月  4日    松戸の演説会に向かう少年・少女弁士、警察に阻止される
 4月21日 労働小学校解散式
 4月23日 復校

(野田労働小学校の授業)
 国語、算数、地理、理科、歴史、唱歌など尋常科、高等科と分け、各午前・午後2時間の学習時間をとった。唱歌の中には労働歌やフランス革命の歌「ラ・マルセイエーズ」の替え歌『起てよ日本の労働者』など元気のいい歌もあった。同盟休校の当初は、児童みながうちそろい愛宕神社への「戦勝祈願」デモを毎日行ったが、警察が禁止命令をだしたきた。
 毎朝の朝礼の終わりには『我らの誓』を唱和した。リーダーの児童が問いかけ、みなが答えた。
『我らの誓』
(問い) 我らは誰と共に戦っているか
(答え)   父母と共に戦っている

(問い) 我らは何のために戦っているか
(答え) 頑迷なる資本家を懲(こ)らすために

(問い) 我らはいつまで戦うか
(答え) 敵をたおすまで戦う

(問い) 未来は
(答え) 我らのものである

(全国から殺到する応援の手紙とカンパ)
  全国の労働組合員の子供たちから励ましの手紙や学用品などのカンパが殺到した。半紙、ノート、鉛筆、筆入等実に多く、鉛筆は数百ダースあった。労働小学校の児童たちはそれらすべてにお礼の手紙を書いた。1月23日には、東京、神奈川、栃木、群馬の各県の総同盟組合員の子弟十数名が、野田町まで慰問に訪れ、野田劇場で交流した。児童は互いに深い感銘を受けた。

(応援する児童から手紙)
横浜鶴見区佃野の尋常五年生 井坂貴美子
「私のお父さんは醤油屋の職工です。こんど野田町では醤油やのしごとをやすんで会社と戦っているそうですが、最後まで勇気を出してください。お父さんお母さんに孝行してください。」

群馬県藤岡町の高一 田中五郎
「皆様に何か送りたいと思いましたから毎日一、二銭づつ貰った金一圓送ります。争議に使ってください。またお手紙差し上げます。元気な勇気のある労働小学の子供になってください。」

(労働小学校児童たちの返事)
尋常三年生 林喜市郎(二年生の時「父ト共ニ戦ニ立ツ」を書く)
「野田のそうぎも長くつづいて居ります。私どもはそうぎが勝つために毎日神様にいのっています。
なかなか会社は悪くてあっぱくです。私はそうぎのためにお母さんといっしょうにはたらきます。私は労働者の子供ですからいっしょうけんめいにあせをたらしてはたらきます。私どもは兄弟としてなかよくはたらきます。」

尋常四年生 広田ユト子
「拝啓お手紙ありがとうございました。
あなたさまは元気でいらっしゃいますか。こちらの人もげんきでおりますからごあんしん下さい。ごらんのとおり父さん母さんは四ヵ月もあのわがままなかいしゃとたたかっていらっしゃいますが、ちっともおそれないでいさましくたたかっていらっしゃいます。私も小さいへいたいとなってたたかっています。父母にはなるたけこうこうしています。このそうぎはきっときっと父さんたちがかつでしょうからあんしんして下さい。」

尋常四年生 岡田はつ
「お手紙ありがとうございました。私たち毎日労働学校でよく先生のおしえを守っております。争議が長くなっても私たちが大きくなってからの事を考えるとちっともくるしくおもいません。なおいっそう先生の教えを守って勝つようにつとめます。さよなら。」

尋常五年生 戸辺はま 
「遠い遠い町の皆さんへ、大変おさむくなりました。
皆さんもこのさむさにまけないようにいっしょうけんめい勉強して下さいね。私たちは遠い遠い野田町に居て神様に皆さんの事をお祈りしております。
又、先日は皆さんから私たちにたいしておおい人のお手紙を下されまして誠に有りがとうございました。私たちは皆さんと手をにぎりあって、あのわるいわるい会社を私たちの前にこうさんするまでたたかうことをおちかいいたします。そして新しい世の中を一日もはやくつくりましょう。又親に孝行いたしましょう。ごきげんよう。さようなら」

尋常五年生 平石ふじ
「一筆申し上げます。
お手紙をくだされてありがとうございます。
あなた様のお父さんやお母さんまでもねっしんしていますから、野田の争議はけっしてまけるようなことはありませんから安心してください。野田の争議がまければ世界一ぱいの労働者のはじになりますから、まけることはできません。労働者の人々とみんなで心をあわせて悪い会社をうんとこらしめてやらなければなりません。私も労働学校で野田小学校よりもうんとべんきょうして女のへいたいになって会社をまかさねばなりません。きっと会社をまかして労働者の時の声を上げますから安心して下さい。
これからもお手紙のやりとりをいたしましょう。
私はこれにてしつれいいたします。
尋常五年生 平石ふじ  井坂貴美子様へ」

尋常五年生 進通静枝
「拝啓
先日は御見舞下さいましてありがとうございました。私は皆様の御心に深くかんしゃしております。
此の度盟休につきましては色々御心配かけてすみません。私達はこの先一生けんめいに勉強いたす決心であります。皆様もどうぞ御安心下さい。  井部とき子様」

尋常六年生 大塚静枝
「お手紙ありがとうございました。私たち一同元気でお父さんお母さんと毎日いっしょになって悪会社と戦っています。
遠い労働者の皆様、私たちは朝、晩、神様、仏様にいのっています。神様、仏様はきっと私たちのおねがいをきいてくださるでしょう。
皆様私たちはきっとあのよくふかな悪い会社をまかしてみせます。
皆様や私ちだのはおなじ労働者の子です。姉妹です。労働者の子はいつまでもなかよくしましょう。」

尋常六年生 遠藤ちよの
「この間は御手紙ありがとうございました。
あなたと私は兄弟よりも親しいお友だちなのであります。
この組合の団結はどこまでも崩さず大勝利を得るまでは心を一つにして尽くすという同志たちでありますからなんで負けるわけがありましょう。
私は朝夕氏神に大勝利をお祈りして居ります。
どうぞあなたも力を入れて下さい。
どこまでも力を入れてあの悪い会社をこらして父母を安心させましょう。」

争議団の僕達より 岡田義雄
「拝啓御手紙下さいまして誠に有難く拝見致しました。
貴女方の熱心さは此の僕達の心によく通じて居ります。
僕達此の御手紙を拝見致して思わず涙の浮かぶのを禁じいりませんでした。
遠い遠い皆様にまで御心配をかけている僕達は何であの横暴な資本家に敗けておられましょう。
労働者の僕達は元気と勇気を持ってあの横暴なる資本家に対し、死を決して何処までも何処までも戦ってきっときっと勝利を得てみせます。御安心下さい。
皆様御身体を大切に御暮し下さい。
争議団の僕達たちより皆様へ  さようなら」

(労働小学校児童の作文)
児童作文① 
「明けても暮れてもわすれる事の出来ないのは此の野田争議のことである。
もはや百二十何日となってしまった。
だがあの栄華を極めている茂木氏は私のお父さんお母さん兄さんたちをいじめているのであります。
私たちは大人も小人もみんな一つの心になって、
あのにくい茂木氏にぶちあたらなければならぬのである。
私は毎日学校にかよっております。
けれどもにくい茂木を忘れた事はありません。
朝起きて顔を洗い、お日様がにこにこしながらそしらぬ顔をして出て来ると自然と労働者に此の度の争議はかつように一日も早く万歳の声が聞こえるように毎朝お祈りして居ります。
今親たちはどんなに心配しているであろう。
私たちは子供ながらも其の心を少しでもさっして少しでも心をなぐさめ心配を少なくするように勤めましょう。
それがこの争議にあっての仕事だと思ってやりましょう。
早く勝利を得つかせ
平和な町をつくるようにいたしましょう。」

児童作文② 高一 葛西寿
「私どもはよく父母の令を守りよく働いて父母に心配をかけないようにしてよく勉強してあのにくい会社側を潰して労働組合を新たなる労働組合を立ててこの暗黒な時代の野田町を救い再び明るい野田町に返して私どもは、よろこんで働くことが出来き、うれしいうれしいお正月をむかえたのしい兄弟仲良く暮らしていきたいと思います。以上」

児童作文③ 私の考え
「私の考え
誠に憎らしい茂木はまだへこたれずして争議を続けています。私は此の争議がかい結し労働者の勝になりますように毎朝祈っています。
父母に心配かけないように学用品はなるたけ節約するようになど色々心がけております。
此の争議を大人も小人も皆一緒になってあのおうぼうな茂木をうちまかしましょう。」

児童作文④ 高二 廣田千代
「此の争議は最早ニ百余日になるが未だ解決していない。私たちも学校にも行かず父母と共に戦に立っているのである。余りにも長びくので中には大へん困る人もあるであろう。そして盟休児童の中には奉公に行く人も少なくない。自分もいよいよ家が困ったら奉公に行こうと思う。我等労働少年少女軍はあくまでもくじけずにあの頑迷に茂木と戦って行かねばならない。茂木を倒すまでこれから先どれだけ長く続くかわからない、解決の見込はまだつかない。我等は倒れても勝たなくてはならない労働組合のために。」

(アンケート)
労働小学校尋常五年生91人へのアンケート
大きくなって何になりたいですか
 正しい立派な労働者になりたい 55人
 えらい人になりたい        7人
 正義のために働く人になりたい   5人
 争議団の団長になりたい      4人
 労働学校の先生になりたい     4人
 奉公に出て孝行する人になりたい  3人
 先生になりたい          3人
 軍人の大将になりたい       3人
 店の小僧さんになりたい      3人
 大工さんになりたい        1人
 お針を教える人になりたい     1人
 看護婦になりたい         1人
 おまわりさんになりたい      1人
             合計      91人

(闘い)
 児童たち全員の愛宕神社への「戦勝祈願」デモは警察により禁止されたが、4月1日の押し出し、大請願闘争には四年生以上の児童も参加し、朝5時には児童全員が争議団本部に見送りに押し寄せた。児童たちは自分達の『父ト共ニ戦ニ立ツ』(写真)と書いた旗を掲げながら、フランス革命の歌「ラ・マルセイエーズ」の替え歌『起てよ日本の労働者』など元気のいい歌で母ゃ父の請願隊を応援した。

(演説会)
 各地の野田醤油応援演説会に「少年・少女弁士」も呼ばれ参加した。

(卒業式と入学式)
 3月24日の野田小学校の卒業式に、労働小学校の卒業生生徒は小泉七造や赤松常子らの引率のもと野田小学校の卒業式に列し、卒業証書を受けた。その他の児童は野田劇場で父兄列席の上、修業式を行い、午後からは卒業生も加わり慰安会を開催した。児童の唱歌、遊戯、児童劇など父兄を喜ばせた。3月30日には、新たな新入生77名の入学式を行った。

(労働学校解散式)
 4月21日労働小学校解散式が行われた。児童代表松岡キヌエと深井忠夫の二人が『私たちはあくまで父兄の意志をついで野田の組合を再興することに努力する』とけなげな挨拶はして、並みいる父兄や争議団員を泣かした。上級生は男女を問わず誰もが声をあげて泣いた。教師役も児童たちと一緒に泣いた。実に悲愴を極めた解散式であった。23日児童は各教師役に導かれ全員がそろって復校した。その後学校に戻った児童たちの成績がとても良かったことに学校当局も非常に驚き、新聞でも報じられた。児童たちの真剣さの結果だった。

以上



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