先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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全国を震撼させた小樽港湾ゼネスト(その1) 過酷な労働条件と小樽合同労働組合の奮闘 1927年の労働争議(読書メモ)

2023年09月06日 07時00分00秒 | 1927年の労働運動

(「下宿人」。港の労働者が雇い主である親方の経営する「下宿」に住まわされた上、
高い下宿代や布団代やまずい食事代などをとられていた。
下宿人とは親方に雇用されて港で働く労働者である。)

全国を震撼させた小樽港湾ゼネスト(その1) 過酷な労働条件と小樽合同労働組合の奮闘 1927年の労働争議(読書メモ)
参照 「日本労働年鑑第9集/1928年版」大原社研編
   「協調会史料」
   「北海道社会運動史」渡辺惣藏
     「日本現代史5」ねず・まさし
          「日本労働組合物語 昭和」大河内一男・松尾洋

1、はじめに   
小樽港湾ゼネスト
 1927年6月5日~7月7日の小樽港湾全面ストライキ(ゼネスト)。ストに突入した17日目には、艀(はしけ)沖仕350名、陸沖仕350名、石炭沖仕500名、倉庫沖仕200名、自由労働者650名など総数2千百名小樽港湾労働者の堂々たるゼネストに発展した。大争議だ。闘う相手の事業・雇用主は73にも及んだ。
 評議会に指導された小樽合同労働組合を中心とする争議団本部は色内町松坂ビルに設置したが、斗争激化につれて官憲に見つからないように19ヵ所も転々と移動し、警察の弾圧から指導本部を守った。拓銀小樽支店に勤めていた小林多喜二は余暇を盗んではセッセとアジビラを書いた。
 道庁命令航路の弘前丸、千歳丸、北日本汽船伏木丸等は郵便、公用物の積み込みが不可能となり、一般の船主も積み込みができず大量の雑穀は放置された。貯炭部の石炭労働者多数のストライキで大型船などを動かす燃料石炭も底をついた。こんなことは全国の港では未曾有のことだった。
 官憲の検束の嵐にも負けず、争議団は街頭に出て連日の無届けデモで気勢をあげた。6月23日には石山町の通称キャンデー山に300名が集合。解散を命じる警官隊と300名労働者は大乱闘となり、1人の労働者が手宮錦交番に無理やり連れ込まれたのを見て、仲間を取り戻そうとする300名争議団と応援する1千名市民・労働者は交番に投石するなどした。20名が検束された石山事件である。
 労農党と評議会は争議参加組の主婦大会を開催し、また市民大会をひらき、小学校授業料全廃、市営無料診療所設置、電灯料値下げ、家賃三割値下げ、市営助産院設置等の要求を決議して、各雇用主との闘いと併せて市当局を巻き込む対市闘争も起こした。小学校同盟休校闘争や家族会の行商活動も組織的に大成功させた。2千名の争議団員とその数倍の家族の生活を支える大量な兵糧も全道・全国から続々と寄せられた。北海道の農民組合も全力を挙げて応援した。小樽中の市民たちの多くは心から争議団を支援、同情した。多くの朝鮮人労働者もストライキに参加した。
 組織的、又、よってたかっての大衆闘争としても、30日間に及ぶ持久戦の実に見事なゼネスト争議であった。全道、いな全国への波及を怖れた当局はあわてて労働者側の要求の多くを受け入れ、7月7日ついに勝利的調印で解決した小樽港湾2千百名のゼネストであった。
 (旬報社の「社会・労働運動大年表第1巻」1986年刊では7千人のゼネストとあるが、2千百名の数倍はいるであろう家族も行商闘争や小学校同盟休校闘争など争議団と共に闘っているし、石山事件の時など1千名の市民も交番を取り巻き投石している。また市全域の工場で共に闘った多くの労働者もいたし、市当局と闘った市民も組織されているので7千人は全然おかしくないが、ここでは小樽港湾の争議団2千百名とした。)

2、過酷な労働条件と奮闘する小樽合同労働組合の活動家や組合員たち
 全国の港湾の艀(はしけ)労働者は「沖仲仕」と呼ばれ、過酷な労働条件の下で働かされていた。しかも、北海道の港湾は内地のそれより劣悪な労働条件であった。小樽港湾も同様であった。労働時間は15時間16時間で毎夜1時、2時まで長時間酷使され、食べ物のお米は6分が南京米。おかずは毎日4年も5年も経た粗末なワカメ。封建的親方請負制度のもと親方の下宿屋に寝泊まりさせられ、賃金の中から高い下宿料や布団代もとられ、その上に親方からの二重三重のビンハネにより賃金はわずか80銭か90銭であった。せいぜい月に一日休めればいいという、まともな公休日もなかった。また、もともと全国の港湾には朝鮮人も多く働いていて小樽港にも多数の朝鮮人労働者も働いていた。朝鮮人労働者は朝鮮人倶楽部を組織していた。 

 こういう悲惨な仲間たちに飛び込み、積極的にオルグに入り、ねばり強く団結と組織化を呼び掛け続けていたのが、評議会の小樽合同労働組合の活動家や組合員たちだった。労働農民党支部も後ろ盾となった。争議勃発してからは農民組合も全力で応援した。

3、最初は34名の決起から始まった
 1927年6月5日、小樽乗用艀(はしけ)合資会社の34名労働者が、評議会の小樽合同労働組合の支援を受けて、9か条の要求をだし、8日交渉が決裂した。評議会はその夜稲穂町21番屋において争議真相演説会を開き、34名の闘いは小樽港湾全労働者の共通した問題だとゼネストを呼び掛け、演説会場は気勢をあげる港湾労働者で溢れた。評議会の組合員で組織した「アジプロ隊(アジテーション呼びかけとプロパガンダ宣伝) 」は一斉に小樽港湾中に散って海と陸でアジテーションとビラをもって現場労働者に立ち上がろうと必死に呼びかけた。
 翌9日、小樽乗用艀合資会社の仲間の決起をみて、またアジプロ隊の呼びかけに応えた隣の現場である三井物産の貯炭場の石炭労働者100余名全員がこぞって小樽合同労組に加盟してきた。10日夜、労働農民党支部と小樽合同労組は、各組現場の「代表者会議」をひらき、闘争方針・争議指導・支援対策をたてた。11日、三井物産に要求書を提出した。

4、小樽乗用艀合資会社争議大勝利
 11日、小樽乗用艀合資会社の34名労働者は2時間のストを敢然と闘った。会社は屈服して労働者側の勝利をもって解決した。この勝利の意義と影響は大きかった。

5、山甚争議と雇用主・業界の大巻き返し
 同じ日の11日、山甚と呼ばれた浜名甚五郎が支配する浜名艀(はしけ)現場に争議が波及した。13日、山甚の36名の労働者が賃金が低すぎると金10円の賃上げを要求した。無慈悲にも山甚はすぐに36名全員をクビにしてきた。小樽港湾全資本・雇い主側からの大巻き返しが開始されたのだ。
 小樽港の全雇用主が加入している小樽艀(はしけ)業組合は、
 一、山甚争議は業界全体の共同利害の立場からあくまで山甚を応援する。
 ニ、不穏分子を各現場から一掃する。労働組合に加入している者をすべて馘首(クビに)する。
 三、万一山甚敗北の場合は、企業合同で対抗する。
と決議し、雇用主側の強大な統一戦線で組合攻撃を開始してきたのだ。

6、小樽合同労組、全労働者へ同情ストの指令。小樽港湾労働者次々に呼応 
 小樽合同労組は港湾全労働者に対し同情スト決行を指令した。6月18日、海・陸の沖仲仕470名がこれに呼応しストライキに突入した。翌19日には約千名、20日は更に500名等総数約2千百名の労働者がストライキを決行した。ほとんどの沖仲仕と倉庫労働者が結束した27艀(はしけ)部のゼネストだ。小樽港の石炭、穀物はじめあらゆる荷物の船積、陸揚げ、台車、積み下ろしの作業は全く停止した。
 雇用主は総力をあげてストライキの切り崩しをはかったが、スト破りをして現場に復帰したのは24日の段階でわずか50名ばかりだった。
 
7、代表者会議の設置と統一要求
 小樽合同労組は、6月18日各艀、19日倉庫、20日貯炭場と連続して港内現場代表者会議をひらき、それぞれの現場の声を集め討議し以下の統一要求を決定した。
 要求
 一、規定賃金割引絶対反対!
 一、艀(はしけ)1割戻撤廃!
 一、勤務時間を10時間制に!
 一、公休日の設定!
 一、時間制度確立!
 一、掛船夜間勤務歩増撤廃反対!
 一、水揚高の公表!
 一、時間外労働割増5割!
 一、(石炭部)暴風雨天日は3割増し!
 一、公傷負傷への親方負担!
 一、自由労働者の公傷負傷の保障
 一、倉庫の経費は倉庫主負担
 一、現場供金反対!
 一、救済会促進!
この要求を小樽港湾全労働者に宣伝し、また小樽港湾の全雇用主に提出した。

8、官憲の弾圧
 19日、アジプロ隊員2名が官憲によって検束された。いよいよ小樽署、水上署が総動員した官憲の弾圧が始まった。

9、郵便船も出航できない
 20日、郵便の弘前丸、千才丸などの郵便物や役所の公用物の積み込みにも障害が出始め、船主ら業界に大きな動揺が起きた。

10、石炭夫も決起
 20日、貯炭現場の石炭夫200余名がストに決起し、石炭の積み出しが全く不能となつた。22日には山下貯炭所の150名も一斉にストに入り、海と陸は完全に切断された。

11、再び決起
 21日、幾つかの倉庫では企業主による脅しで、労働者は一度はストを止め仕事についたが、翌朝22日再び闘争にたちあがった。この日海の沖沖仕、陸沖仕、倉庫、石炭労働者の2,233名中1,251名、自由労働者1,500名中700名など港湾の海・陸の労働者総数2千百名が堂々とストライキを続けている。

12、朝鮮人労働者もストに呼応
 22日には石炭現場の多くの朝鮮人労働者も一斉にストに入った。

(続く)
全国を震撼させた小樽港湾ゼネスト(その2) 兄弟よ! 同じ労働者でありながら、どうしておれ達のストライキの邪魔をするのだ!(裏切り者撃滅デー) 1927年の労働争議(読書メモ) 



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