先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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1919年10月の労働争議 その1 (読書メモ・・・大原社研「日本労働年鑑」1920年版)

2021年01月19日 19時07分25秒 | 1919年の労働運動

*「嗚呼労働者奮起の秋は来たのだ」(1919年10月28日のビラ)の弁士欄をみてほしい。金鋼工、小使、機械工、活版工、ブリキ工、人夫、新聞職工、仕上工、車掌、土工、運転手、電工、洋服工、織工、大工、鉄道員・・・、活版工の女性北澤甲子さんの名前も。みんな現場労働者だ。うれしくなる。

*全国各地の工場・職場で、「8時間労働制」要求の闘いが<燎原の火>のごとく勃発・爆発! 
1919年9月の川崎造船所労働者1万5千名の大サボタージュ闘争と8時間制の実現・勝利の影響はたちまち全土の大工場から地域の小さな職場にまでに拡大していった。
日本での労働法は1947年に制定された労働基準法で初めて一日8時間、週48時間(現在は週40時間)労働制が定まったことで、まるで日本の8時間労働制はアメリカや日本政府によって上から与えられたかのような印象を振り撒く人たちがいるし、それまでの日本の工場職場には「8時間労働制」がなかったかのように、また日本には8時間労働制を実現した労働者の闘いがなかったかのように思っている人もいるが、とんでもない間違いです。労働者蔑視、大衆蔑視そのものです。1919年この年の9月後半と10月の幾多の本当に幾多のストライキ、労働争議を見てほしい。それまで12時間、11時間、平均で10時間労働が当たり前の、公休も月1回とか2回とかが当たり前の全国の工場労働者が、まるで燎原の火のごとく、次々と立ち上がり、これでもかこれでもかと「8時間労働制」「12時間を8時間へ」「労働時間の短縮」を要求してストライキに突入し、実際その多くの、実に多くの職場で勝利し、8時間労働制を実現させているのだ。しかもそれら多くの闘いではリーダーがクビになったり、官憲の弾圧で検束されたりの少なくない犠牲者も出している。これは1919年の先輩労働者の本当の話なのだ。1919年ですよ。僕らの日常の8時間労働制はこのような先輩労働者の闘いの結果なのだ。

1919年10月の労働争議 その1
(読書メモ・・・大原社研「日本労働年鑑」1920年版)
1919年10月主な出来事

10.3 神戸製鋼所 8時間労働制移行に伴う賃金改革に反対してストライキ
10.1 明治鉱業、労資協調機関〈信和会〉設立
10.5 ILO労働者代表反対で演説会とデモ(友愛会・信友会など主催)
10.7 全国坑夫組合結成
10.6 三菱造船 9時間労働制実施
10.10 学生。新人会・建設同盟・民人同盟会・扶信会・一新会の学生5団体が青年文化同盟結成
10.10 大杉栄らが「労働運動」創刊
10.10 日本国粋会結成(床次竹二郎内相が侠客連代表者36人と会見を機に)
10.16 警保局〈労働運動偵察ニ関スル件〉、労働運動へのスパイ潜入を指示
10.16 八幡製鉄所に浅原健三らの労働者組織〈日本労友会〉結成
10.26 友愛会日立連合会結成
10.28 京都 高山義三の指導で南桑田郡18か所村800人が小作人大会開催。丹波小作人同盟会へ
10.29 ILO創設

10/1 8時間労働制を要求したが切り崩されて敗北した三菱神戸造船所労働者
三菱神戸造船所労働者は皆で結束して労働者代表委員36名を選出し会社に「①8時間労働制②大幅賃上」を要求。三木所長は「要求は労働者全体の意思とは認めがたい。もし、怠業やストライキに出た場合は工場閉鎖を断行する」と表明し管理職に命じて労働者側委員の切り崩しをはかり、労働者代表委員36名中30名が委員を脱退し裏切った。残された委員6名は嘆願書を渡そうと必死に会社に食い下がり訴えたが、会社は嘆願書すら受け取らなかった。会社は6日、9名の労働者代表委員の辞職を勧告し、ついに強硬説を唱えた委員の福永、高橋、その他数名をクビにしてきた。労働者側の結束は全く崩れ、無条件降伏・自然消滅させられた。友愛会兵庫支部は付近で抗議の大演説会を開いた。11月になって鈴木文治氏と三木所長が面会して諒解が成立したという。

10/1 神戸市営電気局労働者の勝利
1日神戸市営電気局労働者1000名中の160余名は「現在の10時間労働を8時間制に。本俸7割増と残業代値上げなど」を決議し7日に要求した。当初当局は「要求過大なり」と却下してきたが、労働者は陳情演説会を開催するなど闘争は全局に拡大し、また、一般社会の労働者への同情も高まり、ついに市長は25日「7割増給は過当とは思わないが、近々昇給するか賞与を増額するなどの方法を実施する」と声明を出したので解決した。

10月はじめ 小樽ガス会社100余名の勝利
北海道瓦斯会社(小樽)の労働者100余名は賃上げを要求して、会社から賃上げ回答を得て争議は円満に解決した。

10月はじめ 高野山の車夫、自動車導入反対運動
紀伊高野山の駕夫、車夫、後押しの1500名は高野山での自動車導入の計画に対して、不許可にするように警察部長に陳情嘆願した。「家族5千人の死活問題だ」と自動車発起人らの各自宅にまで抗議行動を開始した。労働者は労働者協会を組織し募金活動に奔走した。

10月はじめ 神奈川小田原紡績労働者の争議
神奈川小田原細田紡績株式会社で賃上げをめぐって争議になったが10日円満に解決した。

10月はじめ 労働者代表選出運動で憎まれてクビ
東京凸版印刷会社は事業縮小を理由に7名の労働者をクビにしてきた。労働者30余名は大いに憤慨し怠業闘争を始めた。会社のクビの本当の理由は、「労働者代表選出協議会」において、選挙に関する労働者側の熱心な主張や運動の中心人物を非常に憎んだ結果だという。

10/1 200名ストライキを決議
東京本所両国の日本電燈株式会社200名賃上げを迫り、一度は会社の賃上げ回答に感激し礼状まで出す者までいたが、実際は歩合を減らし、電燈取付を5軒とされるなど労働者側大いに驚き、あくまで要求が受け入れられない時はストライキを決行すると決議した。

10月はじめ 製粉労働者8時間制要求し勝利
福岡県大里町、大里製粉労働者は「8時間労働制の実施、賃上げ」を要求して怠業をはじめた。会社は8時間制と賃上げを実行した。

10/2 大阪汽車製造会社労働者2000名の決起
2日大阪市西区島屋町汽車製造会社労働者2000名は協議し、会社に「8時間労働制実施に伴い収入が減る事を以って賃上げ6割増」を要求した。3日朝会社に賃上げの意思がない事がわかった労働者は怠業闘争を主張しはじめ工場の空気は一変した。あわてた会社が賃上げの意があることを声明したが、労働者側は翌日4日から怠業をはじめた。
同工場内には二つの労働組合、大阪鉄工組合(約800名)と友愛会系の「汽車会社作業手組合」(1200名)があり、賃上げ要求でも鉄工組合側は2割増要求、作業手組合側は6割増要求など違っていたが、怠業闘争は共にやっていた。6日午後一定の賃上げで労資合意し7日より就業することとなって解決した。

10/2 8時間制と賃上げを要求して1200名が決起
大阪川北電気企業会社今福工場1200名は「10時間労働を8時間制へ、手当金の値上げ」を要求し、会社は6日の回答を約束したが、6日朝会社からの回答が無かったため、半数の労働者は怠業闘争に入った。間もなく、工場長から「要求を全部受け入れる」の回答が発表されたので、争議は一旦は解決したかに見えたが、会社は争議解決と同時に91名をクビにしてきたので、再び争議がおきた。結局10日から30日分の手当てをあらたに支給することでようやく解決し、7日より全労働者は就業した。

10/2 「8時間制の実施、賃金6割の値上げ、米代の支給、日曜日を公休にして、かつ公休日の日給を支払う事」!
大阪市外今宮田中電機製作所200名は、川崎造船所の8時間労働制実施後阪神地方において時間短縮と賃上げを行う工場が増える事を受けて、協議を続けてきたが、2日「8時間制の実施、賃金6割の値上げ、米代の支給、日曜日を公休にして、かつ公休日の日給を支払う事」等を会社側に要求した。会社は「8時間制は11月1日より実施する。賃上は従来よりわが社は他社より優遇しているので要求には応じがたい」と回答した。すでにサボタージュ闘争に入っていた労働者側は3日朝ついにストライキに突入し、職工大会を開催し委員5名を選出し、争議の交渉を一任した。しかし、4日午後、労働者はあくまで闘う「硬派」側と多少の額で折り合いをつける「軟派」側に分裂し、激論のすえ格闘とまでなったが、ついに「硬派」側の敗北となり、賃上げ要求の6割値上げを1割5分に引き下げ会社と交渉することを決めた。会社は応諾し4日午後10時に解決した。

官憲は労働者側に尾行巡査など多数を入り込ませ干渉を続けた。大阪府警察部特別高等課長は「8時間労働制問題は大勢上やむを得ないもので、これに対して警察が干渉するとか、圧迫を加えるとかはあるはずがない。しかし、公安に害を及ぼすことがあった場合、あるいは両者の態度が互いに強硬で妥協点が見いだせない場合は、両者の意見を聞いて調停をする事はあるかもしれない。」と言う。

10/2 8時間制を求める700名のサボタージュ闘争
大阪電燈株式会社700名は委員15名を選び「8時間制と本給5割増、請負手当の値上げ」等を要求し、同時に全員でサボタージュ闘争に入った。会社は「8時間制を6日より実施。本給の3割増。奨励金制度の実施」を回答し、7日より就業した。

10/2 指物労働者20名ストライキ
宮崎県宮崎町指物職工20名は各雇用主に対して日給の値上げを要求したが、各雇用主が全く協議もせずに拒絶してきたため、すぐにストライキに入った。妥協は困難な情勢である。

10/2 瓦製造労働者ストライキ
大阪市外内の瓦製造職人は労賃値上げを瓦組合及び問屋側に要求したが、交渉の進展がないためストライキに入った。8日1割5分値上げで解決した。

10/2 炭坑250名のストライキ
福岡県諏訪炭坑250名は「時間短縮、賃上、疾病者への扶助規定改正」などを要求して、代表委員3名を選び会社と交渉した。3日目にはストライキに入ったが、会社側が「労働者側の要求を容れ、責任をもって労働者の満足するように努力する」と回答したため、4日に解決した。 

10/3 手ぬぐい製造労働者ストライキ
大阪市手拭製造組合の労働者約100名は問屋と組合に賃上げを要求していたが、6日よりストライキに入った。

10/3 満州熔こう炉労働者ストライキ
3日満州本鶏湖媒鉄公司熔こう炉労働者が賃金5割増を要求してストライキを行った。午後6時に会社から「2割増などの賃上げ」回答があり解決した。

10/3 神戸製鋼所の3300名の暴動・サボ・ストと敗北
神戸製鋼所は3日、10月11日より8時間労働制を実施することとそれに伴う賃金や残業代の改正を発表したが、収入の減額に労働者は著しく失望・憤激し、さらに闘う決意に変わり、その夜の夜勤中の労働者は工場内で示威行動をはじめた。一団となって歓声を挙げながらスイッチを切り、暗闇に乗じて工場事務所に瓦などを投げ込み、ガラス窓や羽目板を叩き壊す暴動となった。官憲が鎮圧に動員され労働者9名を検束し鎮圧した。会社側は各役員が労働者側の切り崩しを始めたが、らちが明かず4日となった。サボタージュ闘争はたちまち全工場に波及したがこの日は昨日のような暴動にはならずサボタージュは整然と闘われた。また労働者側はあくまで「真実の8時間制による賃金増加」と「傷病者の救済・食堂その他の衛生設備の完備・朝夕の準備時間・退場のさいの身体検査の改善・職工組合の承認」などの請願書を作製し、6日会社に提出した。会社三木支配人は「職工の収入減額は断じてない。賃上げ以外の要望には喜んで応じる。あくまで賃上げを要求しつづけるのであれば、工場の閉鎖もある」と回答した。7日3300名は突然工場をぬけだし、青谷遊園と付近の寺院に集合した。会社は20数名をクビにしてきた。怒った労働者は全員の総辞職を決めたが、会社は8日朝になって皆勤者への賞与を発表した。労働者側の結束が崩れた。一部の労働者はストライキを続け辞表も提出したが、9日にはほとんどの労働者が出勤し就業した。争議は労働者側の敗北をもって幕を閉じた。

10/3 60余名サボタージュ闘争で勝利
3日、日本毛織物会社加古川工場修繕部60余名はサボタージュ闘争を実行した。4日、煮え切らない会社の態度に怒った一同は辞表を提出した。あわてた会社は直ちに労働者の要求を受け入れると回答したため、一同はバンザイを唱えて退出した。

10/4 船員のストライキ
横浜で建造した米国船イースタンガイド号が米国に引き渡すべき出帆を準備していたが、船長が一人の船員をクビにしたことで他の船員全員がクビにされた同僚に同情し、船長に怒り、全員上陸してストライキに入った。船長はおおいにあわてている。

10/4 造船所800名の闘い
大阪新田造船所の800名労働者は賃上げ5割増を要求し、4日サボタージュ闘争に入った。5日は多数の欠勤者がでるストライキとなった。

10/4 鬨(とき)の声をあげて1000名大阪砲兵工廠労働者サボタージュ闘争に決起
大阪砲兵工廠労働者で「今までの10時間から12時間労働時間を8時間にして、残業代を値上げしてほしい」の声が強まり、ついに4日、火砲部約1000名が工場内で<鬨の声>をあげてサボタージュ闘争に突入した。たちまち、機械工場、弾丸に拡大しついには全工場に及んだ。6日賃金率の増額回答があり、労働者はみな満足して作業についた。
なお10月13日大阪憲兵隊は2名の労働者を召喚し取調べた。

10/4 水力電気労働者8時間制の要求
宇治川水力電気の各変電所と閉鎖所の電工70余名は中の島公園に集合して「8時間労働制実施、賃上げ」その他の要求を決めた。8日一部停電はあったが、会社からの一定の賃上げ回答を受け入れ解決した

10/4 8時間労働制を求める煙草専売労働者の声、高まる
大阪煙草専売支局2500名の職場で「8時間労働制実行と賃上げ」の声がますます高まっている。

10/5 310名8時間制を要求してストライキ
横浜市横浜電気工業会社の労働者が結束して「10時間勤務を8時間に短縮、賃金5割増」を要求し、6日女性労働者160名男性労働者150名がストライキを行った。

10/5 大阪瓦斯会社の工場300名の決起
大阪瓦斯会社の工場300名は委員15名を選び「賃上げ、月2回の公休日に日給を支給、職工団体の承認、公傷時の全額補償、臨時労働者への相当の賃上げ、工場内の衛生設備の完備」の嘆願書を提出した。同時に要求実現のためにサボタージュをはじめた。

10/5 南海鉄道天下茶屋車庫200余名「8時間制採用」を要求
大阪南海鉄道会社天下茶屋車庫200余名は「8時間制採用、賃金6割増」などを要求した。9日会社の5割増給回答で解決した。

10/5 「8時間制実施、賃金5割増、疾病休業者救済金の支給」の3要求
徳島川田山鉱山100余名は「8時間制実施、賃金5割増、疾病休業者救済金の支給」の3要求を決め、6日会社に提出した。

10/5 大阪精工社40名のストライキ
大阪精工社約40名は4割増給を要求したが拒否されたため、ストライキを行った。7日妥結した。

10/5 愛媛県今治松本鉄工所労働者は3割増の賃上げでストライキを行った。2割6分増で解決した。

10/5 三井物産玉造造船所2350余名が一斉にストライキ
岡山県三井物産玉造造船所2350余名が一斉にストライキをして各地で会合を開き話し合った。会社は10月6日より8時間制の実施とそれに伴う賃金改正を発表したが、これは事実上労働者側に不利になるものであったからである。6日、労働者側は「日給の8割増」等の要求をして同時にサボタージュに入った。7日ストライキになり、11日に至っても一人の就業者は出なかった。12日県保安課長県工場監督官補が調停に入り、「時間改正、2割5分増、米低価格販売復活」にて解決した。しかし、その後会社はストライキ中の賃金は支払わないとしたので再び騒ぎが起きた。警察が仲裁として今回に限り支払うの約束ができた。

10月はじめ 藤永田造船所約200名が3割増を要求した。要求貫徹のため7日よりサボタージュを断行しようと協議したが、会社の本給1割増の回答もあり解決した。

10/6 宇都宮専売局男女約600名は増給運動に参加した。

10/6 東洋紡績で同志組合を結成
大阪西区の東洋紡績株式会社四貫島工場の労働者は「労働時間10時間制へ時間短縮、賃金5割増」を要求した。
同会社の労働者は同志組合を結成して互いに以下の誓約をした。「運動費として各自日給の一日分を提出する、基本金として毎月日給の5分を積み立てる、犠牲者(解雇?逮捕?)を出した場合の支援金とする、組合の利益に反する行為ある者は総会の決議により社会的制裁を加える」。10月7日には同会社三軒家工場の労働者も同じ要求をした。他の17工場への波及も心配した会社は21日、男工に日給3割増、女工には1割5分から2割の増給と11月1日より傷病手当を付けると発表し解決した。

10/6 安治川発電所の労働者350名8時間制を要求
大阪電燈安治川発電所の労働者350名は早朝突然5名の委員をあげて「8時間制の実施、日給5割増」を要求した。会社は6日より8時間制を実施し、賃金は3割増となつた。

10/6 春日出発電所労働者も8時間制を要求
大阪電燈安治川発電所の労働者が待遇改善を求めたので、同社春日出発電所労働者一同も「8時間制の実施、日給5割増」を会社側に要求した。8時間制は6日より実行された。賃金は3割増と決まった。

10/6 大日本紡績福島分工場男女労働者3000余名8時間制の要求
大阪大日本紡績福島分工場男女労働者3000余名は「8時間制実施、賃金5割増」などを要求した。なおこれに先立って同会社木津川分工場において同一の要求がなされ20日に至って同分工場男工600名、女工2700名全員に1割から3割の値上をして解決した。

10/6 朝鮮総督府印刷所労働者の決起
朝鮮総督府印刷所労働者全員が結束して「従来の11時間労働を9時間にあらためることと賃金5割増」を要求した。

10/6 東洋燐寸会社200余名が賃上げと労働時間短縮を要求し決起
神戸東洋燐寸会社200余名が「賃上げと労働時間短縮」を要求してサボタージュを行った。労働者は午後に入るや三々五々工場を抜け出し、港川公園に集結しストライキを決議した。13日とは全員が出勤しなかったため、全労働者3000余名全員のストライキとなったが、会社側が強硬なため、14日は下澤、中道、大開の3工場のストライキの一部に裏切り者がでて復業する者も出てきた。

10/6 駄鼻緒職人約300余名のストライキ計画
名古屋市内下駄鼻緒職人約300余名が2割増の賃金値上げを問屋側に要求したが、問屋側の回答に不服として11日午後1時から4時まで集合した。12日より断然ストライキを行う事としたが、結局1割5分の値上で解決した。

10/6 紡績工場女工約2500名、男工約900名、12時間労働に怒り一斉に作業を中止し屋外に飛び出し決起
大阪合同紡績会社天満工場女工約2500名、男工約900名は、朝9時15分の休憩時間に一斉に作業を中止して屋外に飛び出し、サボタージュの行動に出た。従来12時間労働のところ、会社は世間に「10時間労働制の採用や夜勤撤廃」を公表していたのに、実際は会社は「職工は10時間労働に満足して働いている」などと公言しながら、依然12時間制を強制し更に改める様子もないことに全労働者は憤激のあまり「世間に公表した通りに実行しろ。もし12時間労働なら残業代を支払え」と会社側に迫ったのである。これに対して会社側は「とにかく要求通りにするから、就業してくれ」と懇願したので、女工側は工場には入ったが、男工は復業せずと、あくまで「10時間制と女工3割、男工5割増給」を要求し強硬な姿勢を維持した。6日、7日と全員サボタージュは依然として維持された。工場側は大体労働者側の要求を承認する方針を示したため解決した。

10/6 ブラシ製造労働者のストライキ
大阪ブラシ製造業林工場約60名は賃金3割増を要求し、7日からストライキを行い、9日1割から3割の増額で解決した。

10/6 サボタージユ闘争のリーダー7名をクビ
大阪帝国製麻工場労働者は「8時間制、労賃値上げ」を要求し7日サボタージュを行った。会社は労働者側リーダー7名をクビにし、一方で賃上げを回答した。労働者側は7名の復職を要求したが受け入れられなかった。

10/7 労働者代表3名をクビ
堺大日本セルロイド労働者300余名は「8時間労働制、賃金3割増、残業時間は最長2時間まで」等を要求した。8日会社は、「要求は全労働者の意思ではない」として受け取らず、直ちに労働者代表者3名をクビにしてきた。労働者300余名は辞表提出を決議し、9日朝大和川堤防に集合した。堺警察は厳重な警戒で圧力を加えた。11日労働者の結束が崩れ、大多数は職場に戻ったので無条件解決し会社一任となった。会社は10月末にいたり、「労働時間10時間30分、工賃の値上」を11月から行うと発表した。

10/7 室蘭日本製鋼所の8時間制を要求する大ストライキ
室蘭日本製鋼所の8時間制要求の大ストライキ
室蘭日本製鋼所第一、第二機械工場1600余名が突然ストライキに突入した。要求は「勤務9時間を8時間に、給料の7割増と手当増」等。8日の会社の低額回答に怒った労働者側は会社は誠意なしとし、第七工場は直ちに工場を退出し、ほとんどの工場も出勤者はいなくなった。10日は警官も登場して鎮圧しようとした、12日にも機械工場全部が固く結束しているため作業は全くできない。16日1400余名が辞表を提出したので驚いた会社は17日「賃金2割5分増」を発表したので、18日には4千名が出勤した。19日全面解決した。

10/7 播磨造船所の大暴動
7日兵庫県播磨造船所の約7千人中約900名は「賃金の7割増給、戦時手当の支給、米の低額供給」などを要求しサボタージュ闘争に入った。11日会社の回答に怒った労働者は役付け職工室に押しかけ乱暴をし、投石をするなどを行った。12日朝、スト破りをして就労している他の工場に投石をするので9時から工場は全面休業となった。これは地元の新聞に「播磨造船所の暴動」と大きく報道された。会社側は侠客某に争議の鎮圧を依頼しその一味数十名が登場したため、労働者側は怒り態度をますます硬化させ、ついに争議は全工場に及んだ。友愛会播磨支部が13日仲裁を申し込んだが会社から拒絶された。13日労働者は隊列を組むデモで会社事務所に示威行動を行い、14日は多数の労働者が桟橋のそこかしこに現れては喚声をあげるなど物々しい有様であったが警察は力で鎮圧した。

10/7 大森工場3100余名の決起
東京瓦斯大森工場3100余名は「会社の発表した8時間制実施に異議なし、しかし3割増の賃上げを」等を要求した。8日午後2600名は一斉に工場から退出した。9日「同盟罷業労働者大会」を開催し12名の代表委員を選出した。会社は強硬に労働者の要求を拒絶し続け、職制を使ってストライキの切り崩しに奔走した。11日、会社は「要求は全部拒絶する。13日午前7時までに出勤しない者は全員クビにする」と申し渡したので委員は大変怒った。12日新たに200名がストライキに参加してきた。委員の中に裏切り者が出て「社長信任説」を説く者が現れ、14日約800名が一団となり、会社に復職を申し入れるスト破りを行った。闘う労働者はこの裏切りに大いに驚き全力で熱心に宣伝を開始し裏切り者の反省を求めたため、形勢が逆転した。15日朝からは森劇場に2500名のスト参加者が結集し大演説会を開いた。ここに至り、町長や議員が調停に立ち、松方社長に面会し、結果17日午後1時にストライキ労働者は町長を先頭に工場に戻り就業を開始し、しばらく形勢を見ることとした。しかし、11月になっても会社側になんらの改善の動きがみられないばかりか、約束に反して労働者委員らをクビにしはじめたので再び職場での不満怒りが湧き出ている。

10/7 70名連署して抗議の辞表
若松日華製油工場労働者120名は賃金4割増を要求した。7日からサボタージュ闘争を開始した。8日約70名は連署して抗議の辞表を提出しストライキに入ったが裏切って復職をする労働者も出てきた。会社は「不良分子を淘汰した」と言っている。
若松日華製油工場120名は賃金4割増を要求した。7日からサボタージユを開始した。8日約70名は連署して抗議の辞表を提出しストライキに入ったが裏切って復職をする労働者も出てきた。会社は「不良分子を淘汰した」と言っている。

10/7 鉄道労働者「賃上げと役員排斥」で決起
大阪南海鉄道電車乗務員約100名は「6割増給など待遇改善と小橋取締役和補排斥」を決議した。犠牲者が出た場合は連結で辞職することも決めた。会社は「5割増給」を決定した。

10/7 電柱の一枚のビラで大騒ぎ
兵庫県大阪合同紡績分工場付近の電柱に『8時間労働制要求、給金7割増に一ヶ月の公休日を6日とすること、男女一同はこの運動をなすために紡績浴場前に集合せよ!』のビラが貼ってあり、会社は大いに驚き警察に知らせると共に「賃金4割増」を発表する一方でビラの首謀者だとして21名の労働者をクビにしてきた。それに対して3400名の男女労働者は大いに憤慨し騒ぎがますます大きくなったので、あわてた会社は解雇労働者を復職させるとともに公休6日制の採用も発表し事態は一時的に収まったかのようにみえるが、労働者の賃金と時間短縮への強い要求は高まるばかりで警察も厳重に警戒している。

10/7 大阪東洋紡績争議に呼応して立ち上がる
大阪東洋紡績三軒家工場労働者は、10月6日の同会社四貫島工場労働者の決起に呼応し、同一の要求「労働時間10時間制と賃金5割増」を要求した。21日四貫島工場と同様な「男工に日給3割増、女工には1割5分から2割の増給と11月1日より傷病手当を付ける」で解決をした。

10/7 夜勤作業中に賃金値上げ要求の討論
大阪化学肥料会社の労働者は7日の夜勤の作業中に賃金値上げ要求の討論をはじめ、8日の朝、会社に迫った。

10/7 室蘭日本製鉄所労働争議で、隣りの工場労働者も待遇改善に声を挙げる
室蘭日本製鉄所の労働争議がますます激しくなる中、隣接する輪四製鉄所でも労働者の待遇改善への怒りの声が高まり、会社は12日頃1割から2割の賃上げを決めた。

10/7 靴職人のストライキ
鹿児島市内31軒の靴職人の約60名は8日より突然賃金値上げを要求してストライキを行った。

10/7 港ドック労働者の決起
横浜船渠(せんきょ、ドック)会社の全労働者が「8時間制、賃金の3割増給、手当5割増給、白米の低額支給」を要求した。

10/7 清掃労働者のストライキ
東京本所区内の掃除労働者100余名が賃金の「賃金の倍額」を要求してストライキを行った。

10/8~ 大阪市電の車掌と運転手の大ストライキ
9月上旬、大阪市電天王寺車庫詰めの車掌と運転手は賃上げを叫び、十組ある組合会で「賃金3割増給、6か月皆勤者に1週間の休暇を与えよ、毎月6回ある14時間以上ある勤務を全廃せよ」を決議した。10月3日当局は一定額の増給を発表したが、その中身は年功者のみ優遇していると逆に一般薄給者の不満は高まった。8日上本町車庫の労働者は3名の委員を選び、9日に「4割増給、長時間労働の廃止、乗車時間7時間半を6時間半に短縮すること、満6か月勤務者に一週間の慰労休暇を与えること、期末手当は日給の一ヶ月分を支給すること、現在の労働時間の計算の仕方は準備の時間や車庫にいて待機している時間が除外されている。労働者にとっては甚だ不利だ」との嘆願書を当局に提出すると同時に一部労働者はサボータージュ闘争に入った。12日夜、上本町、梅田、天王寺、九条の各車庫の労働者は13日朝より一斉にストライキに突入することを決っした。13日上本町車庫では午前4時半一人の出勤者もなく、天王寺、九条も350名労働者のうち5・60名しか出勤しなかった。労働者側は朝から各車庫付近でピケッティングを行い、又,戸別訪問でストライキ参加を呼びかけた。警官は警戒とスパイやらで八方に飛んだ。ストライキ参加者は全く姿を消して警官から逃れた。天王寺は6時半には全く運転を止め8時半に至るも雨の停車場では電車を待つ多くの群衆が滞留していた。天王寺車庫内で400数十名が大会を開いた。そこに特高課長や本願寺の布教師で日ごろ職場で精神訓話をしている加藤某や様々な人が切り崩しの説得に来た。

梅田車庫では360名の労働者に同車庫主任は「本日の出勤者に限り一円を与える」と発表し、梅田車庫は終日就業した。
九条車庫は、朝4時半の初動は平常通り動いたが、上本町組のストライキ労働者が駆けつけ『われらの要求は明白に拒絶させられた。われらの平和のため最後の行動にでる。九条車庫の諸君ふるって同意せよ』の宣言文をあちこちに貼り、出車しようとする者にストライキの参加を呼び掛けたため、午後になると形勢は一変し午後3時にはついにみなストライキに参加した。14日は大部分が平常運転に戻った。15日当局は「特別手当日額金25銭を支給、半期賞与は今回から日額一ヶ月分を支給」などを回答し労働者側も納得した。

今回のストライキの裏には、各車庫の主任やその他の首脳部に対する不信、反感もあることも明らかになったため、今回のストライキ問題の責任者として、秋田運輸係長と小幡上本町車庫主任は辞職させられた。大阪市は今後の待遇改善事業として「5千坪の敷地に労働者向け住宅の建設、各車庫に診療所も置く」を決定した。

10/8 「軟派」(動揺分子)は相次いでスト破り
大阪合同紡績今宮工場男工120名は賃金5割増を要求し、9日約90名がストライキに入り、共に工場を退場して天王寺公園に集結した。会社はあくまで労働者の要求を拒絶し続けたため、「軟派」(動揺分子)は相次いでスト破りをして職場に戻った。「硬派」(スト決行組)はなおストライキを続けたが、10日朝その内16名は辞表を提出した。会社は直ちにこの辞表を受領し、他のストライキ参加者は無条件にて出勤した。その後会社は2割から4割の賃上げを発表したという。

10/8 「12時間1日2交替を三交替制度へ」要求決起と敗北
大分県、馬上金鉱機械部66名が「現在12時間1日2交替を一昼夜を三交替制度に変更することと賃上げ」を要求してストライキを行った。会社は工場閉鎖で応え、また、大分鉄工所から30名のスト破りを臨時雇用し仕事を続けた。10日会社の切り崩しで60名は無条件で職場に戻り、6名はクビになった。

10/8 抗議の同盟辞表の敗北
大阪城東製作所約100名は賃上げ6割を要求したが、会社が経営難を理由に頑として応じなかったため、10日同盟して辞表を提出した。会社はこれを承認して解職を通知し、一方で職制を使い労働者の自宅を訪問して復職を勧めたため、大半が復社したため12日解決した。

10/8 労働者集会にあわてた会社の賃上げ
京阪電鉄100余名が労働者集会を催すと聞いた会社は、現在5割の手当てに更に3割を増すことを決め労働者に伝えたので
何事も起こらなかった。

10/8 8時間制勝ち取る
門司、神戸製鋼所門司伸銅工場約800名は「8時間制」を要求していたが、ついに10月21日より神戸本社と同じ制度を実施することとなった。2時間残業原則の8時間制である。

10/9 100名全員抗議の辞職、会社全員解雇
大阪市東亜鉄工所約100名は、9日午後6時より賃上げ5割を要求してストライキに入った。10日労働者側は全員抗議の辞表を提出。会社は100名に給料を払って全員解雇した。

10/9 「従来の11時間労働を8時間制に」と380余名ストライキ
尼ヶ崎、大日本木管製造工場380余名は、「従来の11時間労働を8時間制にあらため、賃金5割の値上」を要求した。会社は「9時間制と賃金5分増」で回答し、一方で労働者側リーダー3名をクビにしてきた。11日朝からストライキに突入し、労働者は本興寺裏手に集合した。警察が介入してきて労働者3名が検束された。頑なな会社の態度に抗議して約90名が連結辞職を出し会社も承認した。残った労働者は生活窮の中、続々と無条件で工場に戻ってきた。

10/9 83名時間短縮と賃金値上を求めてストライキ
大阪戸田紡績所83名は、「時間短縮と賃金値上」を求めてストライキを行った。10日午後会社の賃上げ回答を受けて解決した。

10/9 会社閉鎖で突然の解雇とその撤回
9日の夜函館堤製鉄所はなんらの予告もないまま突然会社閉鎖を理由に男工18名女工6名を解雇してきた。友愛会函館支部が会社と交渉したが要領が得なかった。世間の会社非難も強まった。その後の友愛会支部の調停により賃金の9割から11割増給が決まり、11月2日より全員出勤した。

10/9 松山市伊予鉄道会社車両部員は賃金5割増を要求した。

10/10頃 漆器会社300名の女性労働者ストライキ
和歌山県黒江漆器会社300名の女性労働者工賃3割増を要求したが拒絶されたので13日からストライキに突入した。会社は16日に至って2割値上げで妥結を提案したが、約50名の女性労働者はこれに応じなかった。

10/10 鉄工所30名ストライキ
大阪市国友鉄工所の労働者約70名の内約30名がストライキをした。3割増給の賃上げを拒絶されたからである。会社は30名をクビにしてきた。しかし、30名は強硬に闘っている。

10月10日頃より、函館ドック150名、「8時間制と賃上げ」勝ち取る
函館船渠(せんきょ、ドック)会社150余名は時間短縮と賃上げを要求した。会社は中々応じる気配はなく、ひと騒ぎは免れない状況だったが、13日会社は「26日より8時間制を実行と賃上げ」を回答したため解決した。

10/10 嵐山電車労働者、結束・決起
京都嵐山電車労働者が結束して「俸給10割増、賞与を6円に、制服支給はあるが靴の支給がない年2回は支給されたし」と要求した。会社からの返答がなかったため、労働者は集合協議した。その後会社から3割増給の回答があり解決した。

10/10 伏見丸火夫のサボタージュ
横浜を出港した船、伏見丸はその後数日して火夫がサボタージュに入った。14日労資の代表が面会し15日より平常に戻った。

10/10 7印刷所印刷工一斉ストライキ
福岡県嘉穂郡の飯塚、大隈、穂波、熊田、雄井の5町村の7印刷所の印刷工約30名が結束してストライキを行った。「従来の公休月1回を月2回に、賃上げ」が要求である。11日に「増給、ただし公休は従前通り月1回」で妥結し12日から就業した。

10/10 松山市、新聞社の愛媛新報社員と現場労働者は賃上げを要求した。

10月に入り 官立八幡製鉄所の争議
福岡県官立八幡製鉄所労働者が、「8時間労働制と賃上げ」を要求して騒ぎだした。10月11日、ロール旋盤工場がまず結束して「8時間制、5割から8割の増給、その他」を要求し、夜9時に公園に集合し、各工場との共闘に向け動き出した。13日には各工場、各分工場の約1400名が連署して「8時間制、徹夜残業原則撤廃、賃金7割増給、日曜祭日は公休に、住宅手当の支給、その他」等を要求をした。労働者側は争議に備え、万一犠牲者が出た場合の積立金を集めるなどした。20日には、前田第二煉瓦工場の女性労働者百数十名が協議をはじめサボタージュ闘争に突入した。11月1日13か所工場2500余名がさらに要求書「8時間制、8割増給、住宅手当支給、夜勤特別手当支給」を提出した。
これと同時に、同製鉄所内の職工人夫供給所会社(現在の派遣会社)に属する労働者一同は、職工人夫供給所会社の4つの組に対して賃金値上げの嘆願書を提出した。

10/11 福井市の靴職工ストライキ、北陸各市の仲間との連携に奔走
福井市内の靴職工は連携して工賃の2割から3割増給を要求しストライキを行う一方で、北陸各市の同業の靴職工との連携に奔走している。

10/11 東京汽車製造会社の労働者8時間制要求
東京本所の汽車製造会社の労働者は11日、鶴見花月園に集合し12日会社に「8時間制その他」を要求したが、14日に会社は現在の11時間制を9時間制に改め、賃上げもすると回答したので解決した。

10/11頃 大阪造幣局百余名は工賃5割増の要求を提出した。

10/11頃 越中中越鉄道労働者の賃上げ要求
富山県中越鉄道労働者一同は最近組織した「同志会」を先頭に会社に賃上げを要求した。ストライキの兆候もある。

10/11 花筵(えん、むしろ)職工のストライキ
香川県三本松花筵(えん、むしろ)職工は「労働時間短縮と賃上げ」を要求してストライキを行い、交渉を続けている。

10/12 若松市の栃木造船所400余名のストライキ
九州若松市の栃木造船所400余名は、11月1日より賃金改善を要求した。会社は「近日必ずなんとかするからそれまで待ってくれ」と希望したので労働者側も了解して平常通り就業した。しかし、その後の会社の態度が明らかでなかったので約70名の労働者は19日午後7時頃付近の空地に集結し協議した。20日の出勤者はわずか60名であり、この60名も職場でサボタージュをした。残りの労働者340名はストライキを行った。当初会社は「要求には応じられないので不服の者は退職せよ」と答えたが、その後「他の会社に劣らないだけの賃金を支給する」と約束したので21日より全労働者は仕事に戻った。11月1日会社の賃金2割増を実行し他の要求は拒絶してきた。

10/12 「請負」のピンハネに抗議
大阪電燈修理工約60名の代表者8名は重役宅に行き賃金値上げを要求した。しかし、同修理工場は「主任の請負」制になっていて、主任が会社から払われた金はすでに増額されているのに修理工には渡っていなかったのである。

10/12 労働者の賃金値上げの騒ぎと賃上げ発表
大阪天満織物株式会社は、男性労働者400名、女性労働者1250名の全員に10月26日より5割増給する、通勤者には住宅補助手当を支給すると発表した。数日前から労働者に増給要求をしようと大きな騒ぎになっていたのである。

10/12 長崎電気鉄道全労働者ストライキ
長崎電気軌道株式会社の全労働者が賃金3割増給を要求しサボタージュをはじめた。18日は全面ストライキを行い、ただ新入社員だけが仕事についたが、こちらもサボタージュ状態。労働者は生活苦を訴えて立ち上がったのである。会社はストライキの切り崩しを計り、車掌・運転手側に動揺が始まった。会社はストライキのリーダー5名をクビにして、一方全員には幾らかな増給をすると発表したが、スト破りは一向に少なかった。

10/13 朝鮮兼二浦三菱製鉄所400名「8時間制」ストライキ
朝鮮兼二浦三菱製鉄所の労働者400名は「従来の12時間労働制を8時間制へ、賃上げ5割増、公休日を月2回とすること、年一回の賞与を社員と同じ年2回とすること、朝鮮人中国人の家族への支給は日本人と同じ物を支給すること、その他」等を要求して拒絶され14日より一部はサボタージュ、一部はストライキに突入した。会社は甚だ強硬姿勢で「複業希望者は15日まで申し出よ。来ないものは全員解雇にする」と掲示したので、「軟派」と言われていた日本人41名、朝鮮人10名、中国人33名はスト破りをして裏切った。約300名の労働者はあくまで闘いつづけたが、仲裁者が現れ「歩合増5割、生産賞与増と今回の争議責任者の解雇はしない」と約束したので全員職場に戻って解決した。

10/13 芝浦製作所3000名労働者の不満のサボタージュ
芝浦製作所3000名は、工場のあちらこちらに集結してサボタージュをはじめた。最近の8時間制実施に伴う収入削減と労働者が大正4年より積立ていた16万1千円の分配について会社と以前からもめていたからである。

10/13 60名全員をクビ
大阪毛瓦斯紡績会社60名は紡績部労働者と連携し「8時間制と賃金増額」を要求したが、会社は同夜その60名全員をクビにしてきたので、紡績部労働者は大きな騒ぎとなり、サボタージュ状態となった。15日は休業であったが、騒ぎは収まらなかった。

10/14 製糸場男女200余名ストライキ
滋賀県木之本町山十組製糸場男女200余名は、本年9月分の給料を10月21日までに支払うこと、月々の給料は翌月21日までに支払うこと、幾分かの賃上げ」を要求したが、会社が拒絶してきたので、ただちにストライキに入った。県の工場監督官補と木之本警察署長が調停に乗り出し、深夜になり会社が労働者の要求全部を承認し、解決した。全労働者は15日早朝より就業した。

10/14 大阪市電のストライキに続き京都市電労働者も要求提出
大阪市電のストライキに続き京都市電労働者、非番の労働者約50余名が宿舎で話し合いを行った。15日、壬生車庫の約100名に勤務2時間延長(計17時間労働)が命じられたことに怒った労働者に次々に憤然と退出するものが続出した。翌日も職場では各所で労働者がたむろし協議するなど騒ぎは大きくなった。
会社は「現在の平均11時間労働を9時間にあらためる。監督と車掌・運転手に一ヶ月につき日給の10日分以上の増給」等を世間に発表し、21日より9時間制を実施した。しかし、現場では人員補充ができるまで11時間勤務として、しかも残業代もなかったため労働者は怒り、あらたに「新聞紙上でにて発表している9時間制を確実に実行すること」や「賃上げ、残業代、退職金、年末賞与、特別慰労休み」等7項目の要求を提出した。

10/14 「8時間労働、賃上げ」等の要求を決議する
九州大牟田電化工場労働者はこの日工場内の随所に集結して「8時間労働、賃上げ」等の要求を決議した。労働者側は会社が8月より硫安製造部のみに賃上げしたことに憤慨している。21日会社は全労働者に2割増給を支給すると発表した。

10/14 朝鮮東亜煙草会社労働者の決起
14日朝鮮東亜煙草会社の1800名中の約100名は7割の賃金値上げを要求してストライキを行った。しかし、会社は強硬な態度をとったため、70余名労働者は26日に至るもいまだストライキで抵抗を続けている。市中では煙草の買い占めが盛んに行われている。

10/14 支配人兼監督の横暴に怒りサボタージュ
大阪三平洋燈口金製造会社の労働者は支配人兼監督の横暴に不信任を唱えサボタージュをはじめた。

10/15 「12時間労働を8時間に改正しろ」と話し合い
神奈川県東京電気株式会社の第一、第四工場の労働者約600名が「従来の12時間労働を8時間に改正しろ」と協議した。18日はソケット工場労働者も協議に加わった。

10/15 福島1000名労働者結束し、公園に集結
福島市羽二重会社男女約1000名は結束して「9時間労働制、賃金4割増」を要求した。17日には公園に集結協議し代表者を選出し、会社と交渉をはじめた。

10/15 武蔵大宮鉄道労働者「8時間制」決起
鉄道院大宮機関車車庫約300余名は午前10時より構内で協議会を開いた結果、「8時間労働制、賃上げ、住宅手当」等の要求と鉄道院への陳情を決めた。東京管理局、宇都宮、高崎の各乗務員にも運動は拡がっている。

10/15 京都金箔職工の賃上げ要求
京都金箔職工約90が工賃5割の賃上げ要求運動をはじめた。問屋側は拒絶している。



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