先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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むかし話『桃太郎』と芥川龍之介の『桃太郎』(1924年)について 

2023年01月18日 07時00分00秒 | 1924年の労働運動

『桃太郎』作:芥川龍之介 朗読:窪田等

むかし話『桃太郎』と芥川龍之介の『桃太郎』について

戦前の尋常小学校の国定教科書には、むかし話『桃太郎』が載っていました。桃から生まれた桃太郎は、やさしいおじいさん、おばあさんに育てられ、鬼ヶ島へ鬼退治に出征します。途中出会ったイヌ、サル、キジにきび団子をあげて家来にし、鬼ヶ島で鬼退治をして鬼の財宝を持ち帰り、郷里に凱旋するという有名な童話物語です。いったんは教科書から外されたそうですが、日露戦争後の韓国併合の1910年から再び掲載されはじめたそうです。戦時中には孝行・正義・忠孝・勇断などの修身の徳を体現した国民的英雄としての桃太郎。「桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけた黍団子、一つわたしに下さいな」で有名な童謡・唱歌の一番は、戦後生まれの私も口遊(くちずさむ)ことができます。しかし、辺見庸さんも著書「1・9・3・7」の中でふれているこの歌詞2番以降は、なんというすさまじさでしょう。
(童謡「桃太郎」歌詞)
1、桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけた黍団子、一つわたしに下さいな。
2、やりましょう、やりましょう、これから鬼の征伐に、ついて行くならやりましょう。
3、行きましょう、行きましょう、貴方について何処までも、家来になって行きましょう。
4、そりや進め、そりや進め、一度に攻めて攻めやぶり、つぶしてしまへ、鬼が島。
5、おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらや。
6、万万歳、万万歳、お伴の犬や猿雉子は、勇んで車をえんやらや。

当時の少年たちの『鬼ヶ島』とは、間違いなく朝鮮・中国・台湾などであり、この朝鮮人・中国人の悪い鬼を〈征伐し、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらわ〉と幼い声で唱和したのです。

芥川の『桃太郎』は1924年の作品です。日清・日露戦争、大逆事件、朝鮮併合、3.1闘争の時代に生きた芥川。前年1923年には関東大震災の朝鮮人虐殺があり、翌年1924年は治安維持法制定で、いよいよファシズムと戦争の時代へのまっ最中の作品です。

芥川の『桃太郎』たちは、〈平和を愛する鬼〉〈罪のない鬼〉を「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」と〈逃げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛みに鬼の若者を噛み殺した。雉(キジ)も鋭いくちばしに鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志のあいだがらだけに、鬼の娘を絞め殺す前に、必ず凌辱をほしいままにした。……〉と、その本性、狡猾さ、暴力性、残酷性、非論理性、侵略性は〈ならず者〉の軍国主義、ファシズムそのものです。彼芥川が自殺したのは1927年ですが、まるで1937年を予知しているようです。

今2023年の私たちは、〈ならず者〉を目の当たりに見せつけられています。勝共連合・統一教会=自民党、対米従属の岸田政権の大々軍拡、対中国(人)敵視、対朝鮮人蔑視、対中国戦争の現実化としてです。ウクライナ戦争もそうです。〈所詮持たぬものは持ったものの意志に服従するばかり〉の資本主義社会で、わずかな〈きびだんご〉である低賃金を〈餌食(えじき)〉として〈家来〉賃金奴隷にさせられています。しかし、弱い者同士もいがみ合いや殺し合いを続け、弱い者がまた更に弱い者を差別しています。互いにいじめあう現代のイヌ、サル、キジには、これではまるで救いがありません。ならず者たちのやりたい放題です。

芥川の『桃太郎』は、希望 ? として平和を愛していた鬼たちの決起をほんの少しだけ、しかもとても怖い話でしめくくっています。
〈しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送ったわけではない。〉
いわく
「(人質となった)鬼の子供は一人前になると番人の雉(キジ)を噛み殺した上、たちまち鬼が島へ逐電した。」
いわく
「鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形へ火をつけたり、桃太郎の寝首をかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂である。」
いわく
「寂しい鬼が島の磯には、美しい熱帯の月明かりを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子(やし)の実に爆弾を仕こんでいた。優しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ほどの目の玉をかがやかせながら。……」と。

私は、久しぶりにこの芥川の『桃太郎』を読んで、芥川が治安維持法時代の1930年代まで生きていて、その時この『桃太郎』を発表していたら、間違いなく小林多喜二のように特高に検挙され、拷問されて殺されていただろうなと思いました。

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(原本1924年)
『桃太郎』芥川龍之介

   むかし、むかし、大むかし、ある深い山の奥に大きい桃の木が一本あった。大きいとだけではいい足りないかも知れない。この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地の底の黄泉の国にさえ及んでいた。何でも天地開びゃくの頃おい、いざなぎの尊は黄最津平阪(よもつひらさか)に八つの雷をしりぞけるため、桃の実を礫に打ったという、――その神代の桃の実はこの木の枝になっていたのである。
 この木は世界の夜明け以来、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけていた。花は真紅(しんく)の衣がさに黄金のふさを垂らしたようである。実は――実もまた大きいのはいうを待たない。が、それよりも不思議なのはその実はさねのあるところに美しい赤児(あかご)を一人ずつ、おのずから孕(はらん)でいたことである。
 むかし、むかし、大むかし、この木は山谷(やまたに)をおおった枝に、累々と実をつづったまま、静かに日の光りに浴していた。一万年に一度結んだ実は一千年の間は地へ落ちない。しかしある寂しい朝、運命は一羽の八咫鴉(やたがらす)になり、さっとその枝へおろして来た。と思うともう赤みのさした、小さい実を一つついばみ落した。実は雲霧の立ち昇る中に遥か下の谷川へ落ちた。谷川は勿論峯々の間に白い水煙(みずけぶり)をなびかせながら、人間のいる国へ流れていたのである。
 この赤児(あかご)を孕んだ実は深い山の奥を離れた後、どういう人の手に拾われたか?――それはいまさら話すまでもあるまい。谷川の末にはお婆さんが一人、日本中の子供の知っている通り、柴刈に行ったお爺さんの着物か何かを洗っていたのである。……


 桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐を思い立った。思い立った訣(わけ)はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白(わんぱく)ものに愛想(あいそ)をつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさに旗とか太刀とか陣羽織とか、出陣の支度に入用のものは云うなり次第に持たせることにした。のみならず途中の兵糧には、これも桃太郎の注文通り、黍団子(きびだんご)さえこしらえてやったのである。
 桃太郎は意気揚々と鬼が島征伐の途にのぼった。すると大きい野良犬が一匹、飢えた目を光らせながら、こう桃太郎へ声をかけた。
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰に下げたのは何でございます?」
「これは日本一の黍団子だ。」
 桃太郎は得意そうに返事をした。勿論実際は日本一かどうか、そんなことは彼にも怪しかったのである。けれども犬は黍団子と聞くと、たちまち彼の側へ歩み寄った。
「一つ下さい。お伴しましょう。」
 桃太郎は咄嗟に算盤(そろばん)を取った。
「一つはやられぬ。半分やろう。」
 犬はしばらく強情に、「一つ下さい」を繰り返した。しかし桃太郎は何といっても「半分やろう」を撤回しない。こうなればあらゆる商売のように、所詮持たぬものは持ったものの意志に服従するばかりである。犬もとうとう嘆息(たんそく)しながら、黍団子を半分貰う代りに、桃太郎の伴をすることになった。
 桃太郎はその後犬のほかにも、やはり黍団子の半分を餌食(えじき)に、猿や雉(きじ)を家来にした。しかし彼等は残念ながら、あまり仲のいいい間がらではない。丈夫な牙(きば)を持った犬は意気地のない猿を莫迦(ばか)にする。黍団子の勘定にすばやい猿はもっともらしい雉を莫迦にする。地震学などにも通じた雉は頭の鈍い犬を莫迦にする。――こういういがみ合いを続けていたから、桃太郎は彼等を家来にした後も、一通り骨の折れることではなかった。
 その上猿は腹が張ると、たちまち不服を唱え出した。どうも黍団子の半分くらいでは、鬼が島征伐の伴をするのも考え物だといい出したのである。すると犬は吠えたけりながら、いきなり猿を噛み殺そうとした。もし雉がとめなかったとすれば、猿は蟹の仇打ちを待たず、この時もう死んでいたかも知れない。しかし雉は犬をなだめながら猿に主従の道徳を教え、桃太郎の命に従えと云った。それでも猿は路ばたの木の上に犬の襲撃を避けた後だったから、容易に雉の言葉を聞き入れなかった。その猿をとうとう得心させたのは確かに桃太郎の手腕である。桃太郎は猿を見上げたまま、日の丸の扇(おうぎ)を使い使いわざと冷かにいい放した。
「よしよし、では伴をするな。その代り鬼が島を征伐しても宝物は一つも分けてやらないぞ。」
 欲の深い猿はまるい眼めをした。
「宝物? へええ、鬼が島には宝物があるのですか?」
「あるどころではない。何でも好きなものの振り出せる打出(うちで)の小槌(こづち)という宝物さえある。」
「ではその打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいるわけですね。それは耳よりな話です。どうかわたしもつれて行って下さい。」
 桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐の途(みち)を急いだ。


 鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだったわけではない。実は椰子(やし)のそびえたり、極楽鳥のさえずったりする、美しい天然の楽土だった。こういう楽土に生を享けた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽的に出来上った種族らしい。こぶ取りの話に出て来る鬼は一晩中踊りを踊っている。一寸法師の話にでてくる鬼も一身の危険を顧みず、物詣うでの姫君に見とれていたらしい。なるほど大江山(おおえやま)の酒顛童子(しゅてんどうじ)や羅生門の茨木童子は稀代の悪人のように思われている。しかし茨木童子などは我々の銀座を愛するように朱雀大路(すざくおおじ)を愛する余り、時々そっと羅生門へ姿を露らわしたのではないであろうか? 酒顛童子も大江山の岩屋に酒ばかり飲んでいたのは確かである。その女人を奪って行ったというのは――真偽はしばらく問わないにもしろ、女人自身のいう所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光や四天王はいずれも多少気違いじみた女性崇拝家ではなかったであろうか?
 鬼は熱帯的風景のうちに琴を弾いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、すこぶる安穏に暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘もはたを織ったり、酒を醸したり、蘭の花束をこしらえたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊にもう髪の白い、牙の脱けた鬼の母はいつも孫の守もりをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである。――
「お前たちも悪戯をすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものは角のはえない、生白い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛の粉をなすっているのだよ。それだけならばまだいいのだがね。男でも女でも同じように、うそはいうし、欲は深いし、焼餅ちは焼くし、己惚れは強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのないけだものなのだよ……」


 桃太郎はこういう罪のない鬼に建国以来の恐ろしさを与えた。鬼は金棒を忘れたなり、「人間が来たぞ」と叫びながら、ていていとそびえた椰子の間を右往左往に逃げまどった。
「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」
 桃太郎は桃の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉の三匹に号令した。犬猿雉の三匹は仲のいい家来ではなかったかも知れない。が、飢えた動物ほど、忠勇無双の兵卒の資格をえているものはないはずである。彼等は皆あらしのように、逃げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛みに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭いくちばしに鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞め殺す前に、必ず凌辱をほしいままにした。……
 あらゆる罪悪の行われた後のち、とうとう鬼の酋長は、命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参した。桃太郎の得意は思うべしである。鬼が島はもう昨日のように、極楽鳥のさえずる楽土ではない。椰子の林は至るところに鬼の死骸をまき散らしている。桃太郎はやはり旗を片手に、三匹の家来を従えたまま、平蜘蛛のようになった鬼の酋長へおごそかにこういい渡した。
「では格別の憐憫により、貴様たちの命はゆるしてやる。その代りに鬼が島の宝物は一つも残らず献上するのだぞ。」
「はい、献上致します。」
「なおそのほかに貴様の子供を人質のためにさし出すのだぞ。」
「それも承知致しました。」
 鬼の酋長はもう一度ひたいを土へすりつけた後、恐る恐る桃太郎へ質問した。
「わたくしどもはあなた様に何か無礼でも致したため、御征伐を受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点が参りませぬ。ついてはその無礼の次第をお明かし下さるわけには参りますまいか?」
 桃太郎は悠然とうなずいた。
「日本一にっぽんいちの桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱かかえた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」
「ではそのお三さんかたをお召し抱えなすったのはどういうわけでございますか?」
「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子をやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
 鬼の酋長は驚いたように、三尺ほど後うしろへ飛び下さがると、いよいよまた丁寧にお時儀ぎをした。


 日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物の車を引かせながら、とくとくと故郷へ凱旋した。――これだけはもう日本中の子供のとうに知っている話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送ったわけではない。鬼の子供は一人前になると番人の雉を噛み殺した上、たちまち鬼が島へ逐電した。のみならず鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形へ火をつけたり、桃太郎の寝首をかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂である。桃太郎はこういう重さね重さねの不幸に嘆息を洩らさずにはいられなかった。
「どうも鬼というものの執念の深いのには困ったものだ。」
「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩さえ忘れるとは怪しからぬ奴等でございます。」
 犬も桃太郎の渋面を見ると、くやしそうにいつもうなったものである。
 その間も寂しい鬼が島の磯には、美しい熱帯の月明かりを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子(やし)の実に爆弾を仕こんでいた。優しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ほどの目の玉をかがやかせながら。……


 人間の知らない山の奥に雲霧を破った桃の木は今日もなお昔のように、累々と無数の実をつけている。勿論桃太郎を孕んでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉(やたがらす)は今度はいつこの木の梢へもう一度姿をあらわすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……

1924(大正13)年7月「サンデー毎日 夏期特別号」



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