1919年08月30日
(読書メモ・・・大原社研「日本労働年鑑」1920年版)
1919年8月の労働争議
友愛会が大日本労働総同盟友愛会に改称
*今回から、原本の「同盟罷業」「職工」は、このまとめではそれぞれ「ストライキ」「労働者」とします。
8/1 大阪豊崎町、田村友禅労働者100余名は工場主に賃金3割値上げを要求し、ストライキに入り示威行動を行った
8/1 大阪豊崎町、浅田友禅染工場労働者は、付近の田村友禅染工場労働者のストライキに呼応しストライキに入る者が続出し、工場はついに休業となった。交渉を始めた労働者は一向に引く気配はない
8/1 東京芝、日本電気株式会社労働者800余名は、賃金3割増給を要求したが、4日夜から全員がストライキに突入した。労働者側は友愛会本部に援助を求め、6日友愛会本部にて「職工大会」を開催し、「8日まであくまで3割増給を入れられない場合は、全員総辞職を決行する」と決議し、ストライキを続行した。ストライキは続き、12日に至り、賃金1割5分増給プラス米代への補助金として特別手当で妥結が成立し、14日より就業した
8/1 1日から朝鮮釜山港沖仕約80名は賃金値上げを要求してストライキを行う者が続出した。8月3日賃金値上げで解決した
8/1 千葉銚子町、醤油樽製造業16軒の樽製造労働者200余名は賃金3割を要求したが、親方側は返答すらしないばかりか慣例である「中元」すら今年から廃止してきたので、12日全員申し合わせの上ストライキを決行した。同町妙福寺に集結し代表者を選んだ。これを聞いた同町内の銚子醤油醸造株式会社や同「家サ」、「山々」などの醤油醸造会社の樽製造労働者も歩調を整えて増給を迫ると同時に一緒にストライキに入った。ただし円満解決の見込みはあるという
8/1 伏木港沖仕の3割以上の増給を要求した
8月はじめ東京瓦斯会社労働者600余名は、友愛会本部にて代表20名で協議し、「日給35銭の値上げ、公休日月2日の設定」を決定した。会社側は即座に「日給32銭と回答し、またそれ以外も労働者側の要求を全て受け入れ」て解決した
8/1 東京南千住、石炭運搬労働者200余名は賃金5割の増給の要求貫徹を目的とするストライキを行った。しかし、南千住警察署署長らの斡旋により、8月7日夜賃金2割増額で無事解決した
8/1 大分市、大分鉄工所労働者70余名は、賃金値上げを要求してストライキを行っていたが、そのうち30名がストライキから脱落し復業を申し入れてきて、8月4日から50余名で仕事をはじめた
8/1 門司市の大工は午前9時より八幡宮境内に集結し賃金値上げを要求して各関係者に通知した
8/1 名古屋煙草専売支局20余名の運搬労働者は2日より全員ストライキに入り代表者が賃金値上げを交渉したが、「役所の事なので、今すぐはなんともできないが、9月の定期昇給時にはなんとかうまくとり計ろう」との回答があったにすぎなかったので3日もストライキを続けた。当局は「ストライキ中の賃金を暑中休暇として支給するから」として出勤を促したが、4日も全員ストライキを続けた。当局は、5日20名全員を解雇し、臨時労働者を雇い働かせた
8/1 岡山県三井物産王造造船所労働者機械工900余名が、「賃上げ3割増と残業代の増給」を求めて交渉をはじめたが、1日午後3時より就業を止めてストライキに入った。一方造船の労働者1000余名も機械工と行動を共にするために2日よりストライキに入った。4日「本給の1割増、残業代増額、皆勤手当ての増額」等の回答があり、労働者間に様々な意義があったが、午後5時にようやく妥協が成立し、5日より全員が就業し解決した
8/1 徳島市製靴労働者全員が工賃の3割増額を要求して拒絶されたのでストライキを行った。同市の製靴業者側は3日夜会合し、値上げを決め、労働者側と交渉をはじめた
8/1 京都扇骨職人の間で3割増の値上げの声が高まった。そのため8月4日に松原警察署は職人側代表者を召集し仲裁の意思を告げた
8/1 徳島県瓦製造労働者100余名は今までも度々ストライキを計画していたが、再びここにきて、賃金3割増を要求して交渉をはじめた
8/1 福岡市内の印刷工で組織された「福博印刷技工共済会」は曾長筒井某を代表として、各印刷所に対して「①日給の4割増額 ②8時間労働 ③毎月1日と15日を公休とすること」の3条件を要求した
8/1 大垣駅機関庫機関手・機関助手20余名は、重井駅の列車衝突事故の責任者として、同僚2名が逮捕され護送されたことに怒り、「これでは安心して仕事を続けることはできない」と1日より結束して休職を申し出たが、当局の慰撫によりようやく解決した。なお労働者側は「労働者は駅長の指揮下にあるので、責任は駅長にある」と主張した
8/1 九州三池炭鉱機械製作工場労働者1000余名が賃金5割増額を要求した。解決いかんによっては、他の亜鉛工場、染料工場、坑夫などへ甚大な波及が予想される
8/1 長崎市重誠社印刷労働者40名は3割賃上げを要求し拒絶されたので、2日よりストライキを敢行した
8/2茨木県日立鉱山、同精錬所、同製作所の労働者2000名は、賃上げを要求してストライキに入ろうとした。察知した会社はすぐに賃金や手当の値上げを発表した。しかし約100名が濱の宮公園に集結し協議を重ねた。その後労働者4000名の約半数が合流してきたため、9日夜には重大な事態となり、10日には各所に「宣言文」を貼り、「あくまで初志の貫徹」を強めた。官憲は、多数の警部、部長、巡査を派遣して厳重に警戒した
8/2 大阪市新田造船所500余名は解雇への不安で多くの休業者・怠業者が続出したため、会社は警察に保護を乞うた
8/2 大阪港石炭沖仕と艀(はしけ)船の労働者賃金3割増の値上を要求した。8月6日大阪石炭同業組合は労働者側の要求のすべてを受け入れ「8月15日より3割値上」と決定した
8/2 京都市今熊野の土焼陶器労働者は、所々で会合を行い、賃金3割増の要求をした
8/3 東京八王子郵便局集配人32名中10名と電報配達人5名中2名は病気と称して一斉に休業した。原因は低賃金への不満であったという
8/3 東京大森町日本特殊鋼会社労働者90余名は賃上げ会社に要求をし、拒絶されたためストライキを行ったが、大森分署長の調停により、労働者は要求を撤回して8月6日から仕事に戻った
8/3 神奈川県川崎の浅野製鉄所製板課の労働者270余名が賃金4割増を要求したが会社が拒絶したため4日からストライキに入り、構内に集結して示威行動を行ったので、会社は首謀者6名を解雇し、同時に「ストライキを続け仕事につかないものも断然解雇する」と発表したため益々事態は紛糾した。これを聞いた旋盤ら他の部署の労働者180余名もストに呼応し合流した。全員が総持寺に集合し「一歩も譲歩しない」と決議し、労働者側は演説会などを開き気勢を上げた。6日、会社は「要求には断じて応じない」と回答し、なお「(一)無条件復帰の希望者は7日朝8時に出勤すること、(二)この時間まで出勤しないものは就業の意思はない者と認める」と発表したので、労働者側代表者らは共に辞表を提出し、労働者一同も各職場毎に討議し「労働者一同も労働者代表者と進退を共にする。7日からも断じて出勤しない」と申し合わせた。警察官100名が警戒した
8/3 神奈川県鶴見埋築会社の船の労働者170余名は賃金4割値上を要求したが、会社の拒絶のため4日よりストライキを行った。その後船員250余名と使役労働者360名は共に闘いだした。5日午後会社は3割値上と休業期間中の給料を支払うことを回答し解決した
8/3 兵庫県明石の合同印刷会社14名と野澤印刷屋4名は連合して賃金7割値上を要求して5日からストライキに入った。3割5分の値上げで妥結し6日より仕事についた
8/4 福山市各社の印刷労働者は「賃金4割増と8時間労働制」を要求し、もし要求が拒絶された場合はストライキをすると通告した
8/4 大連川崎造船所労働者約700名は、賃上げ1割を求め受入れない場合はストライキを行うと発表した
8/4 大阪市内唐木細工の問屋40軒の職人約250名は工賃の値上を要求した
8/4 京都市内石工の団体「共和会」は労賃5割増を要求したが、妥結が成立しない為ストライキを行った。9日業者側から賃上2割5分の回答があり、無事解決した
8/4 東京京橋の浅野回漕労働者97名は賃上げ2割増を要求した。5日午後10時1割の値上げで解決した
8/4 東京中央郵便局集配労働者約40名は賃上げを要求したが、6日要求の一部が容れられたため解決した
8/5 九州若松港内のはしけ労働者800名労働者は2割5分の賃上げを要求した
8/5 東京京橋氷崎商店機械部工場労働者約40名は賃上を求めストライキに入り、6日もまだストライキは続いている
8/5 東京隅田村天野工場労働者40名は3割値上を要求し午後4時に一斉に早退し6日からはストライキに入った
8/5 東京日本電燈会社本社、市内各営業所、内外線係と試験係らの労働者215名は「臨時手当を廃止し本俸の増額」を要求した。会社は要求のすべてを拒絶したが、回答とは別に、「年末一時金は従来の二倍、退職金の値上げ、感電死の場合は金千円」と「労働者側の要求した日給35銭増より高い40銭増」を実施することを発表したので解決した
8/5 横浜市港で働く労働者は一致して賃上3割増と夜間労働と雨の中の労働の賃金3割増を要求した
8/5 神戸三菱造船所では、白米を一部代用食として芋などを供給することに対して同社の秘密工場である内燃機工場で200名の労働者が怒り、賃上5割増を要求する連判状を作製しようとしたが、事前に察知した会社側により鎮静させられた
8/5 長崎三菱造船所立神工場労働者一同は賃上を要求し、拒絶された場合はストライキに入ると申し出た。1割値上で解決した
8/5 大阪市八幡町、藤田組八幡屋製材所の労働者全員が3割値上を要求しストライキに入った。友愛会大阪連合会が仲介している。同社は砲兵工廠の仕事を請負していて大変困って、13日に要求を受けいれて解決した
8/5 東京麹町官立印刷局労働者200名は、5割増の値上、休日分も全額支給すること等を要求したが、8日当局の回答が遅れたため憤慨した労働者200名は次々と就業を拒否し職場を退出しストライキに入ったが会社の説得により50名がストをやめ仕事についた。その後会社は等級を上げるなど極力賃上を行い、9日午前から全員が仕事についた。警察は厳重に警戒した
8/5 名古屋日報社は突然休刊した。原因は労働者が賃上を要求して交渉が決裂し、仕事中に一斉ストライキに入った結果
8/5 尾道市鍛冶屋町の鍛冶労働者数十名は、同所の神社に集結して3割賃上を決議し、6日ストライキを行った
8/5 岡山市内の各葬儀会社で働く労働者400名は賃金倍額を要求したが、決裂したため400余名は直ちにストライキに入った。各葬儀社側は臨時に人を狩り集め、ストライキ参加者の足並みが乱れるのをねらっている
8/5 東京瓦斯電気会社大森工場労働者約200名は賃上げ3割増を要求し、7日には係長を袋叩きにした。会社は2割増の賃上を発表したが、実際は賃上と同時に請負単価と歩合を下げてきたため、労働者の賃金は全然上がらない。怒った労働者は各部長や管理職に暴行して不平を訴え、更に2割増の賃上げを求めた
8/5 前月来京都市煙管職人が工賃3割増を要求した。問屋側は1割値上を発表して労働者の気勢を制そうとし、北田松原警察署長が調停し1割5分で解決したが、これに不満を持つ労働者側は、8月5日に更に賃上を求めた。6日結局2割5分で解決した。これを聞いた他の銀物磨き労働者は、「我々も相当な要求をすべき」と一斉に要求した
8/5 福岡市木材沖仕百数十名が、夕刻より空地に集結して、賃上要求を決定し7日よりストライキに入った。要求が絶対受け入れられない場合は転職を準備しているという
8/5 神戸、三菱倉庫神戸支店沖仕60余名は午後3時に和田岬神社に集結し賃上を要求して拒絶されたためストライキに突入した
8/6 門司荷馬車同業組合は車力労働者の要求に応じて賃金3割増の値上げを発表した。運送業者も協議した
8/6 午前6時から東京大崎町山本鉄工所労働者70余名は、賃金6割増を要求し会社に拒絶されたためストライキに入った
8/6 東京中央郵便局集配労働者の要求が一部実現したのをみて、同局の臨時雇用の労働者16名は賃金5割増の要求をして当局に迫ったが、当局は予算がないと拒絶して、逆に首謀者たる2名を解雇してきた。この解雇を知った臨時雇用者と集配員一同は全力で2人の復職を要求したが拒否されたたため、午前9時に15名の臨時雇用者と集配人一同は日比谷公園に集結して演説をして社会に訴えた。たちまち群衆が集結したので警官が退散を命じ、2・3名を検束して取調べた
8/6 神戸市内土砂運搬組合に所属する労働者50名は、更に結束を固め4割増の賃上を要求した。交渉の結果、2割5分増額で妥結した
8/6 東京田町の沖電気会社工場の男女労働者650名は請負歩合の3割増の値上を要求した。会社の7日回答という約束が守られなかったので、7日午前10時からストライキ・作業停止を宣言し、全員職場から引き揚げ、三田西〇寺に集合した。ストライキは12日まで続き、この朝も全員一か所に集結し、会社側と交渉した。結局収入の比較的少ない者に要求通り3割増の値上を行うことが決まり、13日から就業についた
8/6 東京明治電気会社労働者は、前の日から話し合っていた賃上げ要求を会社に提出し、各自ストライキに入った。会社側は事態の拡大を防ごうと様々な調停の動きをしている
8/6 東京本所硝子労働者約2000名は互いに連絡を取り合い、「①賃上げ、②10時間勤務、③週に一日の公休、④工場内清潔・衛生設備の改善」の打ち合わせをした。現在硝子労働者は最も過酷な待遇下で最低11時間労働で働いている。吹き工労働者にらば一週間勤務すれば2日間は休まないと到底職に耐えられないという
8/7 東京高砂鉄工所の労働者は賃金2割5分増その他4項目の要求をした
8/7 神戸島上棧(かけはし)橋沖仕20余名は賃金3割値上げの要求を貫徹するためにストライキを行った。
8/7 長野県上田信濃電気会社女性労働者一同は、夏の一時金(中元)の低額に怒り、ついにストライキに立ち上がった
8/7 神奈川県内田造船所労働者1,300余名は賃上げ要求を貫徹するため、10日まで一同ストライキを続けた
8/8 福井市印刷労働者約100名は賃金値上げを要求し、もし印刷会社側が拒絶する時はストライキを行うことを決めたので各印刷会社側はどう解決するかと大変苦労している
8/8 7月20日京都奥村電機商会の火造部と鋳物部労働者は相携えて午後4時に一斉にストライキに入り職場を離れ、将軍塚に登って集結し賃上げ3割増を勝ち取るため闘うと互いに誓約を取り交わした。また多くの労働者が参加している友愛会鴨東支部に支援を申し入れた。この闘いをみて他の部署(旋盤・巻線・製図・自動車・木工・仕上げその他)の労働者も呼応した。原因は残業がなくなり、定期昇給も行われなかった上、7月25日に会社が3割増給と同時に手当を無くし、また歩合給も下げると発表したからである。29日、会社はスト労働者のリーダー友愛会員12名を扇動者として解雇してきたため、職場の労働者300余名は午後3時に一斉に会社を引き上げ、同夜岡崎六盛倶楽部に集まり、ストライキを続行すると力説したが、友愛会京都連合会本部は必死にそれを押しとどめた結果、ストライキは8月4日の鈴木友愛会会長歓迎会終了後に延期された。しかし半数の労働者は辞職して工場を去った。
8日午後3時ストライキを決意し300余名が庭園小松谷渓谷に、かがり火をたき、全員が集結して午後9時高山、鈴木両氏は、それぞれ沈痛な演説で激励した。9日早朝からストライキ労働者は工場前で出勤してくる労働者にストライキ参加を説得し、会社側と互いに労働者争奪戦を行った。
ストライキ労働者側の要求は「①友愛会を労働組合として承認すること、②請負率平均5割にすること」等4条7項目である。鋳造部工場労働者も全員同情ストライキに入った。自動車工場でも休業者が続出した。会社の強硬な態度に怒り殺気だった450名全員は、11日早朝よりの全面ストライキ突入の宣言をした。
11日午前4時頃から、工場の周囲7か所に「ストライキ宣言」の大立て看板を立てて、出勤してくる労働者の反省を促しスト参加を説得し、大きな成果を上げた。会社とスト破りには2日分を支給すると言い、また午前11時には「欠勤者を解雇する」と発表してきた。400余名は労働歌で気勢を上げ、また大立て看板を先頭にし、隊伍を整えた示威行動(デモ)を行った。またスト労働者は持久戦を宣言した。
鈴木・高山両会長は藤沼警察部長と秘かに妥協案(適当に時期に再び労資で交渉する。2か月後に賃金制度を改正する)で合意し、それでスト労働者を説得しようとした。その「無条件に近い」中身を知って怒った工場内友愛会員リーダー4名らは友愛会退会を宣言したり、他の者も退会を決意して岡崎公会堂の場から席を蹴って出ていった。しかし、最終的にはストライキ参加者650余名の過半数は、妥協案を受け入れ、会社もストライキ中の賃金を支給し、1万円を全員に支給すると発表した。スト参加者から350余名が友愛会に参加していたが不満のあまり、脱会を主張するものが続出したので、同夜警察は多くの刑事で退会者を監視した
8/8 和歌山県具釦労働者は労賃の1割から3割の賃上げを要求した。親方工場と8月20日に平均約1割増で合意して解決した
8/9 大阪松竹の道具方約80名の労働者は賃上げを要求した。松竹側は11日午後6時に「要求承諾」を回答して解決した
8/9 静岡県沼津町、東京絹毛会社、男160名・女120名は4割増の賃上と、もし拒絶された場合はストライキに入ると決定した。その夜女性労働者全員が外泊して誰も寄宿舎に帰らなかった。翌日10日から全員がストライキに入った。会社は11日に新待遇案を回答したために解決し全員仕事に戻った
8/9 山口県防府町柏木検温器製造所100余名中約20名が会社の不平等な賃上げに怒りストライキを行った。しかし、会社側は警察と手を結びスト労働者の要求を断固拒絶し強硬に対応したため、20名はついに屈して11日から作業についたが、警察は労働者の首謀者を厳しく取り調べている
8/9 高知県土佐電気労働者50余名は工夫頭と手当と夜勤賃金をめぐって意見衝突となり、ストライキに入った。会社は驚きあわてて10日労働者代表者と交渉協議をした
8/10 大阪永田造船所労働者は賃上を要求した
8/10 大阪鹿島、大阪窯業株式会社セメント工場労働者100余名は賃金3割増を要求した。会社の誠実な回答に怒り、ついにストライキに入った
8/10 横浜山下町三外人商会専属船の労働者250余名は各3割増の賃上を要求した。各商会が拒絶した場合はストライキに突入すると申し出たので水上警察は警戒した
8/10 東京本所柳島、日新染布会社約200余名(女性30名ほど)は賃金3割値上を要求し、部長に要求書を手渡しが、部長はこれを握りつぶしたので、回答がない場合は13日の昼仕事終了の汽笛を合図にストライキに突入すると会社に伝えた。13日、会社は2割値上を回答し妥結した
8/12 丸亀市扇製造会社の労働者(女性376名、男性148名)は市内各所に集結し13日突如ストライキに突入した。会社は賃上げを回答して解決した
8/12 丸亀市文撰労働者は協議の結果、ついに文撰同業組合に対して工賃の3割増を要求した
8/12 丸亀市讃岐日々新聞社活版労働者20余名が、賃上げを要求してストライキをした。13日も全員ストライキをしたので新聞は休刊となった
8/12 大阪岸和田 野村紡績会社労働者19名が賃上げ3割増を要求したが、会社は全員を解雇してきた。目下警察が警戒中である
8/12 神戸港の約150組に属する労働者は物価高騰に耐えきれず増賃要求の声を強くあげた。ただちに組合役員会は3割値上げを決め、関係荷主に連絡をして9月1日から実行することとなった
8/13 群馬県大胡町郵便局集配労働者全員がストライキの挙に出た。原因は、8月2日に集配人5・6名が連署して賃上げ要求を行ったのに局は拒否してきた為。在郷軍人会がストライキ解決まで集配を行うこととなった
8/13 常陸日立鉱山製作所の記録労働者約200名が「10時間勤務を8時間制として、あらたに2時間分の賃金は支払うこと、これに同盟しない者を懲戒すること」等決議し、会社に申し入れたが、会社は即座に拒絶してきた。しかし、一同はあくまで闘いを貫徹すると言っている
8/13 横浜市内石工800余名が石工見世持組合に工賃4割増給を申し入れた。組合は拒絶したが、21日に2割増を回答したが、石工側は頑として応じなかったため、組合側は形式的に解雇通知をだしてきた
8/13 大阪北区谷口印刷所約150名は賃金値上を要求したが、15日になり、会社側が賃上げに応じたため解決した
8/13 栃木木戸ヶ沢鉱山労働者百数十名は賃上3割増を要求したが、23日本社から断固要求拒絶の回答があり、労働者は大いに憤慨しついに同日ストライキに入った
8/14 足尾銅山2万5千人は賃上げ要求の闘いを開始した。会社の態度は強硬である
8/14 東京月島日本機械製造会社約200名は賃上げのための協議をはじめた。これを知った会社は労働者側の要求が出される前に「16日より3日間の臨時休業」を掲示してきた。22日正午交渉は決裂し、ついに全員ストライキに突入し、各新聞社を訪問し陳情した。警視庁にも行き斡旋を求めたが、23日午後5時吉村社長はスト参加者全員を解雇してきた。その後月島署長が調停に乗り出し、8月30日午後6時になり、ストライキ側は要求を撤回し、会社はスト中の27日から30日までの賃金を支払う事とし、9月1日から全員復職し、無条件で解決した
8/15 横浜ペンキ労働者300余名は賃上を要求してストライキに入り、請負業者側と対峙した。請負業者側もかなり驚き要求を容れるらしいが、労働者側の申し合わせが厳しく、またストの幹部が硬骨者で組織されているため中々ストをやめようとしていない
8月中旬、名古屋市江川町の扇骨製造労働者は問屋側に対して工賃3割を要求した。問屋側はこの要求を強硬に拒絶したため紛争は拡大したため、官憲が介入した。ようやく9月4日ついに2割の値上げを問屋側が回答し無事解決した
8月中旬、北海道苫小牧日本電気工業会社労働者300名は賃上げを要求したが、会社側は労働者側の要求に対して,一顧だにせず断固拒絶してきたため、ついに全員ストライキを行った
8/15 岩手県南部杜氏組合約800名は税務当局と資本家側の酒造家のそろっている席上で賃上げを決議し頑強に要求した。酒造家はすぐに総会を開き善後策を協議している
8/15 高崎市板紙会社労働者は5割増の値上げを要求した。会社が17日に拒絶の回答をしてきたので、ついにストライキに立ち上がった。会社はスト参加者40余名の解雇を宣言してきた
8/17 尼ヶ崎駅沖仕60余名は賃金3割増を要求しストライキを行った。ただちに運送業社側から2割から3割増の回答があり解決し、18日から仕事についた
8/17 福井県今庄村製糸同業組合の女性労働者430余名は賃上げを要求し、18日よりストライキ突入を申し合わせた。18日一斉にストライキに突入した。業者側は少しの値上げを回答したが、スト破りは僅少しかでず、大部分はあくまで主張を曲げずストライキを続けた
8/17 姫路日出紡績会社工場の男性労働者約200名は「賃上げと男女待遇差別撤廃」を要求してストライキを行った。その原因は、会社が16日夜、男女労働者900余名に休暇を与え盆踊りを開催したおり、男性労働者は「風紀を乱すおそれあり」と参加させなかったので憤慨したのだという
8/17 名古屋郵便局集配労働者は賃上げを要求してストライキに入ったので、午後4時まで集配不能となり配達ができなかった
8/17 大阪砲兵工廠宇治火薬製造所1,049名は賃上げを要求し、労働者側は東京砲兵工廠での労働争議と同様な態度で闘いだした。当局は、伏見憲兵隊に応援を求め首謀者を処罰しようとしている
8/17 新潟県南魚沼郡製糸工場の女性労働者150名は、同地の小学校に集結し賃金値上げを決議し、もし要求が容れられない時はストライキをすると申し合わせた
8/17 8月12日東京砲兵工廠で先日賃上げ争議で解雇された数名の者が中心となり「小石川労働会」が結成された。王子分工場・板橋火具製造所・目黒火薬製造所など全労働者2万7千人の意見がまとまり、幹部・理事250名の連署の上、17日大塚仲町の西信寺と本傳寺で職工退会を開催した。午後2時より西信寺には約1200名が集まり、「①労働組合として小石川労働会を承認すること。②8時間労働制にし残業は2時間以内とすること。③日曜日は安息日とし労働は禁止し日給の全額を支払うこと。日曜にやむを得ず労働する時は倍額支払う事。④賃上げ」等を満場一致で決定した。この集会に参加した労働者幹部数名は解雇された。本傳寺には約600名女性約30名が集結した。夜東京憲兵隊は小石川労働会会長を連行した。22日からストライキに入った。この日憲兵隊は22名を検束した。23日は4000名がストライキに参加し、王子では憲兵隊と脈を通じていた者を発見して殴打し、憲兵隊と乱闘になり3名が検束された。24日は休日で小石川本傳寺で開こうとした労働者大会を憲兵の介入で開けなかった。25日長門陸軍属は「内外を問わず労働問題を目的とする集合を禁止する」との表明を行ったので労働者側はまたまた憤慨し、25日は出勤はするが一日仕事はしないと申し合わせた。26日工廠当局は、工廠入れ口で監視を強め危険分子の入場を拒んだ。27日、労働者側の示威運動や演説が盛んにおこなわれた。28日にはストライキ参加者ますます多くなり、工場は休業状態となった。スト破りがあり、ストライキ労働者との間で喧噪状態となった。29日近衛歩兵一個中隊、巡査300名、その他私服の憲兵らが弾圧警戒したが、スト参加者は依然として多かった。警察官が労働者の住宅を個別訪問して出勤をさせようとしたが、ほとんど誰も応じなかった。工廠側は「欠勤理由を書いた欠勤届を提出すしないと翌日解雇する」と脅す通達を7,200名に郵送した。当局は、100余名を憲兵が検挙しようとした。29日労働者側代表者は「宣言書」を発表した。その内容は「我らの要求達成のためストライキを行ったが、国防に障害を与えるならば、陛下の赤子として申し訳ない。無条件で陸軍大臣を信じる」という敗北宣言であった。陸軍大臣は「労働者側が反省するなら自分は皆さんのために極力努力する」と述べた。憲兵隊は続々とストライキリーダーを検束し始めた。31日滝野川紅葉園で小石川労働会大会が開催され9月1日から出勤と決定した。東京憲兵隊は、今回のストライキに対して「扇動・教唆(そそのかし)・恐喝・傷害などで強力に捜査し、検束し取り調べをはじめた。それは治安警察法と刑法によるものであった。検挙された労働者は18名に上り、その家族100名は日に日に窮状に陥った。18名中の一人は獄中で死亡したともいう。官憲と憲兵隊は、事態が落ち着いた時に盛んに検挙をはじめた。
筑紫兵器局長発表(8月28日)
「小石川砲兵工廠内。8月27日午前9時半の休憩時間が終了しても職工は誰も仕事につかない。午前11時半にはついに各工場全部が止まってしまった。・・・10数名の一団が乱入し一組長に打ち掛かり後頭部と臀部に傷害を与え、また一助役に10数名が打ち掛かり身体各所に軽傷を負わせた。・・・欠勤(スト)参加者は計6,464人である」
8月末、突如本田仙太郎という人物が表われ「官憲と争うと不利だ。ただちに争議を中止しなさい」と説教をはじめ、また多額な寄付を申し出た。労働者側は本田仙太郎を「官憲のまわし者」とし、彼が神田青年会館で行ったの演説会には、大杉栄派の集団が場内に押しかけ、本田仙太郎をみんなで罵倒しついに彼の演説を中断させた
8/17 横浜市輸出・外国人寝巻職工約300名一同は、午後7時に一か所に集結し要求を決議した。各親方は値上げを了承し解決した
8/18 朝鮮各地で労働争議。京城電気会社発動工場労働者全員が賃上げでストライキに入った。同日 日韓印刷、京城印刷の印刷工も賃上げを要求してストライキに入った。その他小さい労働争議は鶴林八道各所で頻発している
8/18 長野県丸子町信濃絹糸紡績会社男女50余名は賃上げを求めてストライキを行った。会社側は要求を拒絶し、またスト参加者全員を解雇してきた。そのためストライキに参加していなかった他の250名にも騒ぎが広がっている
8/18 岐阜市川原澱粉工場労働者100余名は賃上げを要求したが、会社側は断固拒否したためストライキな突入した。岐阜警察署の斡旋により1割増給で妥結し、19日より復業した
8/18 名古屋桶製造業組合の労働者40余名は賃上げを求めてストライキを行った。1割5分の賃上げで妥結し解決した
8/19 大連の建築関係の苦力約1000名は賃上げと待遇改善のためストライキを行った。全満州に拡大すると予想される
8/19 秋田県小坂鉱山労働者1200余名は賃上げを要求し、突然ストライキを行った。この日いったんは仕事に戻ったがたが、23日になっても鉱山からなんらの回答がないため憤激した労働者は再びストライキに入った。25日にはスト参加者は3000名にも及んだ。26日午前零時に労働者は隊伍を整え3,000人が縦縦列となって事務所に押し寄せた。午前5時鉱山側は、結局労働者側の要求の大部分を受け入れることを発表し、4,000人労働者は大集会を開催し、万歳を唱えて就業した
8/20 東京芝三田の池貝鉄工所労働者750名は会社の賃上げ拒否に怒り21日よりストライキを計画した。23日より本格的なストライキに入り、24日、25日と芝の瑠璃光寺に集結し演説会を開催した。会社は強硬な態度で臨んだが、9月7日、「8月23日からのスト中の賃金を支払う」
ことで無条件でストを止め解決した
8/20 神戸市日本燐寸株式会社箱詰め女性労働者等250余名は、正午から突然ストライキを決行した。その理由は10数年間働いていた工場監督名倉某を会社が解雇したことへの抗議だ。女性労働者は名倉監督を戻さないと我々も働かないと言い張り、21日もストを続けた
8/20 大阪南区帝国紡績木管株式会社工場の女性労働者約20名が賃上げを要求した。男性労働者も合流して80名
8/21 21日夜9時横浜市内の畳職人390余名は同市山吹町の山吹館に集結し3割5分増の賃上げを決議し組合との交渉をはじめた
8/21 下関内務省土木出張所造船機械工場労働者30余名は賃上げのためストライキをした。要求は「賃金3割増手当1割増と月2回の公休日の設定」である。賃金値上げは次回定昇時まで待つこととにして、22日無事解決し複業した
8/22 大分市郵便局の15歳から18歳の若者の配達労働者22名は、22日早朝より市外の長濱に集結してストライキをした。ただし何ら要求はだされていない
8/24 鳥取市洋服縫工組合の裁縫労働者は賃金4割増を要求したが、組合から拒絶されたためストライキを行った。組合側は大阪地方より既製服を購入したり、新たに人を雇いいれたりして対応している
8/25 尼崎造船所労働者50余名は賃上げを求めついにストライキを決行した。9月9日雇用主側が30銭の賃上げ承諾したので9月11日から全員仕事についた
8月下旬、東京カフェ-パウリスタの全国の労働者600余名は賃上げと待遇改善を求めた。パウリスタ側は労働者の要求は正当だと認め全面的に要求を受け入れた
8/29 大阪市内広瀬鉄工所仕上工30余名は賃金の3割増を要求したが、会社は断固として拒絶したため、ついに30日からストライキに入り、31日には天王寺公園で集会を開催しようとした。しかし、警察から野次馬が集まるから他所へ代えろと注意されたので、ひとまず退散した
8/29 大連郵便局配達労働者約50名は賃上げを要求してストライキをした
8月下旬、呉海軍工廠造船部労働者の中で待遇改善の声が高くなった。みなで各自署名捺印して「①現在の10時間労働を9時間とすること。②
夏冬2回の休暇を与えろ。その間の賃金は保証しろ。③大幅賃上げ」など23項目の要求を提出した
8月下旬、九州電気軌道門司出張所電気労働者約20名は、物価高騰生活難を理由に5割増の賃上を要求した
8月末、台湾の人力車夫が同盟して賃金値上を要求して、2割値上が実現したが、需要が激増し、2割値上では全然満足していない。9月初旬から人力車トラストを組織せんとする者もあらわれている