先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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芝浦製作所2,500名の闘い 1925年主な労働争議 (読書メモ)

2022年07月08日 08時00分00秒 | 1925年の労働運動

芝浦製作所2,500名の闘い 1925年主な労働争議 (読書メモ)
参照 「協調会史料」(労働争議(機械器具金属)大正14年(4)芝浦製作所争議他1925年)
   「日本労働年鑑」第7集/1926年版 大原社研編

芝浦製作所争議
 1925年7月7日、東京市芝区株式会社芝浦製作所(2,500名)で、会社が労働者18名を突然会社都合との理由で解雇してきた。18名はいずれも芝浦労働組合の幹部であり、会社の目的が労働組合つぶしにあることは誰の目にもあきらかであった。翌早朝、芝浦労働組合は徹夜で準備したビラを全労働者に配布し闘いへの檄を飛ばした。また総同盟や評議会の応援を得て会社と交渉をはじめ、同時に全職場でサボタージュ闘争を開始した。10日には同製作所鶴見工場の労働者にも呼び掛け、会社糾弾演説会を開いた。

(2,000名の構内デモ)
 翌11日、社長が18名の復職を拒絶したと聞いた2,060名は、即座に労組旗を先頭に工場構内デモに突入した。その際労働者が禁止されている革命歌を高唱したことを口実に所轄警察署が介入し、構内デモの中止命令がだされた。全員工場から引き上げた。会社は、この日の夕刻、構内デモを理由に新たに8名を解雇してきた。また工場入口に「就業しない労働者は入場してはならない。就業しない労働者には日給を支給しない」と貼り紙をだした。 

 労働者2,500名(内女性300名)は、芝増上寺境内で示威行動をし、職工大会を開催した。

鶴見工場労働者に向けたビラ
「鶴見工場の兄弟姉妹諸君!
芝浦工場の同志17名は何らの理由なく会社の毒手によって失業求職難のうず巻く街頭に放り出されてしまったのである。この解雇はまさに我々に対する挑戦である。実に我々に対する会社の威嚇である。もし我々が会社のこの威嚇に屈したならば、彼会社はいかなる光景を今後我らの頭上に与えるであろうか。我々はこの秋に際して・・・まさに死滅するより外はない。
 鶴見の兄弟姉妹よ。我々芝浦にいる者たちは昨日職工大会を開き、彼等横暴なる会社に備える準備と気概を示したのである。今後17名の馘首は単に17名のみの問題ではない、実に芝浦従業員全部にかかる問題なのである。
 鶴見の兄弟姉妹たちよ、諸君は必ず我々同志のこの困難を打破するために我々と行動を共にしてくれるだろう。
 我々芝浦の同志は今日協調会館において大会を開き、我々の態度を徹底的に決めようではないか。来たりて我々の運動を助けよ!
   演説会場
 日時 七月十日 
 場所 芝協調会館
 芝浦労働組合」

(スト決定)
7月11日の職工大会は、以下の要求と「初志の貫徹とストライキ」を決議宣言した。
要求
一、解雇者18名の復職
一、8時間制の実施
一、今後絶対に不当解雇者を出さない事
一、今回の争議で絶対に犠牲者(解雇)を出さない事
一、争議中の日給を支払う事
一、今回の争議中の解雇(8名)を取り消す事

また、各職場で50名につき1名の争議委員を選出すること、争議資金基金の集金、各友誼団体への緊急応援依頼をすること等を討議決定した。

12日、2,200名の演説会を開き持久戦を決議。
13日、スト破り出勤労働者はわずかに組長ら122名であった。この日、ストライキは同製作所鶴見工場にも飛び火し、鶴見工場60名の労働者が立ち上がった。
また、争議団は、職場の事務職員向けて以下のビラを配布した。

事務職員向けビラ
「起て!!
芝浦の全職員諸君 !
 諸君は今度の我々にとった会社の態度を 積極的挑戦をなんと見るか
 諸君は、諸君に何ら関わりもないと思っているのか
 諸君は諸君の地位が我々の境遇といささかも相違しいると思うことができるか
否、否、
 資本家の前に諸君も我々と同じ被搾取者なんだ  奴隷なんだ。諸君は会社から与えられている単なるくだらない名目の違いによってゴマかされてはいけないのだ。諸君は我々への挑戦はひいては諸君への挑戦なのだ。諸君はそれをハッキリ知っている筈だ
全職員諸君 !
諸君は敢然と起て ! !
 しかして諸君の生活擁護のために我々と共に  会社と戦へ
1925年7月13日
芝浦製作所争議団」

(鶴見工場でもストライキ) 
 14日、この日の出勤者(スト破り)は組長ら95名でしかいなかった。争議団は会社との話し合い決裂についての報告演説会開催。争議団は「同一産業労働者諸君に訴ふ」の要請ビラを配布すねなど各労働組合に応援を要請した。
 15日、応援。総同盟、評議会、自治会、機械聯合その他応援が押し寄せ気勢をあげる。芝浦労働組合100余名で宣伝隊を組織し、鶴見工場労働者多数を鶴見クラブに集めストライキの経過を報告している最中に、鶴見警察署は解散を命じ、多数の警官隊が襲撃してきたたため組合員は抵抗し警官との乱闘となり、この場で2名が検束された。
 16日、会社糾弾演説会。弁士40名中警官による「弁士中止!」6件。
 17日、鶴見工場に於いても209名の労働者がストライキに決起した。巻き返しをはかる会社は、スト破り労働者多数を鶴見駅前に集合させ、警官の護衛で鶴見工場に送った。
 18日、会社側からストライキ参加の全労働者に対して、高圧的な「出勤督促通知」が出された。

(示威行動)
 19日、慰安演芸会開催。約1,200名が参加し、浪花節、ハーモニカなど組合員各自の隠し芸を披露したが、その最中に緊急動議が出され、会社で交渉していた代表団の出迎えと称して、全員で隊伍を整え会社に押し寄せたが、警官隊に阻止された。夕刻、争議団は目黒不動参拝と称するデモを計画した。芝浦争議団約1千名と応援労組約400名が、半数は電車で、残りは徒歩で目黒不動に向かい、徒歩組は途中警官隊の介入で7名が検束された。また、工場周辺の市民向けのビラ(上の写真)を2千枚配布した。
 20日、ストライキ・争議団への会社の切り崩しが激しくなり、会社は約600名を懐柔したと発表した。
 21日、18日の「出勤督促通知」を争議団はこれをひとまとめにして会社に叩き返した。しかし、この「出勤督促通知」などの会社の切り崩しに動揺した「軟派」労働者が多数出てきた。この日、「硬派(スト貫徹派)」労働者が、数名の軟派労働者を袋たたきにする事件が起き、「硬派」6名が検束された。

(会社回答)
 22日、会社は、以下の回答をした。
一、18名の解雇の復職は絶対にしない。18名には金一封(ひとり当たり100圓位)を支払う
一、8時間制は実施に向け考慮する
一、今後業務を理由とする整理解雇はみだりにしない
一、争議による解雇者はこれ以上ださない
一、争議中の給料は一週間分支払う
一、争議開始以来解雇された8名の復職はしないが、8名には金一封を支払う

(スト中止を決定) 
 争議団は職工大会を開催し、会社回答を受け入れるか硬軟両派は激論し、全員投票で一旦は争議続行が決まったが、その後の討議の中で次第に軟論・争議中止派が多数となってきた。スト続行派は口々に「幹部の横暴」と叫んだが、ついに涙を呑んで23日早朝から一斉に就業することが決まった。最後に、被解雇者数名から告別の挨拶(*)があり、こうして二週間に及ぶ芝浦製作所争議は、労働者側の惨敗で終わった。

*告別の挨拶
(被馘首者 小田権次)
「7月11日は我らの忘れ可からざる記念日である。我らの正義の叫びを圧迫せんとした会社の暴挙に対抗した諸君は、いかに醒めたかは(今の諸君の)堂々たる態度で明らかである。争議は失敗したが一大経験を得た事は成功である。将来芝浦に争議が起こった場合は及ばずながら馳せ参ずる考えである。切に残留諸君の自愛を祈る。」



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