先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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NHK朝の連続ドラマ『ブギウギ』 高野山ろう城闘争の笠置シヅ子 頑張りガール! と お詫びール!

2023年10月12日 07時00分00秒 | 先輩たちのたたかい




東京ブギウギ (1955年 )

NHK朝の連続ドラマ『ブギウギ』 高野山ろう城闘争の笠置シヅ子 頑張りガール! と お詫びガール!
参照・「日本労働年鑑第15集/1934年版」大原社研編

東京浅草松竹座の少女歌劇部湯河原温泉ろう城闘争
 10月2日から、ブギの女王笠置シヅ子をモデルにしたNHK朝の連続ドラマ『ブギウギ』が始まりました。1933年(昭和8年)6月13日、東京浅草松竹座の少女歌劇部(後の松竹歌劇団)の少女たち230余名は、過酷な労働環境の改善を要求して、18歳のトップスターのターキーこと水の江瀧子を争議委員長にストライキを決行します。その後130名少女らは湯河原温泉にろう城する大争議(「桃色争議」)を繰り広げます。関西で呼応した大阪松竹楽劇部は、6月28日、バレーの名手で関西では絶大な人気スター飛鳥明子を先頭に三笠静子(後の笠置シヅ子)ら50余名の部員が高野山に立てこもります。飛鳥明子らは大幕をひるがえして参詣客へ大演説をします。水の江瀧子は特高に検挙され、会社は少女たちを『賊女』と呼び多くの少女らを解雇してきますが、世論は圧倒的に少女たちを「頑張りガール!」と呼び、味方となり、スト破りや裏切って会社側についた者たちが、ステージに現れると観客席は「おわびガール!」と軽蔑の嘲笑や罵声を浴びせました。争議は多くの要求を実現し勝利します。のちに水の江瀧子たちの解雇も撤回されます。

 1930年代は過酷な弾圧が続きます。1933年とは小林多喜二が殺された年です。しかし労働者は果敢に立ち上がります。この頃映画館の争議も頻発します。無声映画から音声映画にへの移行もあり、映画会社は弁士と演奏者など大量な首切りを行います。1932年には全国180の映画館で4,115人もの労働者が立ち上がります。あちこちの有名映画館で、ろう城闘争が勃発します。

 歌劇団でも少女たちは過酷な環境でした。
 当時の劇団員の親への手紙です。
「日夜過労を強い、公演につぐ公演、練習につぐ練習で、しかも疲れを休める控室は南京虫、のみで充満している不潔さであり、これに加えて本社から支給される僅かな手当はその一部が与えられるかまたは全然皆無となって途中で消え失せるのです」(『タアキイ―水の江瀧子伝』中山千夏 新潮社1993年)。

 1932年水の江瀧子も過労で、「青い鳥」公演2日目に倒れ1ヵ月病いに伏します。この直前の劇団機関誌に「女性団員の過重労働を糾弾する」記事が記載されています。
 1933年(昭和8年)6月、松竹座は音楽部員男子29名の解雇と少女たちも含めた部員の賃下げを通告します。6月14日歌劇部と音楽部230名は合同して記者会見を開き、賃下げ絶対反対と以下の「嘆願書」を発表します。

嘆願書(1933年6月14日)
一、解雇、減給及び労働強化絶対反対
一、退職金の支給(最低6カ月・勤続1年に1ヵ月増)
一、本人の意思によらない転勤をしない
一、出演手当を本給に繰り入れたし
一、即日日給の3割賃上げ
一、最低賃金制の制定
一、定期昇給の実施
一、公傷治療費の会社負担
一、公傷及び疾病の欠勤は給料を全額支給
一、運動手当支給(公演2回以上は1回ごとに3円、松竹少女歌劇団、松竹主催以外の仕事は1日5円以上等)
一、衛生設備、休憩室の改善、楽屋・舞台の清潔(女生徒専用寝具設備、女性便所増設等)
一、公休日、月給日制定
一、兵役、軍事招集中の給料全額支給
一、中間搾取をやめよ(山下女性監督を馘首、加藤裏方更迭)
一、不法馘首された女性たちの復職
一、医務室の設置
一、組合加入の自由を認めよ
一、生理休暇設定
一、争議中犠牲者を絶対出さぬこと


 翌6月15日、水の江瀧子を争議委員長とする少女ら230名は、ストライキを敢行します。新聞は『桃色争議』と称し、世論は圧倒的に少女たちの味方をします。会社側は猛烈な切り崩しを行い、この時ストから脱落し劇団に復帰した多くの少女たちもいます。16日会社はロックアウトをし水の江瀧子ら25名が解雇されました。さらなる切り崩しと闘いを持続するために少女たち120名は7月1日神奈川湯河原の温泉宿にろう城して闘いつづけます。人々は争議団を裏切って劇団に復帰してステージに登場した少女たちを「おわびガール」と呼んで軽蔑します。一方で闘い続ける水の江瀧子らを「頑張りガール」と尊敬しました。父兄も我が娘たちの闘いを支持する決議文を世間に公表します。全国映画劇場従業員組合、日本映画従業員組合、関東映画従業員組合はただちに「関東地方映画従業員共同闘争組合」を結成し、関東労働会議などと熱烈な応援体制を作ります。
 7月12日早朝、警視庁は争議団本部などを一斉捜査し、争議団長益田銀三、争議委員長水の江瀧子ら46名を検挙します。翌日には水の江瀧子ら35名は釈放され、17日、「生理休暇」以外の要求をほぼ受け入れた形で「桃色」争議は勝利します。世論の圧倒的支持の中、水の江瀧子ら解雇された者もほどなく劇団に復帰しました。

争議解決覚書(1933年7月17日)
一、今後正当な理由のない馘首はしない
二、減給はしない
三、労働強化はしない
四、退職手当の改善
五、本人の意思に反する転勤命令はしない
六、最低給料の制定
七、月給の増額
八、賞与の改善
九、公傷の保障
十、疾病時の給料保障
十一、公演移動の交通費の保障
十二、休憩室、トイレ、楽屋などを清潔に保つ、女性トイレの増設と女性専門の寝具の用意
十三、公休日の制定
十四、軍召集者は休職とし、除隊時には元職に戻す
十五、争議団に金一封の支給
十六、解雇された少女17名と音楽部7名の謹慎2ヵ月ののち元職復帰(謹慎中は給与全額支給)

  勝利した争議団が帝劇へデモ行進をしたことを伝える1933年7月29日の朝日新聞記事です。「おわび組、頑張り組」も出ています。

大阪松竹座争議
 関西大阪松竹楽楽部には労働組合の全国労働全映画同盟に約50名が参加していました。1933年6月19日、東京の闘いに呼応して立ち上がった関西大阪松竹楽楽部は、ただちに待遇改善を要求します。バレーの名手で関西では絶大な人気スター飛鳥明子がサボタージュ闘争を始め、25日57名がストライキを敢行し、27日には54名が高野山に立て籠もります。この中に笠置シヅ子もいます。7月8日午前1時労資合意の覚え書きが締結されます。
覚書(7月8日)
一、夜具、食事の改善。舞台練習後の実費交通費の支給
一、転勤はなるべく本人の意思を尊重する
一、年2回の定期昇給の支給(会社業績をみて)
一、公演は一日2回以内とすることを承認する
一、「杉浦」(パワハラ上司?)の移動を考慮する
一、定期昇給の実施(今後は一割以上)
一、退職・解雇手当の減額はしない
一、病気欠勤の給料支給は従来通りとする
一、飛鳥明子を教師とする復職にむけて本人と話し合う
一、夏季休暇の制定
一、人員の増員
等 
 1933年7月2日の大阪毎日新聞に「道頓堀劇場街握り飯の嵐レビュー争議に応援の一隊弁天座前で検束騒ぎ」の記事がありますから、飛鳥明子や笠置シヅ子らを応援する人々が道頓堀劇場街、弁天座前で大騒ぎする支援行動を起こし、検束事件まであったことがわかります。7月9日の同紙には「黒衣に包む『桃色』レビュー争議円く手打ち、山上に歓声」、同紙7月10日「下山したガール暑さ忘れて解決デモ松竹系の各座を練り歩き懐かしの我が家へ帰る」と勝利解決の喜びを我がことのように報じています。

 他にも関東・関西で多数の映画館争議の勃発もあります。日活館や四谷キネマなどの大蔵映画系の16館映画館の労働者が一斉にゼネスト状態に入り、4ヵ月もろう城闘争を続けます。こちらは評議会の闘いでした。この時の争議指導に山花秀雄さんの名前もでてきます。

 これからのNHKドラマ『ブギウギ』では少女たちの「桃色争議」「高野山ろう城」が果たしてどう展開するのでしよう。楽しみです。
以上

笠置シヅ子 東京ブギウギ



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