先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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『溶鉱炉の火は消えたり』浅原健三著(十一~十二)

2021年08月10日 08時16分00秒 | 1920年浅原健三の『溶鉱炉の火は消えたり』

『溶鉱炉の火は消えたり』浅原健三著(十一~十二)
―八幡製鉄所の大罷工記録—

十一 検挙

 家の前に二台の人力車。「変だな」と思って入ると、第一の伝令久保田某。沈黙の眼が勝利を語っている。聞く者も、告ぐる者も、感激と昂奮に打ちふるう。
「いや、全く困つた。罷工が始まると各門をピタリと閉めやがったので、工場外に出る路がないんです」
 通路を断れた彼はずっと海岸の方に遠廻り。低い木柵を乗り越へて通路へ、やっと本部に駈けつけると本部の周囲は巡査の人垣だ。無難に這入れそうにもない。引返して脇道を歩いているうちに一策を案じ出した彼は、かねて知合いの駄菓子屋の七十婆さんを「わけは後で話すから、ともかく一緒に来て呉れ」とシャニムニ引張り出し、二台の人力車で威勢よく本部に乗りつけた。
「おい、こら、何処に行くんだ。」
 案の定、巡査が呼び止めた。
「労友会の診療所まで。」
「なにイ、診療所に行く……。ならぬ。」
「でも、ここに使はれてゐる女中のお袋が大分県からわざわざ来たのです。是非通して下さい。」
「何だ……、女中の母親か。お前は何だ。」
「私は親族の者です。」
 母だろうが、誰だろうが、とは言えず、巡査は渋々と通してくれた。
 伝令は引揚当時を報告してすぐ引き返して出て行く。まもなく第二の伝令が本部事務所前の様子を報告してくれた。
 十時頃、第三の伝令が巡査の垣を突破して駈け込んで来た瞬間。私がまだ報告を聞かない先に、一人の警部補が五六人の巡査を連れて来て、「浅原君! 一寸警察まで」と、玄関口で怒鳴る。「待ってました」と言いたいが、バカに早い。「今やられては、あとが……」と思ったが、頑張ってみたって仕方がない。」和服の平常着にハンチングを被っておとなしく家を出た。
 八幡、小倉、戸畑、門司、若松、その他の隣接警察署からの警官、小倉憲兵隊所属分隊全員の総動員。手が揃ったので、四時頃から幹部の総検束が始まった。七時頃までには、おおよそ三百人ばかりが八幡警察署の二階に引ずり込まれた。
 私は午前から高等係の部屋にいた。夕方、ビール樽然たる、時の福岡県××部長の斎藤某が部屋に入って来た。私を一瞥(いちべつ)すると、いきなり怒鳴り出した。
「この野郎! 国家の秩序を紊(みだ)るとは何だ!」
 ひどく昂奮している。脂肪肥りの顔は蒼白だ。額には青黒い肝癪筋。この異変に、動転した彼だ。何を言うのか、一向に要領を得ないことを矢鱈(やたら)にが鳴りたてながら、無性に卓子を叩く。私はト呆けたような顔をして、この厳めしい警視服に不似合いな彼の狂態を眺めていたが、あまりヤカマしく吠え続けるので、ちょうど、その卓子の上にあった、その日の福岡日々新聞を、無言で、彼の前に押しやった。
 今朝の福日には「製鉄所職工に不穏の兆」云々の記事が、相当に大きく取扱はれていた。その末尾に、斎藤××部長の談として「労友会の幹部連中が熾(さか)んに職工を煽動してはいるが、職工は彼等の口車に乗って軽挙妄動するような風はない。罷工なぞ断じて起らない。労友会の会長浅原健三は会の貯金八百円を持ち逃げして、数日前から行衛不明(ゆくえふめい)である。労働運動の指導者と称する手合いには、その種の人物が多いから、労働者諸君は用心しなければならぬ」という一節がある。持ち逃げした筈の男がこの大争議の首謀者として今彼の面前にいた。差し出した新聞を一瞥(いちべつ)すると、さすがの彼もキマリが悪かったか、黙って部屋を出て行ったが、間もなく、一人の巡査がコソコソと新聞紙を取りに来た。
 斎藤の談話は、全然斎藤の捏造(ねつぞう)なのか八幡署の報告か。所詮は警察官一流の××な宣伝だ。じらい十年、金銭に関する私への逆宣伝、デマは、敵からも、味方からも、幾十度となく飛ばされたが、斎藤某はその第一陣を承はるの名誉を担ふ。
検束せられてここに来たのは十一時だが、その後の状勢は、予ねて手筈をきめていた或種の方法で大略判つていた。
 夜が来た。夜勤の入門時間だが職工の姿は見えぬ。警察署の二階の窓ガラス越しに展望する。全工場に電燈一つ灯らない。真暗だ。ただ寂然たる篝火(かがりび)が点々と燃えている。守衛や警官であろう。その周囲を四五人が立ち繞(めぐ)ってゐる。平常は火の海である大溶鉱炉、平炉も黒く死んでいる。眼下の街路を行く人影も杜絶え、料理店、飲食店は警察から閉鎖を命ぜられ、官舎も送電を断れて暗。商店も戸を閉して黙然。
 午後十一時頃、第四、第五溶鉱炉に火を入れ、コークス工場、阿片(あへん)工場を復活させようとしても、駄目だ。機関車は二台しか動かない。倉庫番、貯蔵係が張番をするだけ。
 中川次長以下、事務員全部か蝋燭の火薄暗き本事務所に善後策を凝議し続けている時、夜の十二時前から、福岡地方裁判所小倉支部の平井検事の取調べが始った。肥った、頭の鈍そうな男だ。
「今度のストライキは君が計画したのだろう?」
「僕は無関係です。」
「労友会の幹部が計画していたことは、君も知っていた筈だ。」
「全然、知らぬ。」
「そうは言わせぬ。君はストライキの張本だ。総指揮だ。」
「計画に参加しない者が指揮する筈がない。」
「では、君はストライキに全然無関係だと言うのか。」
「左様。」
「そんな筈はない。」
「証拠がありますか?」
「ある。」
「どんな。」
「それはいえぬ。」
「そんなバカな話があるか。」
 問答は一時間も続いたが、要領を得させない。その筈で、私が最初に取調べられるのだから、私を問い詰める材料がない。工場にも行かないで診療所に居た私だ。頭から否認してゆけば、事情に迂い検事は突込んで来やうがない。
 取調は一応中止せられた。連日の疲れが出たので直ぐ眠る。

十二 地図は証明する
 六日。罷工の第二日目。
 朝早く目が覚めた。東門の見える窓際に立つ。朝出の時刻だが、一人の職工もガードを越えぬ。正服正帽の警官と役員らしい者が渡る。憲兵の剣(つるぎ)が光る。あとで聞けば、役付職工は表門から入らないで、枝光(えだみつ)の海岸から船で運ばれていたそうだ。職工の襲撃でも怖れたのだらう。
 罷工は完全に続けられている。労働者のない工場は空家になったビルディングだ。
 昼頃から検事の取調。前夜同様。検事は恐ろしく頭が鈍い。
「では、君は全然無関係だね。」
「関係ありません。」
「あとになって嘘を言ったことにならないね。」
「嘘は言はぬ。」
「では、もう帰っても宜しい。」
 何という簡単な、安直な検事さんだ!
 側で、当時の福岡警察署長、今の戸畑市の助役たる小原という警視が二人の問答を聞いてゐた。
「あなたの方も、浅原を帰して、別に差しつかえはありませんね?」
 小原は当惑したらしい顔。「ちょっと……」と言い棄てゝ部屋を出たが、暫らくして、野村八幡署長がやって来て、言いにくそうに、
「浅原君、御気の毒ですが、検束です」
と言う。この署長は割合い物判りのよい、穏和な男だった。後に、警視庁の監識課長になって八幡を去る時、ワザワザ暇乞いに来たことがある。私はこの善良な、自分の本性を、職業意識のために、無意識裡に荒(すさ)ませてゆく、哀れな署長を心から気の毒に思って見送った。彼はその後、鳥居坂の署長在任中、不遇をかこちながら死んで仕舞ったと聞く。
 ついでだが、このストライキに関係した人々の後日は何れも不振だった。××警察部長は奈良県内務部長時代、例のと国粋会員との大衝突事件に失敗して官界から消えたと思う。××工場課長は和歌山県の大地主の息子で羽振を利かせていたが、長野県の警察部長時代、例の梅谷知事の警察署廃止反対の民衆運動が勃発した時、長野県庁の官舎に隠れていたのを、群集に発見せられ、雪隠(便所)に避難して勇名を轟かしたが、それが原因で免官になった。
 高等係の宿直部屋に帰って、ぐつすり寝込んでいたところを巡査が揺り起こす。今度は福岡地方裁判所の検事正某の取調。午前四時だ。
 室に這入った瞬間、「ばれたな」と直覚した。居並ぶ、検事正、検事の顔は、「今度こそ!」「逃しはせんぞ」と、意気込んでいる。
 検事正は七八人の調書を基礎に問い責める。
「君が事件の首謀者であることは、この調書で明白だ。」
「僕は無関係だ。」
「無関係とは言はさぬ。証拠は十分に揃っている。明かに治安警察法違反だ。」
「巧く逃げる」と自分で感心する程巧妙に同志の供述を否認した。何とかしてこの場を逃れ出ないと、罷工は中途で挫折する。誰も、目ぼしい指導者が残っていない。九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に欠くかの瀬戸際だ。卑怯と言われようが、裏切者と罵しられようが、この場を逃れて、最後の勝利をつかまねばならぬ。二万五千の兄弟の為には、いかなる汚名を忍んでも、勝たねばならぬ。
 しかし、どんなに弁明しても弁疏(べんそ)できぬ物的証拠が目の前に突きつけられた。
 証拠となる虞(おそれ)ある一切の物は、私が検束せられると即刻、本部で、気を利かせた女事務員が×××××仕舞っていたので、家宅捜索に行った検事も空手で帰ったのだが、唯一枚、麻生作成の大地図が残っていた。坂本という伝令の青年がポケットに入れていたのが、検束せられて、身体検査の時に巡査に発見せられた。その地図には、私自身の筆で、罷工に直接関係ある各種の文字文言が書き込まれてある。
 これには参った。
「もうダメだ。よし……」
 私は決心した。検挙者三百名、幹部は網羅し尽してある。この連中が一分間でも永く警察に留置されることは、罷工団の致命傷だ。幹部なしには結束も、統一もない。自分が逃れられぬときまれば、幹部を一人でも多く、一刻も早く釈放させねばならぬ。犠牲は最小限度に喰止めねばならぬ。
「今まで言ったことはみんな嘘だ。しかし、もう仕方がない。一切を有りのま々申し上げる。」
 検事は勝ち誇つた将軍のやうに微笑した。
「このストライキの一切の計画、一切の指揮命令は私と西田と二人でやった。たった二人きり……。あとの連中は私共の命令のまゝに、たゞ機械的に動いたゞけです。」
「そうか。しかし、職工代表の四人は積極的に働いた筈だが……」
「私共の指図で代表者になったに過ぎない。」
「他にも計画に参与した者がいる筈だが……」
「二人の他には絶対にない。全く西田と二人の仕事です。」
 私の取調はそれで一段落になつた。
 検事は坂本の訊問で、各隊の指揮者、副官、伝令の氏名を聞き出そうと骨折ったが、坂本は堅く口を喊(かん)して語らなかった。しかし、私達二人だけで喰止めることは出来なかった。代表、補佐、伝令併せて八人、私と西田と十人が起訴せられた。
 六日に入門していた役付以下僅少の職工人夫は三十人を一隊とする、数隊の警官憲兵の監視の下に労働を強制せられたが、仕事はできない。警官隊との睨み合い、口論、衝突、検束。製鉄所の宣伝、ブルジョア新聞の報道とは反対に、頑強な罷工が続いていた。
 その夜、友愛会八幡支部は緊急総会を開催、検束者の釈放を迫り、労友会の要求貫徹を支援すべく決定、中心人物は木村錠吉、藤岡文六、光吉悦心、藤田俊二郎等。当時福岡市に本部を置いて粕屋炭田を開拓してゐた鉱夫協会の河島真二、本田真夫等が馳せ参じ、幹部無き後の労友会を支持した。



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