先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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1923年の農民運動 (読書メモ-「日本労働年鑑」第5集/1924年版 大原社研編)

2022年02月02日 07時00分00秒 | 1923年の労働運動

写真上・小作農民の団結!  日本農民組合の共同農業・共同田植え(1923.5)

1923年の農民運動 (読書メモ-「日本労働年鑑」第5集/1924年版 大原社研編)
 前年に倍する小作農民が全国で立ち上がった。1921年から頻発した小作地返還から、今では不作同盟の戦法も増えてきた。しかも小作側に有利な解決がはるかに多数に及んでいる。

(小作争議数)
 1923年(大正12年)の小作争議回数は、主要なものだけで741件に及び、前年度の298件と比べ驚くべき増加である。兵庫県が一番多く106件、次は大阪府60件、岡山県49件、京都府73件、愛知県40件、山梨県35件、奈良県31件、静岡県27件、千葉27件・・・である。共通していることは、前年度に争議が頻発した地域では今年も多い。小作農民の決起・小作争議の全国化、一般化、普遍化だ。

(争議の原因と戦術)
 農民側からの小作料引下要求が74.6%であり、逆に地主側の小作料引上に反対する争議もある。戦術は多数による威力の圧迫、示威運動、小作料不納、小作地返還、不作同盟、鎌入中止等であった。いかなる土地でも地主は少数であり、農民は多数である。個々の地主に多数の農民が押し寄せ要求の実現を迫った。中には、地主連が会議をしている会場を多数の農民が包囲し、瓦や石を投げ、口々に罵って、解決するまで地主たちを一歩も外に出さない闘いもあった。

(争議の結果)
 1923年(大正12年)中に解決した争議370件、解決内容は、小作側に有利22.7%と妥協73.5%であり、地主側有利はわずか3.8%に過ぎない。圧倒的に農民が成果をあげたといえる。多くは小作料の引下げで解決した。

(階級意識の目覚め)
 小作争議によって、村の中で今まであまり表に出なかった階級意識が表面化した。地主と地主に味方する者たちと農民が対立するという敵味方の二つの階級が日常生活の中ではっきり見えてきて、かつ分かれた。江戸時代から今まで地主は長い間、農民や小作からは尊敬されるのが当たり前という田園生活でのうまみがあった。それが小作争議勃発以降は、反対に、田園では明らかに孤立し、時には脅威すら受けるのである。そこで地主たちは地元のやしきに使用人だけ残して家族ごと都市へ移る者が年々増えた。いわゆる不在地主である。



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